『麒麟がくる』主人公の明智光秀
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
歴史好きの生方は、開運ブログで、何度か織田信長の人間関係はじめ、明智光秀についても書いてきました。
⇒ 本能寺攻め前の明智光秀もひいたおみくじとは?おみくじの色々、ひいた後はどうする?
しかし、明智光秀を主役として調べたことがありませんでしたから、今回は明智光秀についてまとめてみました。
明智光秀を九星気学で占ってみると?
明智光秀の生年月日は、一般的には不明とされていますが、『明智系図』では1528年3月30日生まれ、『明智一族宮城家相伝系図書』では1528年8月31日生まれ、とされています。
どちらも1528年生まれなので、四緑木星生まれであるのですが、生年月日によって、月命星と傾斜宮が異なりますので、今回は2つの生年月日について調べていきます。
■明智光秀(4-6-3)
明智光秀が1528年3月30日生まれの場合は、
本命星:四緑木星
月命星:六白金星
傾斜宮:三碧木星
となります。
この星回りは、本命星の四緑木星と月命星の六白金星とが、金剋木(金属は木を切り倒す)という相剋の関係です。
しかし、傾斜宮の三碧木星は、四緑木星と同じ木の性にあるため、本音の部分と行動は一致しています。
四緑木星は、風のように隅々まで行き渡るコミュニケーション能力を表しています。
義侠心が厚く、人の気持をすばやくキャッチして、よく尽くします。
しかし、人を信じやすいところがあってだまされやすく、また取り越し苦労が多く、移り気なところも。
また、四緑木星と同じ木の性に属する三碧木星は、開拓心の強い星です。
言語能力も高く、おしゃべりであり、言葉に毒を含むこともしばしばです。
正直で素直、万事において積極的であるために、発した言葉から誤解を受けやすく、反感を持たれることも。
潔癖症で正義感が強く、弱い者の味方をし、白黒をはっきりさせたがります。
六白金星は天であり、気位が高い理想主義者です。
負けず嫌いであり、人から指図されることを最も嫌います。
この六白金星の性質が、四緑木星と三碧木星を尅しているので、本来持っているはずのコミュニケーション能力の高さを十分に発揮できていないと考えられます。
精神が行動を剋しているため、行動に起こす前に考えすぎてしまう傾向があり、結局実行せずに、後悔するということが多いタイプです。
明智光秀は、じっと我慢の人、満を持して、という印象があるので、1528年3月30日生まれではないのかもしれません。
■明智光秀(4-1-8)
明智光秀が1528年8月31日生まれの場合は、
本命星:四緑木星
月命星:一白水星
傾斜宮:八白土星
となります。
この星回りは、本命星の四緑木星に対して、月命星の一白水星からエネルギーが流れる相生の関係です。
しかし、本命星の四緑木星と傾斜宮の八白土星は木剋土(木は土をしめつけ栄養を奪う)という相剋の関係です。
精神から行動へエネルギーが流れていますから、よく考えた上で行動する場合が多い、運勢的にも良い言動をする星めぐりです。
この星回りの性格を形作っているのは、一白水星です。
一白水星は水であり、表面的には静かであり、相手に合わせる柔軟性をもっていますが、水面の下は渦を巻いています。
一白水星生まれの特徴は、我慢強さと企画力です。
考えに考え抜いてから、実行に移しますが、行動を占めす四緑木星はコミュニケーション能力の高い星なので、周囲の協力を得られやすいといえます。
また、八白土星は山であり、積み上げた土であり、努力家を意味しています。
目標達成のためには手段を選ばないところがあり、目上の人物をうまく利用することも。
プライドは山のごとしなのですが、普段はそう見せない対応力も持っています。
明智光秀が、足利義昭の近習となったり、織田信長配下で頭角を表したりするのは、一白水星と八白土星の性質が強く関係しているように思います。
自分の本音を見せないのに、相手からは信頼されるという人物と言えるのではないでしょうか。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
↓
明智光秀の運気を九星気学でみてみると?
■1582年6月21日(天正10年6月2日) 本能寺の変
本能寺の変があった1582年6月21日の九星盤をみてみましょう。
1582年は四緑木星中宮年、6月も四緑木星中宮月です。
これを見るだけでも、明智光秀が織田信長に勝利することがわかります。
なんといっても、花が咲くとき、なのですから。
四緑木星の定位には三碧木星が回座し、決断、電光石火、新陳代謝、驚きといった暗示があります。
しかも三碧木星には「声あって姿なし」という意味があり、実質をともなわないことを示しています。
明智光秀が、織田信長を殺害することはできても、その証拠がなかったのは、この運気のためかもしれません。
ちなみに、織田信長は七赤金星生まれで、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
七赤金星の定位には六白金星が回座し、完成、完了という意味があります。
六白金星は天をあらわしており、天意という解釈も可能です。
つまり、七赤金星の織田信長は、変化変動(人生の転機)を迎え、さらに天意によって、その生命を落としたとも読めるのです。
■1582年7月2日(天正10年6月13日) 山崎の戦い
明智光秀が死ぬことになる、山崎の戦いの日の九星盤をみてみましょう。
1582年は四緑木星中宮年であり、花が咲くときですが、中宮のときは吉凶混合運であり、極端な結果になりやすいときです。
最悪の場合には命を落とすこともあるため、中宮は命厄とも言われます。
7月の月盤では、四緑木星は北西にあり実をつけるときですが、年盤の五黄土星に回座するため五黄殺(自滅)の影響を受けます。
この日の深夜、明智光秀は落ち武者狩りの百姓に竹槍で刺され、自害して果てます。
明智光秀を宿曜占星術で占ってみると?
■明智光秀【翼宿】
明智光秀が1528年3月30日生まれだとすると、翼宿の生まれです。
翼宿は、普段は温厚で率直、言葉遣いなども丁寧で、どことなく風格と威厳がそなわった本命宿です。
典型的な唯我独尊タイプで、自分が納得するまでやり抜く完全主義者が多いのが翼宿です。
また、不正を嫌う正義の人であり、自分の理想や信念に忠実で、妥協を許さない強さがあります。
明智光秀が翼宿生まれだとすると、交渉に強い性質が反映しているかもしれません。
翼宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「翼宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
↓
■明智光秀【昴宿】
明智光秀が1528年8月31日生まれだとすると、昴宿の生まれになります。
昴宿は、見た目と精神とのギャップがある本命宿です。
昴宿さんは猛々しさと君子の徳を兼ね備え、古来より、最高の星とされていますが、優柔不断で問題の解決を先送りするようなところがあります。
昴宿さんは、学芸や芸能、趣味などの道楽を生かし、知恵で勝負するような仕事に向いています。
明智光秀が、武が尊ばれる時代にあって、文芸に秀でたことにより、公家との交際もうまくいっていたことを考えると、昴宿の生まれである可能性も高いですね。
昴宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「昴宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
↓
また、27の本命宿それぞれの2020年の運気は、以下のブログをお読みになってください。
もっと読みたい方は 開運ブログへ