姉川の戦いとは?
元亀元年6月28日(1570年8月9日)に、現在の滋賀県長浜市野村町付近で行われた合戦のことを、姉川の戦いと呼びます。
「姉川の戦い」という呼称は徳川氏の呼び方で、この戦いについては、参戦した武将によって呼称が異なっています。
織田信長と徳川家康の連合軍と、浅井・朝倉連合軍の戦いですが、姉川の戦いには、徳川家康はもちろんのこと、のちの天下人・木下藤吉郎(豊臣秀吉)も参戦し、このときの調略が成功して出世の階段を登り始めます。
また、名の知れた戦国大名が多数参戦しており、さながら戦国オールスターの戦いの様相を呈しています。
姉川の戦いは織田・徳川連合軍の圧勝と伝わっていますが、3カ月後には、浅井・朝倉連合軍は3万の兵を率いて宇佐山城を攻め(宇佐山城の戦い)ており、その後、信長が行った比叡山延暦寺の焼き討ちも、浅井・朝倉連合軍との戦いの流れのなかで起こったことです。
そして、織田信長に攻められて小谷城が落城し、浅井長政が自害する天正元年9月1日(1573年10月6日)まで、実は3年もかかっています。
このような状況から、姉川の戦いは、織田信長が逆桶狭間状態になった、危機的な戦いであったのではないかという研究が発表されるようになっています。
この姉川の戦いを、主要な武将の運気を読んで、九星気学的に解釈してみたいと思います。
金ヶ崎の退き口
朝倉義景は、一時は足利義昭の後ろ盾ともなった大名で、名門の出身。
織田信長が、その朝倉義景を討つために越前に攻めた戦いが、金ヶ崎の戦い(かねがさきのたたかい)です。
この時、織田軍の背後から、浅井軍が挟み討ちにしようとしたことから、織田軍は撤退。
これが、金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)と呼ばれる所以です。
この戦いは、織田信長の撤退戦として有名で、殿(しんがり)を木下藤吉郎や明智光秀がつとめたことでも知られています。
戦国時代のドラマでは、必ずと言っていいほど取り上げられる戦いのひとつです。
この金ヶ崎の退き口は、姉川の戦いへと続く前哨戦のような意味合いがありますが、なによりも浅井長政が織田信長を裏切り、朝倉義景と連合したことに大きな意味があります。
浅井長政は、天文14年(1545年)生まれの五黄土星です。
朝倉義景は、天文2年9月24日(1533年10月12日)生まれで、
本命星:八白土星
月命星:三碧木星
傾斜宮:一白水星
となります。
織田信長は、天文3年5月12日(1534年6月23日)生まれで、
本命星:七赤金星
月命星:四緑木星
傾斜宮:八白土星
となります。
織田信長にとっては、屈辱の撤退であった金ヶ崎の退き口ですが、この日の九星盤では、年盤は七赤金星が中宮にあり、信長にとっては良い年です。
しかし、月盤では七赤金星は変化変動の北東にあります。
織田信長は、前年に京都に入っており、京都から敦賀にある妙顕寺に本陣をかまえます。
京都からみて妙顕寺は北東(丑)の方位にあります。
京都から敦賀までは数日かかったものと考えると、月盤の七赤金星の方位に、信長は移動したことになります。
これは、自分の本命星が位置している方位を犯す行為で、本命的殺と呼びます。
信長が金ヶ崎から撤退せざるを得なくなったのは、大凶方位である北東に移動したことが原因であると読むことができます。
信長を裏切った浅井長政は、小谷城から金ヶ崎城を目指して移動していたと考えると、真北に近い北西(亥)の方位に移動しています。
距離は40キロに満たないので、日盤で見るのが良いでしょう。
この日の日盤は五黄土星が中宮にあり、五黄土星の浅井長政にとって良い1日です。
しかも、北西には六白金星が位置しており、月盤では五黄土星が北西に位置しているという関係にあります。
この日の浅井長政を占うと、自分の後援者を失うとか、他との関係において争いが生じるという運気にありました。
信長の妹・お市を妻にしていながら、信長を裏切ってしまったのも、こういう運気だったからなのかもしれません。
信長は当初、浅井長政の裏切りを信じることができなかったと伝わっています。
それだけの信頼を寄せていた長政の裏切りは、のちの信長の、悪名高い殲滅戦への転換に影響を与えたとする説もあります。
姉川の戦い
金ヶ崎から京都に撤退した織田信長は、その後、岐阜に戻ります。
しかし今度は、姉川の戦いで、浅井・朝倉連合軍と激突します。
姉川の戦いの雌雄が決した当日(1570年8月9日)の九星盤は、月盤と日盤が同じ二黒土星が中宮ですが、実際には、この日よりも1か月近く前から戦いは始まっていました。
信長は、朝倉軍との小競り合いが続くなか、調略で得た長比城に、元亀元年6月19日(1570年7月21日)に入ります。
岐阜からみて長比城は、正確には南西(申)になりますが、ほとんど西です。
そして、岐阜から見て姉川の古戦場の方位は西(酉)で、年の年盤では暗剣殺の方位、月盤・日盤では五黄殺という大凶の方位です。
信長が、姉川で逆桶狭間の奇襲を受けて苦戦したというのも、うなづける方位に移動しています。
一方の浅井長政は、小谷城から姉川に移動したと考えると、南東(辰)の方位に向かったことになります。
年盤で南東は六白金星、月盤では二黒土星が位置しており、長政にとってはどちらも吉方位です。
これだけ見ると、織田信長は奇襲作戦で殺されていてもおかしくないのですが、七赤金星中宮年で星の助力がありますから、信長はなかなか死にません。
元亀元年6月24日、徳川家康が、移ったばかりの浜松城から援軍として合流します。
徳川家康は、天文11年12月26日(1543年1月31日)生まれで、
本命星:七赤金星
月命星:八白土星
傾斜宮:四緑木星
という人物。
信長と同じ星を持っています。
浜松城から姉川は北西(戌)にあたります。
このときの家康にとって、北西の方位は、心の方位にあたります。
年盤と日盤が同じで、北西には八白土星、月盤では四緑木星が位置していました。
本音では、援軍として姉川くんだりまで行きたくなかったのかもしれません。
前年に、武田家から同盟を一方的に破棄され、武田家との争いが勃発し、防衛強化のために浜松城に引っ越した頃なので、家康としては浜松を離れなくなかったのかもしれません。
しかし、この月の家康の運気は、自分の欲望を抑えて何事も前例にしたがい、控えめに振る舞うことで実利を得るというものです。
実際に、姉川の戦いの援軍として参戦したことで、家康は信長に対して恩を売ることができたうえに(信長は感じていないかもしれませんが・・・)、三河武士は強いという評判を得るという実利を家康にもたらします。
家康が、七赤金星にとって吉方位である、八白土星方向に移動したために得られた評価なのかもしれません。
織田・徳川連合軍の勝利ですが・・・
姉川の戦いは、織田・徳川連合軍の勝利で終えますが、信長は、勝利したことをすんなりとは喜べない心境だったようです。
なぜなら、この日の月盤・日盤はともに二黒土星が中宮にあり、信長の本命星である七赤金星は北にあって体調は万全ではありません。
このころの信長は、何事も石通りに進まずに苦労することが多く、焦って対応すると、さらに悪化するという運気です。
体調面での不調に加え、姉川の戦いが、思った通りには進められなかったことが、九星でもわかります。
信長と同じく本命星が七赤金星ですから、この傾向は、徳川家康にも及んでいます。
一方、五黄土星の浅井長政は、進退に迷いが生じて苦労するという年運で、親戚や家屋など、家のなかのことで悩みや問題が生じるという運気です。
金ヶ崎の戦いで信長を裏切り、姉川の戦いで奇襲攻撃をするなど、まさに親戚・家族との争いに発展していきます。
房宿の織田信長
宿曜占星術の本では、織田信長は氐宿とするものが多いのですが、天文3年5月12日(1534年6月23日)生まれだとすると、房宿になります。
房宿さんのネガティブポイントとして、
- 選民意識が強く、自己本位になりがち。
- 自分のことを棚に上げて、人にあれこれとあげつらいます。
- 飽きっぽく、熱が冷めるとあっさりと心変わりします。
- 嫉妬心が強い。
- 才能におぼれて独断専行に走ったり、金の亡者になったり、敵ができやすい。
- 思わぬ災難や悲劇に見舞われる。
- いったん階段を転げ落ちると転落は早い。
というようなことがあげられます。
どんなに優秀であっても、慢心しないように日ごろから注意して行動しないと、敵をつくりやすいのが房宿さんの特徴です。
姉川の戦いのあとから、信長は万単位の殺戮を繰り返していきます。
自己本位で、独断専行になりやすい資質が、このような行為に発展していったのだろうと思われます。
また、傾斜宮に八白土星を持つ人は心配性なので、浅井長政に裏切られたことが大きく影響し、周囲の人間を信じられなくなった可能性も高いと考えられます。
さらに、傾斜宮に八白土星を持つ人は、40代以降に、人生で大きな変化を体験する人が多いのです。
姉川の戦いのころ、信長は37歳。
足利義昭を降伏させ、足利幕府が消滅した1573年に、元号が「天正」と改元されます。
この時、信長は40歳。
人生の大きな変化、多くは転落、を体験する年齢に達します。
畢宿の徳川家康
徳川家康は、宿曜占星術の本では斗宿とされることが多いのですが、天文11年12月26日(1543年2月10日)生まれとされているので畢宿となります。
畢宿さんは世の中の道理に明るく、人から好かれます。日本人に好まれる星といわれます。
傑出した人物が多い宿でもあります。
また、自分の信念は決して曲げず、理想を掲げ、高い見識を備えている人が多いのも畢宿さんの特徴です。
器用さはないので、若い時代は目立たない存在ですが、年輪とともに真価を発揮する大器晩成型が多く、主流に身を置くことで理解者ができ、畢宿さんの不器用さを補ってもらえます。
いずれ、このブログでも取り上げようと考えている信康事件は、自分の信念のためには嫡男を殺してしまうこともやむなし、と考えた畢宿さんらしい思考の結果かもしれません。
織田信長から見て、畢宿の徳川家康は【成】です。
信長にとって家康は必要なコマでしたが、家康から信長を見ると【危】であり、信長はつねに注意を払っていないといけない要注意人物でありました。
参宿の木下藤吉郎(豊臣秀吉)
木下藤吉郎こと、のちの豊臣秀吉は、農民の生まれなので誕生日が定かではありません。
秀吉の誕生日としては、1537年3月17日説を、このブログでは採用しています。
この生まれだと、秀吉は参宿になります。
参宿には、思いもかけないような大人物に引き立てられて出世するという運勢がありますので、秀吉の本命宿としてはピッタリですね。
その木下藤吉郎は、この姉川の戦いの前後から頭角をあらわします。
得意の調略で浅井氏内部を切り崩し、天正元年(1573年)の小谷城の戦いでは、秀吉が大活躍します。
ちなみに、木下姓から羽柴姓に変えたのは1572年とされるので、秀吉が出世の階段を上り始めたことと浅井・朝倉連合軍との度重なる戦闘とは、切っても切り離せないことがわかります。
浅井家滅亡後は、浅井家の旧領を与えられ、長浜城を築城し、浅井家の家臣などを自らの家臣としています。
石田三成との出会いも、この姉川の戦いがあってこそ、なのです。
宿曜占星術でみると、信長(房宿)からみて秀吉(参宿)は【友】、秀吉(参宿)からみて信長(房宿)は【衰】という関係でした。
信長のためにエネルギーを与えていたのが秀吉だったということでしょう。
さらに秀吉と家康の関係は、秀吉(参宿)からみて家康(畢宿)は【友】、家康(畢宿)からみて秀吉(参宿)は【衰】という関係でした。
家康が、信長にはコマとして使われ、秀吉にはエネルギーを吸い取られていたことが、宿曜占星術にもあらわれています。
元亀元年(1570年)における武将たちの年運は?
九星気学では、同会法というものがあり、これによってどのような年運なのか、月運、日運まで占うことができます。
最後に、主要な武将たちの、元亀元年の年運を記しておきます。
織田信長・徳川家康(七赤金星)
良いときはとにかく良いのですが、悪いときはひどく悪くなるという極端な現象が現れやすい運気。
現代なら、突然の失業、業績不振、または病気などに見舞われやすいときです。
木下藤吉郎・明智光秀(四緑木星)
まじめに地味に働く気分になって、将来の土台を築くことに努力する運気。
変化を求めたくなります。
浅井長政(五黄土星)
他所から有利な条件の話を持ち込まれますが、話だけで実現困難な運気。
今までの方針を貫いた方が吉。
朝倉義景 (八白土星)
何かと忙しい状態になり、活動的な運気。
目上の人の引き立てで希望が達成する可能性が高いのですが、他との争いが生じるため注意が必要です。
森可成(九紫火星)
家庭内で喜びごとがあり、金銭的にはうまくいく運気でした。
しかし、姉川の戦いで命を落としました。
柴田勝家(一白水星)
方針を立てる上で迷うことがあり、運気上の変化があるというとき。
家庭内での喜びがあり、これにともなう散財はさけられません。
このような年運のなか、姉川の戦いは行われたのでした。
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