金閣寺をつくった足利将軍
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
足利義満は、生方世代には、アニメ『一休さん』に登場する将軍です。
歴史の教科書では、勘合貿易とか北山文化といった言葉がでてきますが、足利幕府を代表する最も有名な将軍だと思います。
足利義満について調べてみました。
足利義満を九星気学で占ってみると?
■足利義満(3-7-1)
足利義満は、正平13年/延文3年8月22日(1358年9月25日)生まれ。
本命星:三碧木星
月命星:七赤金星
傾斜宮:一白水星
足利義満は、本命星の三碧木星に対して、傾斜宮の一白水星からエネルギーが流れる相生の関係です。
三碧木星は音であり雷を表しており、開拓精神が旺盛で、積極的という資質を持っており、疾走するイメージがあります。
七赤金星は精錬された鉱石であり、金運を表しています。
七赤金星は、陽気で楽しくさせる反面、言葉では誰にも負けない批判力を持ち合わせています。
この七赤金星が、本命星の三碧木星を尅しているため、自分の頭のなかでコーチ(七赤金星)と選手(三碧木星)が同居しているタイプと言えそうです。
一白水星は水であり、表面的には誰にでもあわせられるように見えて、実は頑固者。
また、思索的であり、企画力や創造力にすぐれています。
足利義満が、能をはじめとする文化面で庇護者を演じることができたのは、この星回りだったからではないでしょうか。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【三碧木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
足利義満の運気を九星気学でみてみると
■1367年 10歳で家督を継ぐ
1367年は三碧木星中宮年で、花が咲くときです。
三碧木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
足利義満は、父・義詮が亡くなり、わずか10歳で将軍家の家督を継ぐことになります。
■1369年 将軍宣下
1369年は一白水星中宮年で、三碧木星は西にあり収獲のときですが、定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くとき。
また、三碧木星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
足利義満は、朝廷から征夷大将軍の宣下を受け、足利幕府第3代将軍となります。
■1378年 「花の御所」に移転
1378年は一白水星中宮年で、三碧木星は西にあり収獲のときですが、定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くとき。
また、三碧木星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
足利義満は、邸宅を北小路室町に移し、幕府の政庁とします。
移転後「花の御所」と呼ばれ、その所在地から、室町幕府と呼ばれるようになります。
■1382年 相国寺を建立
1382年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり、後厄です。
三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
足利義満は、相国寺の建立を開始します。
■1383年 源氏長者
1383年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位の東に戻って、運気は上昇に転じます。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
足利義満は、武家として初めて源氏長者となり、公武両勢力の頂点に立ちます。
■1392年 南北朝合一
1392年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位の東に戻って、運気は上昇に転じます。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
足利義満は、南朝方と交渉を進め、持明院統と大覚寺統が交互に即位する事(両統迭立)などを条件に、南北朝合一を実現します。
■1395年 隠居
1395年は二黒土星中宮年で、三碧木星は北西にあり、実をつけるときです。
三碧木星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
足利義満は、嫡男の足利義持に譲って隠居しますが、政治上の実権は握り続けます。
また、従一位太政大臣にまで昇進します。
武家が太政大臣となったのは、平清盛に次いで2人目となります。
■1404年 勘合貿易
1404年は二黒土星中宮年で、三碧木星は北西にあり、実をつけるときです。
三碧木星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
足利義満は、1401年に建文帝から日本国王に冊封されると、国交が正式に樹立されます。
その後、日本国王が皇帝に朝貢する形式の勘合貿易がはじまります。
■1408年5月31日 死去
足利義満は、1408年5月31日に亡くなります。
享年51。
この日の九星盤をみると、年盤では三碧木星は北にあり本厄なので、体調面では不安があるときです。
また、三碧木星には五黄土星が回座し、五黄殺(自滅)の暗示がありますから、病気は長引き、回復するのは難しいといえます。
月盤では、三碧木星は東南にあり運気旺盛ですが、暗剣殺です。
年盤の三碧木星には、月盤の九紫火星が回座し、「離」の作用が働く暗示があります。
月盤の三碧木星は、日盤の八白土星が回座し、変化変動です。
この九星盤をみる限り、病気で亡くなるのは仕方がなさそうです。
足利義満は、危篤に陥っても蘇生するなど、生命力は残っていたようですから、運気が良ければ、もう少し長生きできたかもしれません。
足利義満を宿曜占星術で占ってみると?
■足利義満【鬼宿】
宿曜占星術では、足利義満は鬼宿の生まれです。
鬼宿は、異能の持ち主が多い本命宿です。
鬼宿さんには、一族やグループ・団体などを率いて責任ある立場になり、その役割を良く果たす人が多く出てきますので、足利義満が室町幕府を代表する将軍となったのは、鬼宿生まれだったからかもしれません。
足利義満は火曜生まれの鬼宿さんなので、遠慮なくモノをいいますが、心根はさっぱりとしたタイプです。
しかし、秘密にしておくことができないところがあり、憎めない人物だったようです。
鬼宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「鬼宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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