明智光秀との関係があった足利将軍
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
『麒麟がくる』では、ふたりの足利将軍が登場します。
ひとりは、最後の足利将軍である足利義昭。
義昭は、光秀の主人であり、織田信長の庇護を受けた人物です。
もうひとりは、足利義輝。
こちらは、若き織田信長とも会ったことがあるかもしれない将軍であり、将軍でありながら、京の実権を握る三好家と権力争いの末に戦死した将軍です。
足利義昭は、実力もないのに、将軍という地位を尊重してくれるサポーターを求めて、点々とします。
一般的には、不甲斐ない人という印象があるかもしれません。
もう一方の足利義輝は、頭も切れ、武士としての実力も十分な人物として描かれることが多いようです。
このふたりの将軍は、どんな人たちだったのでしょうか。
足利義輝と足利義昭を九星気学で占ってみると?
■足利義輝(5-9-1)
足利義輝は、1536年3月31日生まれ。
本命星:五黄土星
月命星:九紫火星
傾斜宮:一白水星
足利義輝は、月命星の九紫火星から本命星の五黄土星へとエネルギーが流れる相生の関係です。
しかし、本命星の五黄土星が傾斜宮の一白水星を剋し、傾斜宮の一白水星と、月命星の九紫火星も相剋の関係なので、本音と建前を使い分けることができる人のようです。
五黄土星は九星のなかで最も強い星であり、腐食作用によって、周囲に影響を及ぼします。
運勢は極端になりやすく、大成功する人もいれば、どん底の生活を送る人も多いのです。
九紫火星は火であり、太陽を意味していて、感覚的で興味がどんどん移り変わるという性質を持っています。
一白水星は水であり、表面的には柔軟性はありますが、秘密主義で頑固な一面があります。
火と水をという両極端の性質を持っていることから、精神的には激しやすく、いったん決めたことは、最後まで押し通そうとするところがあります。
足利義輝は、出自的には足利将軍の中でも最上クラスなのですが、すでに足利幕府の勢力が衰えていたため、近江坂本と京との間を行ったり来たりして、細川勢や三好勢との戦に明け暮れています。
このような状況にありながら、最後まで足利幕府の再興と将軍権威の復活のために働くことができたのは、意志の強さと行動力を持っていたからでしょう。
足利将軍のなかで、五黄土星生まれは足利義輝だけであり、過酷な運命を生きるためには五黄土星生まれでなければならなかったのかもしれません。
■足利義昭(4-7-2)
足利義昭は、1537年12月15日生まれ。
本命星:四緑木星
月命星:七赤金星
傾斜宮:二黒土星
足利義昭は、本命星の四緑木星と月命星の七赤金星は、金剋木(金属は木を切り倒す)という相剋の関係にあります。
精神が行動を剋しているので、行動に移す前に悩み、迷うタイプです。
しかし、隠れた性格である二黒土星は、月命星の七赤金星にエネルギーを与えているため、気持ち的には固まっていることが多いのです。
四緑木星生まれは、義侠心が厚く、人の気持ちを読み取ることが上手ですが、取り越し苦労が多く、移り気な面があります。
しかし、自分が信じることを主張するときには、強気で交渉事をまとめるようなネゴシエーターの一面も。
七赤金星は、カンが鋭く、批判力がありますが、明るく楽しい性質を持っているので、良くも悪くも大きな影響力を持っています。
四緑木星のコミュニケーション能力と、七赤金星の、自分に有利なように周囲を説得する力は、足利義昭にとって、大きな武器となったことでしょう。
傾斜宮の二黒土星にはまじめさ、謙虚さという資質があるため、周囲からは良い印象をもたれやすい傾向があります。
また、四緑木星は盲目的に人を信じてしまうため、だまされやすい人ではあるのですが、足利義昭が、豊臣秀吉から大名として認められ、前将軍として余生を送ったのは、周囲からは「かわいい奴」と思われていたからかもしれませんね。
歴代の天皇にも、この星回りが最も多く、また芸術文化人にも多いので、足利義昭的な人物が成功しやすいとも言えます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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足利義輝・足利義昭と織田信長・明智光秀の相性を九星気学でみてみると?
明智光秀の生年月日は推定で2つあるため、本命星の四緑木星だけを五行に書き入れています。
これをみると、足利義輝と織田信長の相性は良いことがわかります。
足利義輝が、永禄の変で死なず、織田信長がもう少し早く生まれていたなら、良きパートナーとなった可能性が高いでしょう。
足利義昭と織田信長は、相性が良いように見えて、そうでもない関係です。
足利義昭は、他力本願の二黒土星を持っているため、織田信長に対して、依頼心の強い態度に出て、無い物ねだりをしたことが、よくわかります。
信長は、現実的で、結果が出ることがわかっていることに対する投資は惜しみませんが、無い物ねだりにはつきあってはくれません。
明智光秀と足利義昭は、同じ四緑木星を本命星にもっていますから、お互いに共通点が多いように感じていたかもしれません。
足利義輝と足利義昭を宿曜占星術で占ってみると?
■足利義輝【張宿】
宿曜占星術では、足利義輝は張宿の生まれです。
張宿は、華やかな存在感があり、自然と中心人物となる本命宿です。
張宿さんは豪快で精力的、頼もしい人物であり、話し上手で、相手の心をつかみます。
また、学問を好み、理論家であるため、話には説得力があります。
野心家で、策略を用いてグループを統率する運勢を張宿さんは持っているのですが、足利義輝は金曜生まれの張宿さんなので、策を弄すると、良い結果につながりません。
足利義輝は近衛家を外戚に持つことから、公家的な策を弄し、敵対勢力を暗殺しようとしていたという研究がありますが、このことが張宿生まれの義輝の運気を下げたのかもしれません。
張宿生まれには、徳川吉宗、イーロン・マスク、堀江貴文さん、草間彌生さん、江戸川乱歩など、時代の変革者が多い傾向が見られます。
それだけ強いエネルギーを持っているということでしょう。
張宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「張宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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■足利義昭【参宿】
宿曜占星術では、足利義昭は参宿の生まれです。
参宿は、自分を信じることができる、生まれながらの陽性が多い本命宿です。
参宿さんは、陽気で正直なため、憎めない人柄です。
才気が全身にあふれており、いつも何かを求めてよく働き、新しいものに好奇心を抱き、実行力があり、世の中を変えていこうと考えています。
また、上司や有力者に近づいて信用もされるので、出世する運命を持っているのですが、毒舌家。
参宿さんは、相手の立場を考えず、勝手な論理を組み立て、相手を傷つけることがあり、しばしば無用な敵をつくり、孤立することがあるのです。
足利義昭が人生を全うできたのは、憎めない奴だったからなのですが、織田信長に放り出されてしまったのは、自分に都合の良い論理を展開して、織田信長を敵にしてしまったからでしょう。
参宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「参宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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足利義輝・足利義昭と織田信長の相性を宿曜占星術でみてみると?
張宿の足利義輝と房宿の織田信長は、【安・壊】の関係です。
【安・壊】の関係は、引き合うエネルギーが強いので、はじめは互いに魅力を感じます。
しかし、房宿は冷淡なところがあるため、張宿は振り回されることに。
一緒になにかを企てる間柄にはなりにくい関係です。
参宿の足利義昭と房宿の織田信長は、【友・衰】の関係です。
【友・衰】の関係とは、一定の期間は、良い関係を構築できますが、いずれは別れてしまう間柄のこと。
房宿は用心深く、参宿は行動派で、互いに相反する資質をもっていますが、学び合える関係にあり、どちらかと言えば、参宿が房宿に対して片思いというイメージです。
エネルギーは、織田信長から足利義昭に流れているので、織田信長にしてみれば、はやく足利義昭との関係を切りたいと考えたとしても、わからなくはありません。
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