「容姿ことのほか美しく堂々とし、武器を取れば勇猛果敢であった」
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
歴史好きな方なら、チェーザレ・ボルジアのことはご存知でしょう。
マキャヴェッリは、「容姿ことのほか美しく堂々とし、武器を取れば勇猛果敢であった」と評し、著作の『君主論』では、チェーザレ・ボルジアが理想的な君主の能力を持っているとしています。
チェーザレ・ボルジアについて調べてみました。
チェーザレ・ボルジアを九星気学でみると?
■チェーザレ・ボルジア(3-7-1)
チェーザレ・ボルジアは、1475年9月13日生まれ。
本命星:三碧木星
月命星:七赤金星
傾斜宮:一白水星
チェーザレ・ボルジアは、本命星の三碧木星に対して、傾斜宮の一白水星からエネルギーが流れる相生の関係です。
三碧木星は音であり雷を表しており、開拓精神が旺盛で、積極的という資質を持っており、疾走するイメージがあります。
三碧木星は、言葉や言語能力の高さを意味しているため、この星回りの人は、言葉による影響力を持ちやすく、また、言葉で無用の敵を作りやすい傾向があります。
七赤金星は精錬された鉱石であり、金運を表しています。
七赤金星は、陽気で楽しくさせる反面、言葉では誰にも負けない批判力を持ち合わせています。
この七赤金星が、本命星の三碧木星を尅しているため、自分の頭のなかでコーチ(七赤金星)と選手(三碧木星)が同居しているタイプと言えそうです。
一白水星は水であり、表面的には誰にでもあわせられるように見えて、実は頑固者。
この星回りは、確信してから実行に移しているタイプと言えるのではないでしょうか。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【三碧木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
チェーザレ・ボルジアの運気を九星気学でみてみると?
■1483年 教皇庁書記長
1483年は四緑木星中宮年で、三碧木星は東南にあり、運気は旺盛です。
このとき、チェーザレ・ボルジアは7歳なので、月命星の七赤金星をみると、北東にあり変化変動、そして目上のサポートがある暗示があります。
チェーザレ・ボルジアは、父のロドリーゴの力添えもあり、教皇庁書記長、バレンシア大聖堂司教座聖堂参事会員、ガンディア司祭などに就任します。
■1492年 バレンシア大司教
1492年は四緑木星中宮年で、三碧木星は東南にあり、運気は旺盛です。
チェーザレ・ボルジアは17歳で、バレンシア大司教に抜擢されます。
これは、父のロドリーゴが、アレクサンデル6世として教皇の座についたからです。
■1493年 バレンシア枢機卿
1493年は三碧木星中宮年で、花が咲くときです。
しかし、三碧木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
チェーザレ・ボルジアは、枢機卿会議において、バレンシア枢機卿に任命されます。
■1497年 弟・ホアンが暗殺される
1497年は八白土星中宮年で、三碧木星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
三碧木星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
チェーザレ・ボルジアの弟・ホアンが暗殺され、のちにチェーザレ・ボルジアが容疑者の一人となります。
■1498年 枢機卿及びバレンシア大司教の地位を返上
1498年は七赤金星中宮年で、三碧木星は北にあり本厄、そして歳破がついています。
また、三碧木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
三碧木星にとって、これ以上ないほどの良くない運気です。
チェーザレ・ボルジアは、ホアン殺害容疑者に名前が挙げられるうえに、枢機卿及びバレンシア大司教の地位を返上することになります。
■1499年 結婚
1499年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり後厄ですが、三碧木星の定位には四緑木星が回座し、結婚と知名度アップの暗示があります。
チェーザレ・ボルジアは、ナバーラ王フアン3世の妹シャルロット・ダルブレと結婚。
その後、聖ミカエル騎士団の騎士に叙され、フランス王家との養子縁組も行い、以降チェーザレ・ボルジア・ディ・フランチアと名乗り、一般的にはヴァレンティーノ公爵と称されるようになります。
また、12月にはイーモラを攻略します。
■1500年 教皇軍総司令官
1500年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位の東に戻り、運気は上昇に転じます。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
チェーザレ・ボルジアは、イーモラとフォルリの戦功で、古代ローマのガイウス・ユリウス・カエサルが行った凱旋式と同様の催しを挙行します。
また、父であるアレクサンデル6世は、イーモラとフォルリの統治権をチェーザレ・ボルジアに与えることを公布、あわせて教会軍総司令官に任命します。
しかし、ルクレツィアの夫・アルフォンソが襲撃されう事件が起こると、チェーザレ・ボルジアが最も利益を得る立場にあったことから、またも疑われることに。
■1501年 ロマーニャ公爵
1501年は四緑木星中宮年で、三碧木星は東南にあり、運気は旺盛です。
三碧木星の定位には二黒土星が回座し、受け身の暗示があり、歳破がついています。
チェーザレ・ボルジアは、ファエンツァを攻略し、教皇からロマーニャ公爵に任命されます。
■1502年 マキァヴェッリ
1502年は三碧木星中宮年で、花が咲くときです。
しかし、三碧木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
チェーザレ・ボルジアは、ウルビーノ、サン・マリーノ、カメリーノなどを攻略。
フィレンツェの特使であるマキァヴェッリが、チェーザレ・ボルジアのもとを訪れます。
また、レオナルド・ダ・ヴィンチが、チェーザレ・ボルジアの軍事技術者として、ともにイタリア中を行脚するようになります。
⇒ レオナルド・ダ・ヴィンチの性格・運気・運勢を占ってみると
しかし、チェーザレ軍の内部の傭兵隊長(コンドッティエーレ)らが、反旗を翻します。
■1503年 父・アレクサンデル6世崩御
1503年は二黒土星中宮年で、三碧木星は北西にあり、実をつけるときです。
三碧木星の定位には九紫火星が回座し、「離」の作用が働く暗示があります。
チェーザレ・ボルジアの父・アレクサンデル6世が崩御すると、教皇のユリウス2世は、チェーザレ・ボルジアを逮捕・軟禁し、全財産を没収します。
「離」の作用が働くときは、現状から「離れる」運気となります。
チェーザレ・ボルジアの場合、父との死別、公職を奪われ、財産も失うという、強い「離」の作用があったようです。
■1507年3月12日 戦死
チェーザレ・ボルジアは、父のアレクサンデル6世を失ってからは、逆風の日々を過ごします。
1507年3月12日、ナバーラ王国とスペインとの戦闘において、チェーザレ・ボルジアは戦死します。
32歳でした。
この日の九星盤をみると、年盤・月盤・日盤がすべて七赤金星中宮です。
いずれも三碧木星は北にあり本厄です。
また、三碧木星の定位には五黄土星が回座し、五黄殺、つまり自滅の暗示があります。
年盤と月盤では西に破、日盤では東(五黄土星)に破があります。
三碧木星にとって、この日の運気は、最悪の部類にはいるでしょう。
チェーザレ・ボルジアは、父の後ろ盾を失ってからは、政敵のユリウス2世(ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ)によって追い込まれることとなり、非業の最期を遂げることとなったようです。
チェーザレ・ボルジアを宿曜占星術で占ってみると?
■チェーザレ・ボルジア【奎宿】
宿曜占星術では、チェーザレ・ボルジアは奎宿の生まれです。
奎宿は、古来より「貴人の星」とされ、清廉潔白、思慮深く、きれい好きな本命宿です。
敬愛されるお坊ちゃん、お嬢さまタイプが多く、誇り高い性格です。
しかし、育ちが良いため世間を見る視野が狭く、一度転落すると、とことんまで落ちてしまいます。
チェーザレ・ボルジアが、後ろ盾を失ってからの転落ぶりをみると、やはり奎宿の資質が出ていたのだと考えられます。
また、レオナルド・ダ・ヴィンチも同じ奎宿の生まれで、チェーザレ・ボルジアとは【命・命】の関係なので、似た者同士で、気があったのではないでしょうか。
チェーザレ・ボルジアは、水曜生まれの奎宿さんなので、善良で、恨みを残すことがない、さっぱりとしたタイプ。
ただし、失言が多いようです。
傭兵隊長に反旗を翻されてしまうのは、チェーザレ・ボルジアの失言によるものかもしれません。
奎宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「奎宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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