今様好きで『梁塵秘抄』を編集
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
後白河天皇は、今様好きと伝わっていますが、現代ならJ-POP好きの天皇だったようです。
好きすぎて、今様を集めて『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編集したほど。
「昼は一日中歌い暮らし、夜は一晩中歌い明かした。声が出なくなったことは三回」と記録に残っています。
後白河天皇について調べてみました。
後白河天皇を九星気学で占ってみると?
■後白河天皇(9-6-8)
後白河天皇は、大治2年9月11日(1127年10月18日)生まれ。
本命星:九紫火星
月命星:六白金星
傾斜宮:八白土星
後白河天皇は、本命星の九紫火星から傾斜宮の八白土星へ、傾斜宮の八白土星から月命星の六白金星へとエネルギーが流れる相生の関係です。
行動することによって、精神や思考を傷つけてしまうタイプで、確信を持ちにくい傾向があります。
九紫火星は、興味が次々と移り変わり、アイデアもどんどん出てくる、熱しやすく冷めやすいタイプ。
傾斜宮の八白土星が、ひらめきの九紫火星と、理想を追求する六白金星を橋渡しする星回りとなっており、湧いてきたアイデアを最も良い形にするにはどうすればよいか、徹底的に考えるような人といえます。
八白土星はプライドのために努力する星であり、頑固な星でもあります。
自分の運命を開拓するエネルギーを持っており、自分のためには他人の力を利用することも。
六白金星は独立志向が強く、プライドが高いのですが、九紫火星も八白土星も、ともにプライドが高いため、後白河天皇は、自分の権力を維持するために何をすべきか、と常に考えていたのではないでしょうか。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【九紫火星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
後白河天皇の運気を九星気学でみてみると
■1155年 天皇即位
1155年は八白土星中宮年で、九紫火星は北西にあり、実をつけるときです。
九紫火星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
三碧木星には「長男」という象意もありますから、後白河天皇が、鳥羽天皇の四男で、そもそも天皇になることはなかったことを考えると、意味が深いです。
後白河天皇は、近衛天皇の第一皇子の守仁親王が即位するまでの中継ぎとして、立太子を経ないままに即位します。
■1158年 太上天皇となる
1158年は五黄土星中宮年で、九紫火星は定位に戻って南にあり、前厄です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
後白河天皇は、予定通り、守仁親王(二条天皇)に譲位し、太上天皇となります。
■1159年 平治の乱
1159年は四緑木星中宮年で、九紫火星は北にあり本厄ですが、定位対冲です。
九紫火星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
後白河院政派と二条親政派の対立が強まり、平治の乱が勃発しますが、平清盛が武力で制し、後白河院政派は壊滅状態となります。
しかし、後白河院は、二条親政派の中心人物の大炊御門経宗・葉室惟方の逮捕を、平清盛に命じ、後白河院政派と二条親政派の対立は膠着状態となります。
■1164年 蓮華王院造営
1164年は八白土星中宮年で、九紫火星は北西にあり、実をつけるときです。
九紫火星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
後白河院は、平清盛の助力によって、蓮華王院を造営します。
また、蓮華王院には荘園・所領が寄進され、後白河院の経済基盤も強化されます。
■1167年 院政をはじめる
1167年は五黄土星中宮年で、九紫火星は定位に戻って南にあり、前厄です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
後白河院は、人事を刷新し、積極的に政治に関わるようになります。
■1179年 治承三年の政変
1179年は二黒土星中宮年で、九紫火星は東に出て、運気は上昇に転じます。
九紫火星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
平清盛の娘の盛子が死亡すると、後白河院は盛子の荘園を清盛に無断で没収。
さらに清盛の嫡男・重盛が病死すると、後白河院は平重盛の知行国であった越前国を没収します。
これに対して、平清盛は、福原から軍勢を率いて上洛し、クーデターを決行。
反平氏的とされた公卿・近臣を全て解任し、代わって親平氏的な公家を任官させます。
また、後白河院は鳥羽殿に幽閉され、院政は完全に停止します。
■1184年 平氏追討
1184年は六白金星中宮年で、九紫火星は北東にあり、変化変動です。
九紫火星には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
後白河院は、幽閉から開放されると、摂政・松殿師家を解任して公卿議定を開くと、平氏追討を主張します。
■1185年 東大寺大仏開眼供養
1185年は五黄土星中宮年で、九紫火星は定位に戻って南にあり、前厄です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
後白河院は、大仏の開眼供養のため、東大寺に御幸します。
この年には、京都を文治地震が襲っています。
■1190年 源頼朝と対面
1190年は九紫火星中宮年で、花が咲くときです。
九紫火星には四緑木星が回座し、拡散・信頼の暗示があります。
後白河院は、源頼朝と、初めての対面を果たします。
■1192年4月26日 死去
後白河院は、1192年4月26日、亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤と日盤はどちらも七赤金星中宮で、九紫火星は西にあり、暗剣殺です。
月盤では、九紫火星は北東にあり、変化変動の暗示があります。
また、年盤の九紫火星には、月盤の八白土星が回座し、変化変動の暗示もあり、人生の終末を予告するかのようです。
月盤の九紫火星には、日盤の一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があるので、病気の回復は期待できないことがわかります。
たまたま中継ぎで天皇になった後白河天皇でしたが、権力を握り続けるために、周囲の人を利用してきた人生だったように見えます。
後白河天皇を宿曜占星術で占ってみると?
■後白河天皇【壁宿】
宿曜占星術では、後白河天皇は壁宿の生まれです。
壁宿は、遊び人の本命宿と言われています。
壁宿さんは、善良で温厚、気取りや飾りっ気がなく、庶民的なタイプなので、後白河天皇が、今様の仲間として、身分に関係なく人とつきあったのは、壁宿さんの性質によるものでしょう。
後白河天皇は火曜生まれの壁宿さんなので、人から言われるままに動く、子どものように正直な人です。
しかし自分が中心的な立場になると、即断即決で、迷ったり、考えたりすることが少なくなります。
また、失敗しても、再チャレンジして成功する暗示があります。
後白河天皇が、院政にこだわったのは、このような壁宿の運勢が色濃く出ているからかもしれません。
壁宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「壁宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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