承久の乱で敗北、隠岐に配流される
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が始まりました。
承久の乱が描かれることになると思われますが、鎌倉側の最大の敵となるのが後鳥羽上皇です。
後鳥羽上皇について調べてみました。
後鳥羽天皇を九星気学でみると?
■後鳥羽天皇(1-2-4)
後鳥羽天皇は、1180年8月6日生まれ。
本命星:一白水星
月命星:二黒土星
傾斜宮:四緑木星
後鳥羽天皇は、本命星の一白水星から傾斜宮の四緑木星にエネルギーが流れる相生の関係ですが、月命星は二黒土星なので、土剋水(土は水を堰き止める)という相剋の関係も持っています。
一白水星は水であり、表面的な柔軟性とは異なり、秘密主義であり、深く思考して創造性や企画性を高めるという資質を持っています。
二黒土星は母なる大地であり、まじめで勤勉な性質を意味しています。
また、万物を育成するのが二黒土星であり、人を育てる資質をもっていますから、緒方洪庵が適塾で多くの人を育てたのは、まさに二黒土星の資質によるものでしょう。
四緑木星は風であり、人の心を読むことに長けたネゴシエーターであり、自分の信じることを語るときは、とんでもない説得力を発揮することも。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【一白水星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
後鳥羽天皇の運気を九星気学でみると
■1183年 天皇即位
1183年は七赤金星中宮年で、一白水星は北東にあり、変化変動です。
一白水星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
後鳥羽天皇は、三種の神器が揃わないまま、第82代天皇に即位します。
■1192年 後白河法皇崩御
1192年は七赤金星中宮年で、一白水星は北東にあり、変化変動です。
一白水星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
後白河法皇が崩御し、後鳥羽天皇は、九条兼実を関白として朝廷を指導するようになります。
■1198年 院政をはじめる
1198年は一白水星中宮年で、花が咲くときです。
一白水星の定位には六白金星が回座し、天の暗示があります。
後鳥羽天皇は、上皇となり院政をはじめ、以降23年間も治天の君として君臨します。
■1221年 承久の乱
1221年は五黄土星中宮年で、一白水星は定位の北にあり、本厄です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
また、良くも悪くも注目される暗示があり、「離」の作用も働くときです。
後鳥羽上皇は、執権・北条義時追討の院宣を出し、承久の乱を起こします。
しかし、幕府の大軍に完敗し、隠岐島に配流されます。
「離」の作用とは、現在地点から離れることを意味しており、後鳥羽上皇の場合には、まさに転居であり、さらには権力が剥奪されたことを意味しているのではないでしょうか。
■1239年3月28日 崩御
1239年3月28日、後鳥羽上皇は隠岐で、崩御します。
この日の九星盤をみてみましょう。
年盤では、一白水星は北にあり本厄です。
月盤では一白水星が中宮にあり「命厄」。
また、年盤の一白水星には、盤の六白金星が回座していますから、体調は徐々に悪化して、寿命を全うしたようです。
12歳で天皇に即位した後鳥羽上皇は、中世屈指の歌人であり、「新古今和歌集」の編纂を命じました。
また、自ら日本刀を打つなど、多彩な才能に恵まれた天皇であったようです。
後鳥羽天皇を宿曜占星術でみると?
■後鳥羽天皇【危宿】
宿曜占星術では、後鳥羽天皇は危宿の生まれです。
危宿は、直観力やセンスが光る本命宿です。
危宿さんは、自分のやりたいことや仕事には、研究を怠らず、寝ても覚めても改善点や新企画を考えます。
また、デリケートな心を持っていますが、素直に態度に表すことができず、ぶっきらぼうな態度になってしまうことがあります。
後鳥羽天皇は、水曜生まれの危宿さんなので、気が多く、見当外れな気を回す人です。
運気の良し悪しが大きく別れる可能性を持っており、治天の君から一転、隠岐に配流された天皇でもあるので、まさに運気に左右されたのではないでしょうか。
危宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「危宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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