東の渋沢栄一、西の五代友厚
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
五代友厚といえば、朝ドラ『あさが来た』でディーン・フジオカさんが演じていましたが、今度は三浦春馬さんが映画『天外者』で演じます。
五代友厚は、渋沢栄一とならび称された実業家であり、明治の日本を近代的な経済社会にするために尽力した人物です。
大河ドラマ『青天を衝け』でも登場しそうです。
五代友厚について調べてみました。
⇒ 新一万円札の渋沢栄一とは?性格・運気・運勢を占ってみると
五代友厚を九星気学で占ってみると?
■五代友厚(2-2-6)
五代友厚は、1836年2月12日生まれ。
本命星:二黒土星
月命星:二黒土星
傾斜宮:六白金星
五代友厚は、本命星と月命星が二黒土星ですから、行動と気持ちが一致しています。
こういうタイプは、人の気持ちがわからない、空気が読めないタイプが多く、ときに周囲から浮いた存在になりがちです。
二黒土星は畑の土であり、植物を育てるように人も育てます。
表面的には温和であり、人のために奉仕する資質を持っていますが、利益のためには苦労を惜しまないという欲深の一面ももっています。
しかし、全般的に受け身であり、自分が先頭に立つよりも、サポート役・ナンバー2で成功しやすい傾向があります。
六白金星は理想主義者であり、気位が高く、負けず嫌いです。
独立心と上昇志向が強いく、人を犠牲にしても高位に達しようとするところがあるため、気をつけないと、自信過剰で独断専行というイメージがつきやすいと言えます。
五代友厚は、大阪経済を立て直し、商工業の組織化などのほか、教育にも尽力した人物ですが、開拓使官有物払下げ事件では、黒田清隆が、五代友厚らの関西貿易商会に安値・無利子で払下げることを決定したために激しい批判を受けることになります。
五代友厚の思考的には問題がないということであっても、世間からみれば、説明不足であり、理解できないということもあるという、典型的な事件ではないでしょうか。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【二黒土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
五代友厚の運気を九星気学でみてみると
■1862年 上海へ
1862年は三碧木星中宮年で、二黒土星は東南にあり運気は旺盛ですが、歳破がついています。
二黒土星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目されるときです。
五代友厚は、水夫に変装して上海へ行き、高杉晋作らに会います。
■1865年 ヨーロッパへ
1865年は九紫火星中宮年で、二黒土星は西にあり、収穫のときです。
二黒土星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
五代友厚は、グラバー商会が手配した蒸気船でヨーロッパに向かい、イギリス、ベルギー、プロシア、オランダ、フランス各国を巡り、翌年には帰国します。
■1866年 勝手方御用席外国掛
1866年は八白土星中宮年で、二黒土星は北東にあり変化変動、そして定位対冲、暗剣殺です。
二黒土星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりがちで、五黄殺(自滅)の暗示があります。
二黒土星にとっては最悪の運気ですが、定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときであり、人生の転機を迎えるっ人も少なくありません。
五代友厚は、薩摩にもどると、勝手方御用席外国掛に任ぜられます。
■1868年 初代大阪税関長に就任
1868年は六白金星中宮年で、二黒土星は北にあり、本厄です。
二黒土星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
五代友厚は、明治新政府から、参与職外国事務掛に任じられます。
すぐに、外国事務局判事に任じられ、大阪へ移動し、初代大阪税関長に就任。
大阪府判事に任ぜられ、大阪府政を担当します。
また、政府に大阪造幣局の設置を進言し、グラバーを通じて、香港造幣局の機械一式を六万両で購入する契約を結びます。
■1876年 堂島米商会所を設立
1876年は七赤金星中宮年で、二黒土星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
二黒土星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
五代友厚は、堂島米商会所を設立します。
■1878年 大阪株式取引所、大阪商法会議所を設立
1878年は五黄土星中宮年で、二黒土星は定位に戻って南西にあり後厄、そして歳破がついています。
定位に戻ってきたときは、新しいステージに移行するときです。
五代友厚は、 大阪株式取引所、大阪商法会議所などを設立します。
■1881年 開拓使官有物払い下げ事件
1881年は二黒土星中宮年で、花が咲くときです。
二黒土星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
五代友厚は、開拓使官有物払い下げ事件がおこり、批判を浴びることになります。
中宮のときは、吉凶混合運であるため、良いことばかりではなく、悪いことも起こりやすい運気です。
■1885年9月25日 病没
1885年9月25日、五代友厚は 糖尿病により、東京の別荘でなくなります。
49歳でした。
死の直前には、勲四等に叙せられ旭日小綬章を賜わります。
この日の九星盤をみると、年盤では、二黒土星が南にあり前厄です。
二黒土星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
月盤では、二黒土星は北西にあり、実をつけるとき。
しかし、年盤の二黒土星には、月盤の五黄土星が回座し、五黄殺(自滅)の暗示があります。
五黄殺のときは、持病の再発、体力の消耗などが起こりやすいので、糖尿病が悪化するのもうなづけます。
五代友厚を宿曜占星術で占ってみると?
■五代友厚【斗宿】
宿曜占星術では、五代友厚は斗宿の生まれです。
斗宿は、カリスマ的な存在となる本命宿です。
斗宿さんは、生涯、世間と深い関わりを持ち、生きがいを感じる人が多く、もめごとの仲裁に才能を発揮します。
また、優れた人物と交際することを好み、理想を掲げ、気位も自尊心も高いのですが、リアリストです。
斗宿さんには強運が備わっていますが、思いがけない陥穽も多く降りかかるという波乱含みの人生を送ります。
五代友厚が、多くの人と関わり、次々と事業を起こしていったことは、まるで斗宿のもつ運勢そのもののように思えます。
斗宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「斗宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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