日本史に残るイケメンであり、組織運営の達人
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
土方歳三は、新選組副長として、近藤勇を支え、また寄せ集めの新選組を規律の整った組織として運営しました。
日本史上に残るイケメンとしても知られ、その行動のかっこよさに心酔する人が多いことでも知られています。
土方歳三について調べてみました。
土方歳三を九星気学で占ってみると?
■土方歳三(3-2-6)
土方歳三は、天保6年5月5日(1835年5月31日)生まれ。
本命星:三碧木星
月命星:二黒土星
傾斜宮:六白金星
土方歳三は、本命星の三碧木星と月命星の二黒土星は、木剋土(木は土をしめつけ栄養を奪う)の相剋の関係です。
三碧木星は音であり、振動をあらわし、言語能力の高い人が多いという傾向があります。
おしゃべりで活発、いつまでも若々しい精神の持ち主が多く、開拓精神が旺盛です。
二黒土星は大地であり、万物を育むように、人も育成します。
そして、六白金星は天であり、独立心の強さを意味します。
人に指図されることが嫌いな理想主義者が多いのが六白金星です。
土方歳三は悩みの多い人でしたが、自分の理想に基づいて新選組を作り上げ、隊士の面倒もよく見たのは、二黒土星と六白金星によるところが大きいようです。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【三碧木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
土方歳三の運気を九星気学でみてみると
■1859年 天然理心流に入門
1859年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり、後厄です。
三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
土方歳三は、天然理心流に入門します。
■1863年 浪士組として京都へ
1863年は二黒土星中宮年で、三碧木星は北西にあり、実をつけるときです。
三碧木星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも目立つときです。
土方歳三は、江戸幕府の浪士組に応募し、京都へ赴きます。
京都では、八月十八日の政変後、壬生浪士組の活躍が認められ、新選組が発足します。
■1864年 池田屋事件
1864年は三碧木星中宮年で、花が咲くときです。
三碧木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
池田屋事件では、土方歳三は、池田屋の応援に駆けつけますが、池田屋の周りを固めて、駆けつけた会津藩・桑名藩の兵を池田屋に入れず、新選組の手柄を守ります。
これにより、新選組の名前が全国に広がります。
■1867年 幕臣となる
1867年は七赤金星中宮年で、三碧木星は北にあり、本厄です。
三碧木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
土方歳三は幕臣に取り立てられますが、大政奉還、王政復古となり、江戸幕府は事実上終焉します。
■1868年1月27日 鳥羽・伏見の戦い
1868年1月27日、鳥羽・伏見の戦いが勃発すると、土方歳三は、近藤勇の代わりに新選組を率いて戦いますが、敗北します。
この日の九星盤をみてみましょう。
年盤では、三碧木星は北にあり本厄。
三碧木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
月盤では、三碧木星は南西にあり後厄、そして月破がついています。
年盤の三碧木星には、月盤の二黒土星が回座し、受け身の暗示があります。
日盤では、三碧木星は東南にあり運気は旺盛ですが、月盤の五黄土星に回座し、五黄殺の影響を受けています。
月盤の三碧木星には、日盤の一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
三碧木星にとって、最悪といって良い運気ですので、土方歳三が敗北したのは仕方のないことだったと思います。
しかし、鳥羽・伏見の戦いは自滅的な敗北であり、これによって土方歳三は、近代兵器や近代的な軍事に目覚めたと言われています。
■1868年5月17日 近藤勇斬首
近藤勇が新政府軍にとらえられ、斬首されたのは1868年5月17日のこと。
この日の九星盤では、土方歳三の三碧木星は南西にあり、後厄です。
三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
月盤では、三碧木星は北西にあり、月破がついています。
年盤の三碧木星には、月盤の八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
日盤では、三碧木星は北にあり本厄。
月盤の三碧木星には、日盤の八白土星が回座し、やはり変化変動の暗示があります。
土方歳三にとって、近藤勇の死は思いもよらないことではあったかもしれませんが、土方歳三の人生にとって転機となったようです。
ちなみに、四緑木星生まれの近藤勇の運気をみてみると、年盤では東にでて運気上昇のときなのですが、四緑木星の定位には五黄土星が回座し、自滅(五黄殺)の暗示があります。
月盤では、四緑木星は西にあり収穫・結果のとき。
年盤と月盤の四緑木星は対冲しているので、波乱の運気であることがうかがえます。
年盤の四緑木星には、月盤の九紫火星が回座し、「離」の作用、つまり別離の暗示があります。
近藤勇の勢いが下降し、新政府軍に追われるような状況では、逃げ切れると言えそうもない運気といえます。
■1869年 死去
1869年は五黄土星中宮年で、三碧木星定位に戻って東にあり、運気は上昇に転じます。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
土方歳三は、箱館へと移ると、「蝦夷共和国」の陸軍奉行並となり、箱館市中取締や陸海軍裁判局頭取もつとめます。
土方歳三は、二股口の戦いで新政府軍の進撃に対し徹底防戦します。
しかし、新政府軍の箱館総攻撃が開始され、島田魁らが新政府軍に包囲され孤立すると、土方歳三は救出のため出陣し、乱戦のなか死亡します。
享年35。
土方歳三を宿曜占星術で占ってみると?
■土方歳三【星宿】
宿曜占星術では、土方歳三は星宿の生まれです。
星宿は、負けず嫌いで屈服せず、泣き寝入りもしない、反骨精神も旺盛な本命宿です。
星宿さんは、主流からはずれたところで花を咲かせ、そのほうが成功しやすいという運勢を持っています。
社会の常識とか、既成の型にはまることを好まず、好きなことを徹底して行う完全主義者でもあります。
土方歳三が、日本史上かっこいい男として認識されているのは、星宿さんの資質によるところが大きいかもしれません。
星宿の土方歳三と、壁宿の近藤勇は、「友・衰」の関係です。
エネルギーは土方歳三から近藤勇へと流れており、良き友人関係であったと思われます。
星宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「星宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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