徳川家康の孫であり、徳川家光の異母弟
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
保科正之といえば、 徳川家光の異母弟であり、会津藩初代藩主として知られています。
また、家光と家綱の政治を補佐し、名君としても知られています。
保科正之について調べてみました。
保科正之を九星気学で占ってみると?
■保科正之(2-7-9)
保科正之は、慶長16年5月7日(1611年6月17日)生まれ。
本命星:二黒土星
月命星:七赤金星
傾斜宮:九紫火星
保科正之は、本命星の二黒土星から、月命星の七赤金星にエネルギーが流れる相生の関係です。
二黒土星は耕された土であり、まじめで勤勉、受け身タイプが多い星で、サポート役に徹することで、才能が開花します。
七赤金星は精錬された金属であり、お金を意味しています。
また、七赤金星には批判力が備わっており、言語能力が高い性質をもっており、斜めからモノをみて批判する力があります。
九紫火星は感覚的、芸術センスが高いのですが、移り気です。
行動に対して隠れた性格がエネルギーを与えていることからみて、理性よりも本能的な行動が優先される傾向が見られます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【二黒土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
保科正之の運気を九星気学でみてみると
■1629年 徳川家光と初対面
1629年は二黒土星中宮年で、花が咲くときです。
二黒土星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
保科正之は、実兄である三代将軍・徳川家光と初めて対面します。
■1631年 高遠藩藩主
1631年は九紫火星中宮年で、二黒土星は西にあり、収獲のときです。
二黒土星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
保科正之は、徳があ秀忠の命により、保科肥後守正之と名を改め、高遠藩藩主となります。
■1632年 父・秀忠死去
1632年は八白土星中宮年で、二黒土星は北東にあり変化変動、そして暗剣殺です。
二黒土星の定位には五黄土星が回座し、五黄殺(自滅)の暗示があります。
また、定位対冲であり、運命の歯車が大きく動くときです。
さらに歳破までついていますので、二黒土星にとっては最悪ともいえる運気です。
しかし、このようなときに人生の転機を向かえる人が多いのは、二黒土星の特徴でしょう。
保科正之は、父・秀忠を失いますが、兄・家光には可愛がられ、「御遺物」として銀500枚を授けたほか、芝増上寺の廟建立の責任者に任命します。
また、家康の17回忌のために日光東照宮へ参る徳川家光に同行するなど、別格の扱いを受けるようになります。
■1636年 山形藩20万石
1636年は四緑木星中宮年で、二黒土星は東に出て、運気は上昇に転じます。
しかし、二黒土星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
保科正之は、山形藩20万石を拝領すると、3000人に上る高遠の領民が逃散し、正之の後を追って山形についていくということが起こります。
■1643年 会津藩23万石
1643年は六白金星中宮年で、二黒土星は北にあり、本厄です。
二黒土星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
保科正之は、会津藩23万石の大名となります。
■1651年 兄・家光死去
1651年は七赤金星中宮年で、二黒土星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるとき。
二黒土星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
保科正之は、徳川家光を見舞うと、「今後保科家は代々萌黄色の着用を許す」と萌黄色の直垂と鳥帽子を与えられます。
また、家光が正之を枕頭に呼び寄せた際に、「家綱を頼む」と遺言したと伝わります。
■1668年 会津家訓十五箇条
1668年は八白土星中宮年で、二黒土星は北東にあり変化変動、そして暗剣殺です。
二黒土星の定位には五黄土星が回座し、五黄殺(自滅)の暗示があります。
また、定位対冲であり、運命の歯車が大きく動くときです。
さらに歳破までついていますので、二黒土星にとっては最悪ともいえる運気です。
保科正之は、この九星盤のときに、転機を迎えるようです。
正之は『会津家訓十五箇条』を定めると、藩主・藩士は、幕末までこれを忠実に守ります。
■1672年 死去
1672年は四緑木星中宮年で、二黒土星は東に出て、運気は上昇に転じます。
しかし、二黒土星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
保科正之は、江戸三田の藩邸でなくなります。
享年63。
■1675年 土津神社建立
1675年は一白水星中宮年で、二黒土星は北西にあり、実をつけるときです。
二黒土星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
保科正之の墓所に隣接した土地に、保科正之を祭神とする土津神社が建立されます。
以後、2代・正経を除き、会津藩主は神式で祀られるようになります。
保科正之はなぜ徳川家光に愛されたのか?
保科正之と徳川家光の九星を五行に置き換えると、この2人が完全に重なっていることがわかります。
同じ星を持つ者同士は、互いに親近感を覚えるものですが、完全に重なることはなかなかありません。
しかも絶妙な重なり具合なのです。
誇り高い孤高の将軍であった、九紫火星生まれの徳川家光の邪魔にならない、謙虚な二黒土星生まれの保科正之が見えてきます。
まず、徳川家光の本命星である九紫火星から、保科正之の本命星である二黒土星へエネルギーが流れています。
次に、徳川家光の月命星の八白土星から、保科正之の月命星である七赤金星へエネルギーが流れています。
家光が正之をかわいがったのは、このエネルギーの流れによるものが大きいでしょう。
そして、徳川家光の本命星と、正之の傾斜宮が同じ九紫火星であることから、正之の直感・本能的な言動に、家光は「我が意を得たり」と感じたのではないでしょうか。
これで愛されないはずがありません。
保科正之を宿曜占星術で占ってみると?
■保科正之【翼宿】
宿曜占星術では、保科正之は翼宿の生まれです。
翼宿は、生れもった徳や人望、実力で、いつか頭角をあらわす力量に恵まれた人が多い本命宿です。
翼宿さんは、人柄は温厚で率直、何事も他人任せにせず、仕事に貪欲です。
財産を社会に還元することに意欲的な人が多いので、保科正之が名君と称されるのは、この翼宿さんの資質によるものが大きいかもしれません。
また、翼宿さんは、自分の理想や信念に忠実で、妥協を許さない強さがあります。
翼宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「翼宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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