主を変えて現代にまで生き残った大名家
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
足利義輝・義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と主人を変え、肥後細川家の祖となった細川幽斎(藤孝)。
実はこの細川幽斎(藤孝)は、織田信長と同じ年、同じ月の生まれなのです。
一方は臣下に暗殺され、もう一方は寿命を全うするだけでなく、現代にまで続く名家の礎となりました。
この違いは何なのでしょうか。
細川幽斎(藤孝)の性格を九星気学で占ってみると?
■細川幽斎(藤孝)(7-4-8)
細川幽斎(藤孝)は、天文3年4月22日(1534年6月3日)生まれ。
本命星:七赤金星
月命星:四緑木星
傾斜宮:八白土星
細川幽斎(藤孝)は、本命星の七赤金星は、月命星の四緑木星を剋し(金剋木)、傾斜宮の八白土星は七赤金星にエネルギーを与えているという関係です。
本音の部分と行動は一致しているけれど、理性的な精神は、その行動によって傷つけられているので、悩みがあります。
七赤金星生まれは、周囲を明るく楽しくさせる天性の才能を持っている一方、物事を斜めにみて批判できる能力を持っているため、周囲に対して影響力を持ちやすい資質を持っています。
四緑木星は風であり、人の顔色をうかがいながら話ができるというコミュニケーション能力の高さを示しています。
八白土星は山であり、目標に到達するための努力、自分のプライドのための努力は欠かしません。
この星回りは、八白土星から七赤金星にエネルギーが流れているので、冷静沈着に、そして自らの運命を開拓するために行動できるという傾向があります。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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細川幽斎(藤孝)の運気を九星気学でみてみると?
■1546年 藤孝を名乗る
1546年は四緑木星中宮年で、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
七赤金星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
細川幽斎(藤孝)は、足利義藤(後の義輝)の偏諱を受け、藤孝を名乗るようになります。
■1565年 足利義輝が三好三人衆に討たれる
1565年は三碧木星中宮年で、七赤金星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽のあたるときであり、良くも悪くも目立つときです。
七赤金星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺の暗示があります。
細川幽斎(藤孝)の主である足利義輝が三好三人衆に討たれたことから、弟の一乗院覚慶(足利義昭)を救出し、将軍擁立のために奔走することになります。
■1568年 織田信長が足利義昭を奉じて入京
1568年は九紫火星中宮年で、七赤金星は東に出て、運気は上昇に転じます。
七赤金星の定位には二黒土星が回座し、受け身の暗示があります。
細川幽斎(藤孝)は、織田信長が、足利義昭を奉じて入京するのに従います。
■1573年 織田信長の武将として転戦
1573年は四緑木星中宮年で、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
七赤金星の定位には六白金星が回座し、目上からのサポートがある暗示があります。
細川幽斎(藤孝)は、足利義昭の逆心をひそかに織田信長に伝え、織田家の家臣となります。
信長から、山城国長岡を与えられ、長岡藤孝と名乗るようになります。
以後は、信長の武将として畿内各地を転戦し、明智光秀の与力としても活躍するようになります。
■1582年 本能寺の変
1582年は四緑木星中宮年で、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
七赤金星の定位には六白金星が回座し、目上からのサポートがある暗示があります。
細川幽斎(藤孝)は、上役であり、姻戚でもあった明智光秀の再三の要請を断り、剃髪し隠居します。
家督は細川忠興に譲ります。
細川幽斎(藤孝)は、変化変動のタイミングで、見事なまでに人生の舵をきっているようです。
■1586年 豊臣秀吉から3000石を与えられる
1586年は九紫火星中宮年で、七赤金星は東に出て、運気は上昇に転じます。
七赤金星の定位には二黒土星が回座し、受け身の暗示があります。
細川幽斎(藤孝)は、豊臣秀吉に重用され、山城西ヶ岡に3000石を与えられます。
武士としての活躍もみられますが、豊臣政権、徳川政権下では、文化人として重用されるようになっています。
■1600年 豊前小倉藩39万9000石
1600年は四緑木星中宮年で、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
七赤金星の定位には六白金星が回座し、目上からのサポートがある暗示があります。
細川忠興は、関ヶ原の戦いにおいて石田三成の軍と戦い、のちに豊前小倉藩39万9000石を得ます。
また、信長以来、名乗っていた長岡から細川に復します。
■1610年 死去
1610年は三碧木星中宮年で、七赤金星は南にあり、前厄です。
七赤金星の定位には五黄土星が回座し、五黄殺の暗示があります。
細川幽斎(藤孝)は、京都三条車屋町の自邸で死去。
運気をみてくると、細川幽斎(藤孝)は、主人を得て活躍の場をつくることが上手な人だったようです。
環境要因として、没落していく足利将軍を主にしたことも影響しているのではないでしょうか。
細川幽斎(藤孝)を宿曜占星術で占ってみると?
■細川幽斎(藤孝)【室宿】
宿曜占星術では、細川幽斎(藤孝)は室宿の生まれです。
室宿は、律義者、楽天家の多い本命宿です。
室宿は運気が強く、リーダーシップがあり、物質的にも恵まれます。
歴代の天皇、首相にも多く、ジム・ロジャーズやジョージ・ソロスなど、世界的な富豪も多いのが室宿です。
商売上手、交際上手なため、大物芸能人にも室宿生まれが多いのです。
細川幽斎(藤孝)と織田信長との最大の違いは、本命宿にあるようです。
織田信長は房宿生まれであり、思わぬ災難や悲劇に見舞われる運勢をもっています。
室宿と房宿は、どちらも財運に恵まれているのですが、周囲に合わせながらリーダーシップをとる室宿と、カリスマの房宿とでは、おのずから言動が異なっていくということのようです。
室宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「室宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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27の本命宿それぞれの2020年の運気は、以下のブログをお読みになってください。
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