桜田門外の変
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
井伊直弼は、幕末の混乱時に大老となり、日米修好通商条約に調印すると、安政の大獄など、尊王攘夷派を排斥します。
最後は、水戸脱藩藩士などにより襲撃を受け、絶命します。
井伊直弼について調べてみました。
井伊直弼を九星気学で占ってみると?
■井伊直弼(5-2-8)
井伊直弼は、1815年11月29日生まれ。
本命星:五黄土星
月命星:二黒土星
傾斜宮:八白土星
井伊直弼は、本命星の五黄土星、月命星の二黒土星、傾斜宮の八白土星の3つが土に属するので、他人も自分と同じように考えているはず、という思い込みを持っている人が多い星まわりです。
五黄土星は帝王の星であり、周囲の人に強い影響力を持っています。
また、五黄土星は物欲が強く、分を超えた願望を持ちやすいので、無理な方法や手段によって、欲望を達成しようとします。
二黒土星はまじめで勤勉な星ですが、全般的に受け身であり、誰かの下にあって、生来の良さが発揮されます。
八白土星は山であり、重なった土をあらわし、プライドの高い努力家の性質を意味しています。
困難を突破することには滅法強いのです。
二黒土星・五黄土星・八白土星に共通するのは、意外にも、欲が深いという点でしょう。
物欲はもちろんですが、人生そのものに対しても欲が深い。
言い換えれば、この星回りは、達成したい目標が明確にあり、それを達成したいという気持ちが強いということです。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【五黄土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
井伊直弼の運気を九星気学でみてみると?
■1850年 彦根藩主となる
1850年は六白金星中宮年で、五黄土星東南にあり運気旺盛ですが、歳破がついています。
五黄土星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
井伊直弼は、父の隠居後に生まれた庶子でしたが、彦根藩主となります。
■1858年 大老職
1858年は七赤金星中宮年で、五黄土星は東に出て、運気は上昇に転じます。
五黄土星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
井伊直弼は、大老に就任します。
そして、日米修好通商条約に調印したことにより、徳川斉昭、松平慶永と水戸藩主・徳川慶篤、尾張藩主・徳川慶恕が江戸城に無断で登城し、井伊直弼を避難する行動にでます。
■1860年3月24日 桜田門外の変
1860年3月24日、井伊直弼は、桜田門外の変により、亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤では五黄土星が中宮にあり、運勢は吉凶混合運です。
月盤では、五黄土星は南にあり、「離」の作用があります。
年盤の五黄土星には、月盤の一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示がありますので、この場合の「離」の作用は、死の別離を意味しているようです。
日盤も月盤と同じなので、この運気は倍加していると思われます。
国難ともいえるような時勢のなか、大老職という火中の栗を拾った井伊直弼は、強いリーダーシップを持っていたからこそ、反対勢力から恨まれることとなったのではないでしょうか。
井伊直弼を宿曜占星術で占ってみると?
■井伊直弼【尾宿】
宿曜占星術では、井伊直弼は尾宿の生まれです。
尾宿は、競い合って勝ち抜くことへの執念が強く、それだけに頑固で偏屈な本命宿です。
尾宿さんは、まじめで善行への関心が強いため、親交のある人からは絶大な信頼を得ますが、駆け引きや根回しなどには関心がありませんので、対人関係がかならずしもスムーズとはいきません。
また、尾宿さんは、誤解され、中傷されることもありますが、浮足立つことなく、他人の言葉には動揺しません。
尾宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「尾宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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