兵士の感染症予防と生物兵器の研究・開発機関「731部隊」
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関である「731部隊」。
悪名高く、日本の黒歴史と言ってもよい存在かもしれません。
その「731部隊」を指揮していた石井四郎について調べてみました。
石井四郎を九星気学で占ってみると?
■石井四郎(9-1-4)
石井四郎は、1892年6月25日生まれ。
本命星:九紫火星
月命星:一白水星
傾斜宮:四緑木星
石井四郎は、月命星の一白水星が本命星の九紫火星を、水剋火(水は火を消す)という相剋の関係です。
九紫火星生まれの人は、頭脳明晰ですが、どちらかと言えば落ち着きがない傾向があります。
ひらめきや先見性がありますが、熱しやすく冷めやすいのも九紫火星の特徴です。
しかし、月命星に一白水星があるので、思索的な面もあり、企画力や創造力にも長けています。
両極端な九紫火星と一白水星を、傾斜宮の四緑木星が橋渡しをしています。
その四緑木星は、人の心を読むのが早く、話術がうまい、コミュニケーション能力が高い星。
人を信じやすく、だまされやすい一面もありますが、自分が信じることについては、手強いネゴシエーターになります。
この星回りの行動は、本能的なものなので、理性では止められません。
また、水と火という両極端の激しさを持っているので、極端な言動に走りがちな傾向があります。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【九紫火星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
石井四郎の運気を九星気学でみてみると
■1932年 防疫研究室
1932年は五黄土星中宮年で、九紫火星は定位に戻って南にあり、前厄です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
石井四郎は、防疫研究室が開設されすと、ここに所属します。
■1936年 関東軍防疫部長
1936年は一白水星中宮年で、九紫火星は東南にあり、運気は旺盛です。
九紫火星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
石井四郎は、関東軍防疫部の新設されると、関東軍防疫部長となります。
■1940年 関東軍防疫給水部(731部隊)長
1940年は六白金星中宮年で、九紫火星は北東にあり、変か変動です。
九紫火星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
関東軍防疫部は「関東軍防疫給水部(満州第659部隊)」に改編され、「関東軍防疫給水部本部(満州第731部隊)」が本部となり、石井四郎は、関東軍防疫給水部長 兼 陸軍軍医学校教官となります。
■1945年 関東軍防疫給水部長に再任
1945年は一白水星中宮年で、九紫火星は東南にあり、運気は旺盛です。
しかし、九紫火星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
石井四郎は、関東軍防疫給水部長に再任されますが、ソ連軍の侵攻を受けた満洲国を脱出し、帰還し、終戦をむかえます。
また、極東国際軍事裁判(東京裁判)では、戦犯容疑を問われましたが、731部隊の詳細な研究資料を提供したため、訴追を免れたと言われています。
■1959年10月9日 死去
1959年10月9日、石井四郎は、喉頭癌のため亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤の九紫火星は定位に戻って南にあり、前厄であり、良くも悪くも注目される暗示があります。
また、定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
月盤では、九紫火星は南西にあり後厄なので、体調面に気をつけるときです。
年盤の九紫火星には、月盤の七赤金星が回座し、喉の病気や呼吸器疾患の暗示があります。
日盤では、九紫火星は北東にあり、変化変動のときです。
月盤の九紫火星には、日盤の三碧木星が回座し、ここでも咽頭の病気の暗示があります。
石井四郎にとって、最悪の運気ではありませんが、喉に異常がでるときだったようです。
石井四郎を宿曜占星術で占ってみると?
■石井四郎【柳宿】
宿曜占星術では、石井四郎は柳宿の生まれです。
柳宿は、個性が強く、まじめに取り組むとユニークな分野で成果を出す本命宿です。
柳宿さんは、仕事運は良いほうであり、人から引き立てられたり、なぜかうまい話が飛び込んでくるツキがあります。
石井四郎にとって、731部隊の仕事は、やりがいのある仕事だったのかもしれません。
柳宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「柳宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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