なぜ伊藤博文は初代総理大臣になれたのか?
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
政治家を占うと、「なるほど、こういう資質を持っている人なのか」と納得することが多いと感じています。
『英雄たちの選択』で、若き伊藤博文が官僚として、どのように考え、何を選択していったのか、をやっていたので、がぜん伊藤博文に興味が湧いてきました。
伊藤博文について調べてみました。
⇒ 九星気学と宿曜で見る歴代総理大臣とは?小泉進次郎さんはどうなる?
伊藤博文を九星気学で占ってみると?
■伊藤博文(6-6-2)
伊藤博文は、1841年10月16日生まれ。
本命星:六白金星
月命星:六白金星
傾斜宮:二黒土星
伊藤博文は、本命星と月命星の六白金星に対して、傾斜宮の二黒土星がエネルギーを与える相生の関係です。
本命星と月命星が同じですから、行動と精神は一枚岩であるうえに、本心が応援しているので、迷いや後悔はほとんどありません。
六白金星は天であり、公的な人、高貴な人を表しています。
さらに、理想主義者であり、負けず嫌いという性質を持っており、人から指図されることを極端に嫌います。
自尊心も高く、独立精神も強いので、上を目指して前進する資質が強いため、情に流されることはありません。
二黒土星は畑の土であり、勤勉でまじめで、奉仕の精神に富んでいます。
人の世話を焼いたり、交際の幅が広げたり、女性的な社交性を発揮し、自分の力量以上にはでしゃばらない傾向があります。
しかし、二黒土星には受け身であり、他力本願というところがあり、欲が深い面もあるため、悪い資質が出てしまうと、プライドだけ高くて、いけ好かない性格となってしまうかもしれません。
ちなみに、伊藤博文のほかの六白金星生まれの総理大臣には、加藤高明、福田赳夫、清浦奎吾、岡田啓介、麻生太郎、宇野宗佑といった歴代首相がいます。
しかし、六白金星を2つ持っているのは、伊藤博文だけなのです。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
↓
伊藤博文の運気を九星気学でみてみると?
■1863年 イギリス留学
1863年は二黒土星中宮年で、六白金星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも世間の注目を集めるときです。
また、六白金星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
伊藤博文は、井上馨の薦めで、長州五傑の一人としてイギリスに渡航します。
■1870年 工部卿
1870年は四緑木星中宮年で、六白金星は西にあり、収穫のときです。
六白金星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端な結果になりやすい、五黄殺の暗示があります。
伊藤博文は、発足された工部省の長である工部卿に就任し、殖産興業を推進することになります。
■1881年 明治十四年の政変
1881年は二黒土星中宮年で、六白金星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目を集める暗示があります。
六白金星の定位には三碧木星が回座し、言論の影響が大きい運気です。
伊藤博文は、大隈重信を政界から追放すると、明治23年(1890年)に国会を開設することを約束し、伊藤博文自身が中心となる体制をつくります。
■1885年 初代内閣総理大臣
1885年は七赤金星中宮年で、六白金星は東南にあり、運気は旺盛です。
六白金星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
また、定位対冲であり、運命の歯車が大きく動くときでもあります。
伊藤博文は、初代内閣総理大臣に就任します。
このときのライバル・三条実美は、一白水星生まれで、こちらも変化変動のときだったのですが、運気的には、伊藤博文には遠く及ばなかったことがわかります。
■1894年 日清戦争
1894年は七赤金星中宮年で、六白金星は東南にあり、運気は旺盛です。
六白金星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
また、定位対冲であり、運命の歯車が大きく動くときでもあります。
伊藤博文は、第2次内閣で、日清戦争を指揮することになります。
1895年(六白金星中宮年)には、陸奥宗光とともに全権大使として、清の李鴻章と下関の春帆楼で講和交渉を行い、下関条約(馬関条約)に調印します。
李鴻章も六白金星生まれなので、伊藤博文とは、運気的には五分なのですが、定位対冲による運命の歯車が、吉凶どちらに転がったのか?ということになるのかもしれません。
定位対冲のときは、それまで悪い運気だった者には好転のきっかけを与え、良い運気だった者には災いをもたらすと考えられています。
■1898年 第3次伊藤内閣
1898年は三碧木星中宮年で、六白金星は北東にあり、変化変動です。
六白金星の定位には四緑木星が回座し、人気・名声が拡散する暗示があります。
伊藤博文は、第3次伊藤内閣を発足させますが、1次、2次が運気旺盛なときであったのですが、3次は運気が下降局面の変化変動である点が興味深いです。
そのためか、伊藤博文は、山縣有朋の反対にあって、6月には首相を辞任しています。
その後、朝鮮・清に向かい、朝鮮の高宗と会見、戊戌変法に取り組んでいた清の光緒帝に謁見など、外交に取り組んでいます。
また、北京滞在中の9月21日に戊戌の政変に遭遇しています。
■1900年 第4次伊藤内閣
1900年は一白水星中宮年で、六白金星は北にあり本厄、そして暗剣殺です。
六白金星の定位には二黒土星が回座し、受身の暗示があります。
伊藤博文は、立憲政友会を創立、初代総裁を務め、10月には政友会を中心とした第4次伊藤内閣が発足します。
しかし、内部分裂を引き起こし1901年5月に辞任することになります。
■1905年 初代韓国統監
1905年は五黄土星中宮年で、六白金星は定位に戻って北西にあり、実をつけるときですが、歳破がついています。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときですが、伊藤博文にとっては運勢が下降していくきっかけとなったのかもしれません。
伊藤博文は、初代韓国統監に就任します。
これ以降、日本は実質的な朝鮮の統治権を掌握しますが、伊藤博文は国際協調重視派であり、韓国併合について反対の立場をとっていました。
京都大学の伊藤之雄教授は「伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的な考えを持っていた」と考えています。
■1909年10月26日 ハルビン駅で暗殺される
1909年10月26日、伊藤博文は、ハルビン駅で安重根に暗殺されます。
この日の九星盤をみると、年盤では、六白金星は北にあり本厄、そして暗剣殺です。
暗剣殺は、闇夜に剣を振り回されるような凶運が襲うと考えられていますが、伊藤博文にとっては、暗殺という形となって襲ったようです。
10月の月盤では、六白金星は南西にあり後厄ですが、年盤の六白金星に月盤の五黄土星が回座し、五黄殺の暗示がありますが、これは韓国総監となったことと関連しているのではないでしょうか。
韓国民のことを考えて行動していた伊藤博文にとっては、無念であったことと思います。
理想主義者であり、官民一体となって国力を強化することが最善であると考えて行動していた伊藤博文の最後は、運に見放されたときだったようです。
伊藤博文を宿曜占星術で占ってみると?
■伊藤博文【房宿】
宿曜占星術では、伊藤博文は房宿の生まれです。
房宿は、直感力にすぐれたカリスマの本命宿です。
房宿さんは、頭脳明晰で学問を好み、生まれながらに徳を備え、高貴な人々からの引き立てを受けられる運勢を持っています。
これは、愛想がよく、相手に与える印象が良い房宿さんだからでしょう。
また、物事の判断や見通しが的確で、実行力があり、目的を達成するための忍耐力もあります。
ミスが許されない、信用や世間体を重んじる仕事に向いているのも房宿さんの強みであり、伊藤博文は、日本という国が世界からどのように見られているのか、をよく理解していたのではないでしょうか。
さらに海外運がありますから、海外との取引にも向いていますので、伊藤博文が国際協調を重視したのも納得できるところです。
房宿さんは、一代で富が集まってくる財運を持っていますが、中年期以降は、不運に見舞われる運勢です。
房宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「房宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
↓
また、27の本命宿それぞれの2020年の運気は、以下のブログをお読みになってください。
もっと読みたい方は 開運ブログへ