武家伝奏として織田信長をよく知る人物
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
『晴豊公記』という歴史の一級資料を残した勧修寺晴豊は、上級貴族であり、武家伝奏として活躍した人物です。
武家伝奏とは、室町時代から江戸時代にかけて、武家と朝廷をつなぐ職名であり、公家がその職につきました。
本能寺の変の直前に、織田信長と会見しています。
勧修寺晴豊について調べてみました。
勧修寺晴豊を九星気学で占ってみると?
■勧修寺晴豊(6-4-7)
勧修寺晴豊は、1544年3月17日生まれ。
本命星:六白金星
月命星:四緑木星
傾斜宮:七赤金星
勧修寺晴豊は、本命星の六白金星と月命星の四緑木星は、金剋木(金属は木を切り倒す)という相剋の関係です。
六白金星生まれは、自尊心が高い理想主義者であり、負けず嫌いです。
七赤金星はカンの良さと自己顕示欲の強さを表し、人から軽視されることを嫌います。
また、四緑木星は相手の心を読み取る交際上手ですが、人を信用しすぎて警戒心を怠る傾向が強く、だまされることも。
この星回りの人は、人より上位にあるための勉強や努力は欠かさないという資質を持っています。
傾斜宮の七赤金星は、本命星の六白金星と同じ金の性に属していますから、本音の部分と行動は一致するはずですが、精神は他に追随することを好む四緑木星なので、思い切ったことは出来なさそうです。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
↓
⇒ 【六白金星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
勧修寺晴豊の運気を九星気学でみてみると
■1580年 石山合戦の勅使
1580年は六白金星中宮年で、花が咲くときです。
六白金星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
勧修寺晴豊は、1570年から続く浄土真宗本願寺勢力と織田信長との戦い(石山合戦)の講話を結ぶべく、勅使として本願寺へ赴きます。
■1582年6月20日 織田信長と会見
勧修寺晴豊は、1582年6月20日(天正10年6月2日)に、織田信長の上洛を祝うための勅使として本能寺を訪れています。
この日の九星盤をみると、年盤・月盤・日盤がすべて四緑木星中宮です。
六白金星は西にあり収獲のときですが、六白金星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
もしかすると、勧修寺晴豊は織田信長から、なにか厄介事を引き受けさせられたのかも。
ちなみに、織田信長の七赤金星は北東にあり変化変動です。
年盤・月盤・日盤がすべて重なっているので、その変化の波はかなり大きいものだったといえます。
勧修寺晴豊を宿曜占星術で占ってみると?
■勧修寺晴豊【虚宿】
宿曜占星術では、勧修寺晴豊は虚宿の生まれです。
虚宿は、ここ一番での勝負運が強い本命宿です。
虚宿さんは、アクは強くなく、実直な人なので、人から憎まれるようなことはなく、上司や同僚からの引き立てがあり、若くして高い地位に就くようになることもあります。
勧修寺晴豊は月曜生まれの虚宿さんなので、善良ですが、主体性がなく、人の言うことを信じやすい人です。
相手の出方次第、受け身で流される安い傾向があったのではないでしょうか。
虚宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「虚宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
↓
もっと読みたい方は 開運ブログへ