「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれる
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
葛飾北斎は、多くの富士山を描いた『富嶽三十六景』でよく知られています。
なかでも『神奈川沖波裏 』は、知らない人がいるのかしら?と思ってしまうほど。
葛飾北斎について調べてみました。
葛飾北斎を九星気学で占ってみると?
■葛飾北斎(6-6-2)
葛飾北斎は、宝暦10年9月23日(1760年10月31日)生まれとされています。
本命星:六白金星
月命星:六白金星
傾斜宮:二黒土星
葛飾北斎は、本命星と月命星の六白金星に対して、傾斜宮の二黒土星がエネルギーを与える相生の関係です。
本命星と月命星が同じですから、行動と精神は一枚岩であるうえに、本心が応援しているので、迷いや後悔はほとんどありません。
六白金星は理想主義者であり、負けず嫌いという性質を持っており、人から指図されることを極端に嫌います。
自尊心も高く、独立精神も強いので、上を目指して前進する資質が強いため、情に流されることはありません。
二黒土星は畑の土であり、勤勉でまじめで、奉仕の精神に富んでいます。
しかし、二黒土星には受け身であり、他力本願というところがあり、欲が深い面もあるため、悪い資質が出てしまうと、プライドだけ高くて、いけ好かない性格となってしまうかもしれません。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【六白金星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
葛飾北斎の運気を九星気学でみてみると
■1778年 勝川春章門下となる
1778年は六白金星中宮年で、花が咲くときです。
六白金星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
葛飾北斎は、浮世絵師・勝川春章の門下となり、本格的に絵を学ぶようになります。
■1794年 勝川派を破門される
1794年は八白土星中宮年で、六白金星は東に出て、運気は上昇に転じます。
六白金星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
また秘密の暴露の暗示もあるので、なにか秘密がバレて、葛飾北斎は勝川派を破門されたのかもしれません。
■1805年 「葛飾北斎」を名乗る
1805年は六白金星中宮年で、花が咲くときです。
六白金星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
葛飾北斎は、「葛飾北斎」の号を用いるようになります。
■1814年 『北斎漫画』
■1823年 『富嶽三十六景』
■1842年 小布施の高井鴻山を訪ねる
1842年は五黄土星中宮年で、六白金星は定位に戻って北西にあり、実をつけるときです。
定位に戻ったときは新しいステージに移行するとき。
葛飾北斎は、小布施の高井鴻山を訪ね、長期滞在し、『怒涛図』などを制作します。
■1849年 死去
1849年は七赤金星中宮年で、六白金星は東南にあり、運気旺盛です。
六白金星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
また、定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くとき。
葛飾北斎は、浅草で亡くなりました。
享年90歳。
■1999年 「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」
1999年は一白水星中宮年で、六白金星は北にあり本厄、そして暗剣殺です。
六白金星の定位には二黒土星が回座し、受け身の暗示があります。
葛飾北斎は、雑誌『ライフ』の「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインします。
葛飾北斎を宿曜占星術で占ってみると?
■葛飾北斎【張宿】
宿曜占星術では、葛飾北斎は張宿の生まれです。
張宿は、存在感がある主役タイプの本命宿です。
張宿さんは、話し上手なためか、肉親や関係者などから、有形無形の財産や権利を譲られ、援助される運が備わっています。
また、常にナンバーワンであるための努力は惜しみません。
張宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「張宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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