ペスト菌を発見した「日本の細菌学の父」
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
血清療法を、世界で初めて発見したのが北里柴三郎なのだそうです。
子どもの頃に偉人の本を読みましたが、そのなかに名前があったことくらいしか生方には記憶がありません。
新1000円札の顔になるくらい、偉大な人らしいです。
北里柴三郎について調べてみました。
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北里柴三郎を九星気学でみると?
■北里柴三郎(4-6-3)
北里柴三郎は、1853年1月29日生まれ。
本命星:四緑木星
月命星:六白金星
傾斜宮:三碧木星
北里柴三郎は、本命星の四緑木星と月命星の六白金星とは、金剋木(金属は木を切り倒す)の相剋の関係です。
しかし、傾斜宮の三碧木星は、四緑木星と同じ木の性にあるため、本音の部分と行動は一致しています。
四緑木星は、風のように隅々まで行き渡るコミュニケーション能力を表しています。
四緑木星と同じ木の性に属する三碧木星は、開拓心の強い星です。
言語能力も高く、おしゃべりであり、言葉に毒を含むこともしばしばです。
六白金星は天であり、気位が高い理想主義者です。
独立心が強く、負けず嫌いであり、人から指図されることを最も嫌います。
精神が行動を剋しているため、行動に起こす前に考えすぎてしまう傾向があり、結局実行せずに、後悔するということが多いタイプです。
この星回りには、日本人初のノーベル賞受賞者であり湯川秀樹がいます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【四緑木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
北里柴三郎の運気を九星気学でみると?
■1885年 ドイツ留学
1885年は七赤金星中宮年で、四緑木星は南西にあり、後厄です。
四緑木星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
北里柴三郎は、内務省衛生局に入り、ドイツ留学を命じられ、ベルリン大学のコッホ研究室に入ります。
■1889年 世界初、破傷風菌の純粋培養に成功
1889年は三碧木星中宮年で、四緑木星は北西にあり実をつけるときであり、定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときで、人生の転機となるようなことが起こりやすいときです。
北里柴三郎は、「ジフテリアに対する血清療法の研究」でノーベル生理学・医学賞を受賞したエミール・アドルフ・フォン・ベーリングとともに、世界で最初に破傷風菌の純粋培養に成功します。
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■1890年 世界初、血清療法を発見
1890年は二黒土星中宮年で、四緑木星は西にあり、収獲のときです。
しかし、四緑木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
北里柴三郎は、ジフテリア毒素と破傷風毒素に対する抗血清を開発し、「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」をエミール・アドルフ・フォン・ベーリングとの共著として発表します。
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■1891年 伝染病研究所を設立
1891年は一白水星中宮年で、四緑木星は北東にあり、変化変動です。
四緑木星の定位には九紫火星が回座し、注目をあつめる暗示があります。
北里柴三郎は、日本に戻り、福澤諭吉らの援助により伝染病研究所を設立します。
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■1894年 腺ペストの病原菌を共同発見
1894年は七赤金星中宮年で、四緑木星は南西にあり、後厄です。
四緑木星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
北里柴三郎は、腺ペストの病原菌を共同発見します。
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■1901年 ノーベル生理学・医学賞候補に選ばれる
1901年は九紫火星中宮年で、四緑木星は南にあり前厄、そして暗剣殺です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
また、四緑木星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
北里柴三郎は、ノーベル生理学・医学賞候補に選ばれますが、エミール・アドルフ・フォン・ベーリングが受賞し、共同研究者であった北里柴三郎は受賞できませんでした。
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■1914年 北里研究所を設立
1914年は五黄土星中宮年で、四緑木星は定位に戻って東南にあり、運気は旺盛です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
北里柴三郎は、北里研究所を設立しますが、伝染病研究所が内務省から文部省に移管されて東京帝国大学に合併される際に、移管に反対して、北里柴三郎は所長を辞任します。
このとき、志賀潔をはじめとする研究所の職員全員が一斉に辞表を提出したため、伝研騒動といわれています。
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■1924年 男爵叙爵
1924年は四緑木星中宮年で、花が咲くときです。
四緑木星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
北里柴三郎は、男爵を授けられます。
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■1931年 死去
1931年は六白金星中宮年で、四緑木星は東に出て、運気は上昇に転じますが、四緑木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
四緑木星にとっては、良くない運気です。
北里柴三郎は、脳溢血のため死去します。
享年80歳。
北里柴三郎を宿曜占星術でみると?
■北里柴三郎【亢宿】
宿曜占星術では、北里柴三郎は亢宿の生まれです。
亢宿は、バランス感覚にすぐれた本命宿です。
亢宿さんは、まじめで愚直、ストイックなので、全身で取り組み、限界まで努力し続けます。
そのため、清濁併せ飲むことができないことが多く、日ごろは抑え込んでいても、いったんあふれ出すと止められなくなり、極端に走りやすい傾向があります。
北里柴三郎は、言葉がしずかで、人によく従いますが、心中ではしっかりと考えていて、出世する人です。
チャレンジ精神が旺盛で、世間からも評価されるタイプです。
亢宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「亢宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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