阪急電鉄、阪急百貨店、宝塚歌劇団・東宝などを創業
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
電鉄会社と百貨店をセットにして、駅ビルビジネスを始めたのが、小林一三だそうです。
宝塚歌劇団も、電鉄会社の収益向上のためにはじめたそうで、さらに六甲山麓の高級住宅地の開発など、電鉄会社にとって、いまや当たり前の戦略を次々と打ち出した人物です。
小林一三について調べてみました。
小林一三を九星気学で占ってみると?
■小林一三(2-1-6)
小林一三は、1873年1月3日生まれ。
本命星:二黒土星
月命星:一白水星
傾斜宮:六白金星
小林一三は、本命星の二黒土星と月命星の一白水星は、土剋水(土は水を堰き止める)の相剋の関係です。
しかし、傾斜宮の六白金星に対しては、本命星の二黒土星がエネルギーを与える相生の関係なので、迷いながらも、本音の部分では、自分の行動に納得しているといえるでしょう。
二黒土星は耕作地の土であり、母性愛、育成力といった性質を持っており、基本的に受身です。
二黒土星は、ナンバー2というポジションが最適であり、まじめ・勤勉さで、自らの才能を発揮していきます。
一白水星は水を表しており、誰とでも仲良くなれる柔軟性を持っています。
深く考え、企画し、創造するのが一白水星の特徴なのですが、すぐに本心は明らかにせず、ときには周囲を煙に巻くことも。
研究熱心で根気強いので、二黒土星のまじめさもあり、努力することを厭いません。
六白金星は天であり、理想主義者の星です。
この星回りの人は、自分の理想を実現させるために考え、努力する傾向が強いので、大成功する人もいれば、ひとり懊悩する人もいるようです。
ノーベル賞受賞者に最も多い星回りでもあるので、小林一三がイノベーターと称されるのも、わかるような気がします。
⇒ ノーベル賞受賞者917人を九星気学と宿曜占星術で見てみると?共通点は?
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
↓
⇒ 【二黒土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
小林一三の運気を九星気学でみてみると
■1890年 小説『練絲痕』を連載
1890年は二黒土星中宮年で、花が咲くときです。
二黒土星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
小林一三は、 17歳で、小説『練絲痕』を「山梨日日新聞」に連載します。
■1907年 箕面有馬電気軌道株式会社専務取締役
1907年は三碧木星中宮年で、二黒土星は東南にあり、運気は旺盛です。
二黒土星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
小林一三は、三井銀行を辞め、箕面有馬電気軌道株式会社創立の追加発起人となり、
専務取締役に就任します。
■1914年 宝塚少女歌劇初公演
1914年は五黄土星中宮年で、二黒土星は定位に戻って南西にあり後厄、そして歳破がついています。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
小林一三は、宝塚少女歌劇団を創設し、初公演を行います。
■1927年 阪神急行電鉄取締役社長
1927年は一白水星中宮年で、二黒土星は北西にあり、実をつけるときです。
二黒土星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
小林一三は、阪神急行電鉄取締役社長に就任します。
■1929年 阪急百貨店
1929年は八白土星中宮年で、二黒土星は北東にあり変化変動、そして暗剣殺であり、定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くとき。
また、二黒土星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
二黒土星にとっては、最悪ともいえる運気ですが、このようなときに転機を迎える人が少なくありません。
小林一三は、梅田駅の新ターミナルビルの竣工に合わせて、阪急百貨店を開店させます。
■1932年 東京宝塚劇場
1932年は五黄土星中宮年で、二黒土星は定位に戻って南西にあり、後厄です。
定位に戻ってきたときは、新しいステージに移行するときです。
小林一三は、東京宝塚劇場を設立します。
■1937年 東宝映画
1937年は九紫火星中宮年で、二黒土星は西にあり、収穫のときです。
二黒土星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートを受ける暗示があります。
小林一三は、東宝映画を設立します。
また、釜山に渡り、朝鮮半島、中国北部を視察します。
■1940年 商工大臣
1940年は六白金星中宮年で、二黒土星は北にあり、本厄です。
二黒土星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
小林一三は、第2次近衛内閣で商工大臣に就任します。
■1945年 国務大臣兼戦災復興院総裁
1945年は一白水星中宮年で、二黒土星は北西にあり、実をつけるときです。
二黒土星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
小林一三は、幣原内閣の国務大臣兼戦災復興院総裁に就任します。
■1951年 公職追放
1951年は四緑木星中宮年で、二黒土星は東に出て、運気は上昇に転じますが、二黒土星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
小林一三は、第2次近衛内閣で商工大臣だったことを理由に、公職追放となります。
■1957年1月25日 急逝
1957年1月25日、小林一三は、84歳でこの世をさります。
晩年は、心臓が悪いため、小林一三を笑わせることは厳禁とされていたそうです。
この日の九星盤をみると、年盤では二黒土星は北東にあり変化変動、そして暗剣殺であり、定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くとき。
さらに歳破もついています。
また、二黒土星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
小林一三にとって、最悪の運気です。
月盤では、二黒土星は西にあり、収穫のとき。
年盤の二黒土星には、月盤の三碧木星が回座しているので、やる気にあふれていたようです。
しかし、日盤では、二黒土星は南にあり、「離」の作用が働きます。
「離」とは、文字通り離れることであり、別離を意味しています。
また、月盤の二黒土星には、日盤の九紫火星が回座し、ここでも「離」の作用がみられますから、小林一三の死は、周囲の人が思ってもいないタイミングであったことがわかります。
小林一三を宿曜占星術で占ってみると?
■小林一三【奎宿】
宿曜占星術では、小林一三は奎宿の生まれです。
奎宿は、潔癖症で理想が高い本命宿です。
奎宿さんには、敬愛されるお坊ちゃん、お嬢さまタイプが多いのですが、出世魚のように、一歩一歩着実に世に出ていく運勢をもっています。
しかし、育ちが良いため世間を見る視野が狭く、一度転落すると、とことんまで落ちてしまうようです。
奎宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「奎宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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