小牧・長久手の戦いとは?
小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)は、天正12年3月から11月(1584年)の間に、何度も繰り返された戦闘のことです。
清須会議のあと、実権を握るようになった羽柴秀吉(豊臣秀吉)と、秀吉に不満を持つ織田信雄、信雄に加勢した徳川家康との間で行われた戦いです。
尾張北部の小牧城、犬山城、楽田城が中心でしたが、これに連動して全国各地で戦いが勃発し、豊臣方と徳川陣営の対立をそのまま表しています。
小牧・長久手の戦いは、長期間にわたり、しかも広範囲であるため、九星気学では年盤を中心に見ていきます。
歳破の池田恒興、暗剣殺に移動した森 長可は戦死
小牧・長久手の戦いが起こった1584年(天正12年)は、本能寺の変と清須会議のあった年から2年後になります。
二黒土星中宮年、東北には五黄土星が位置し歳破を帯びています。
長久手の戦いで、五黄土星の池田恒興が戦死してしまいますが、これは歳破によるものと考えられます。
同じく、長久手の戦いで戦死した森 長可(もりながよし)は1558年生まれの一白水星です。
森 長可は、とくに運気が悪いわけではありませんが、移動した方位が悪かったようです。
森 長可は居城の美濃金山城から小牧山城へ出陣を企図しますが、小牧山城はすでに徳川家康に占拠されていたため、羽黒(犬山市)に陣を張ります。
このとき森 長可は南西へ移動していますが、八白土星が位置するこの方位が、大凶の暗剣殺にあたっていました。
徳川軍は、羽黒の森 長可軍へと奇襲をかけ、森軍は300人余りの兵を失うという敗戦を喫しています。
徳川軍が圧勝した長久手の戦い
長久手の戦いは、天正12年4月9日(1584年5月18日)に起こり、この日に池田恒興、森 長可ともに戦死しています。
この日の九星盤は、年盤は二黒土星中宮年、月盤は八白土星中宮月、日盤は一白水星中宮日でした。
この長久手の戦いの日の九星盤が特徴的な点は、年盤の北東(鬼門)に五黄土星、中宮に二黒土星、南西(裏鬼門)に八白土星が位置し、月盤では北東(鬼門)に二黒土星、中宮に八白土星、南西(裏鬼門)に五黄土星が位置していることでしょう。
つまり、年盤・月盤ともに、鬼門から裏鬼門に向かって土の性がならんでいるのです。
九星盤の定位(もともとの九星の位置)では、中宮が五黄土星、北東に八白土星、南西に二黒土星が位置し、3つの土の性が並ぶため、これを三土線と呼びます。
この鬼門から裏鬼門に抜ける線に、自分の星が巡ってきたときには死線同会といわれ、要注意とされます。
また三土線は、鬼門から裏鬼門にエネルギーが流れるとされており、年盤では五黄土星から八白土星へ、月盤では二黒土星から五黄土星にエネルギーが流れています。
長久手の戦いの日の徳川家康の運気
徳川軍が勝った長久手の戦いの日の、徳川家康の運気を見てみましょう。
徳川家康は1543年1月31日(天文11年12月26日)生まれですから、
本命星:七赤金星
月命星:八白土星
傾斜宮:四緑木星
※傾斜宮は本命星と月命星から割り出します。日盤とは異なります。
という星になります。
長久手の戦いの日の、徳川家康の運気は悪くありませんが、最大の問題は本命星の七赤金星が北にあり、本厄であったことです。
北に本命星がくると、身体が冷え、さまざまな病気に悩まされます。
記録によると、小牧・長久手の戦いの真っ最中に、背中に癰(よう)と呼ばれた細菌感染による腫瘍ができていたそうです。
小牧・長久手の戦いの翌年(1585年)、容態はかなり重くなり、家康は遺言までしたためたそうです。
家康の体調が必ずしも万全でなかったことが、九星盤からも読み取れます。
年盤の位置 | 月盤の位置 | 日盤の位置 | ||
本命星 | 七赤金星 | 北、本厄 | 東南、枝葉が繁る | 南西、根を張る |
月命星 | 八白土星 | 南西、根を張る | 中宮、花が咲く | 東、芽が出る |
傾斜宮 | 四緑木星 | 西、収穫する | 北、本厄 | 北東、変化変動 |
そのとき、羽柴秀吉の運気は?
羽柴秀吉(豊臣秀吉)は、
本命星:四緑木星
月命星:七赤金星
傾斜宮:二黒土星
※傾斜宮は本命星と月命星から割り出します。日盤とは異なります。
という星になります。
秀吉の本命星は、年盤では西にあり、これまでの行動の集大成のときにあたっていました。
月盤では本命星が北にありますから、長久手の戦いのときには、家康同様、健康面では絶好調とは言えない状態です。
体調が良くないと、人は間違った判断をしやすくなります。
そんな家康と秀吉、そして関係者を並べて比較してみると、小牧・長久手の戦いが、戦の上では徳川軍の勝利とされているにもかかわらず、政治的には秀吉の勝利となった理由が見えてきます。
■長久手の戦いの日の運気比較
長久手の戦いの日の日盤を見ると、南に五黄土星、北に六白金星(暗剣殺)、西の三碧木星が日破となっています。
この日、家康軍は池田恒興・森 長可軍と激突し、撃破しています。
すでに見たように、池田恒興、森 長可らの運気は下降しており、家康のほうが優勢で、池田恒興と森 長可は戦死します。
一方の秀吉は、2万の軍勢を率いて楽田城から竜泉寺に向かいます。
この時の秀吉は、五黄土星のいる南に移動、大凶の五黄殺に向かったことになります。
そのためか、本田忠勝のわずか500ほどの軍勢に妨害され、結局は楽田城へ引き返しています。
羽柴秀吉 | 徳川家康 | 本田忠勝 | ||
年盤 |
本命星 月命星 傾斜宮 |
収穫する 本厄 花が咲く |
本厄 根を張る 収穫する |
花が咲く 芽が出る 陽があたる |
月盤 |
本命星 月命星 傾斜宮 |
本厄 枝葉が繁る 変化変動 |
枝葉が繁る 花が咲く 本厄 |
変化変動 収穫する 芽が出る |
日盤 |
本命星 月命星 傾斜宮 |
変化変動 根を張る 実をつける |
根を張る 芽が出る 変化変動 |
実をつける 花が咲く 本厄 |
■秀吉が信雄に講和を申し入れた日の運気比較
秀吉が信雄に講和を申し入れたのが、天正12年11月12日(1584年12月13日)のことです。
この日の織田信雄の運気は、一白水星と五黄土星が東と西にあり、良いとは言えない状況です。
しかも、月盤では信雄の月命星に月破がついています。
秀吉からの講和の申し入れを、織田信雄が受け入れたのは、月命星についた月破の影響ではないかとみます。
月命星は「こころ」をあらわしますので、長引く戦いに信雄の気持ちが変わったということでしょうか。
徳川家康は、陽が当たる(南)、本厄(北)、実をつける(北西)という微妙な運気に加え、年盤では本命星の七赤金星が本厄でした。
家康の背中の腫瘍は治らないまま、どんどん大きくなっていった頃でしょう。
一方の秀吉は、実をつける(北西)、陽があたる(南)、枝葉が繁る(南東)という運気で、しかも年盤では収穫の年(西)に本命星があります。
戦いの場面では徳川軍に負けたものの、秀吉が政治的には勝利したのは、清須会議から続く好調が維持されており、西に本命星が位置した収穫の年に秀吉が豊臣政権樹立となる政治的勝利を手にしたとみることができます。
なお、織田信雄の九星盤は「豊臣政権をつくった清須会議の真の勝者は誰か?」に記載しています。
羽柴秀吉 | 織田信雄 | 徳川家康 | ||
年盤 |
本命星 月命星 傾斜宮 |
収穫する 本厄 花が咲く |
枝葉が繁る 変化変動 枝葉が繁る |
本厄 根を張る 収穫する |
月盤 |
本命星 月命星 傾斜宮 |
変化変動 根を張る 実をつける |
花が咲く 陽が当たる・月破 花が咲く |
根が張る 芽が出る 変化変動 |
日盤 |
本命星 月命星 傾斜宮 |
実をつける 陽があたる 枝葉が繁る |
芽が出る 収穫する 芽が出る |
陽が当たる 本厄 実をつける |
はしごを外された家康
織田信雄が、秀吉からの講和の申し入れを受け入れたことで、半年以上も続いた小牧・長久手の戦いは幕が引かれます。
織田信雄が講和してしまったので、あくまでもサポート役の家康としては、軍を引かざるを得なくなったからです。
織田信雄は、この戦いのあと、秀吉に協力的になり、家康との間を仲介したりという役割を果たすようになります。
また、天正11年(1583年)から12年(1584年)にかけて地震や大雨に見舞われ、とくに徳川領内では田畑が荒れ、加えて戦闘要員として農民が多数動員されていたことから、飢饉の心配もありました。
領国経営の心配もあり、家康は軍を引いたのではないでしょうか。
⇒ 二十七宿別 性格と2018年後半の運気(密教宿曜占星術)
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