軍師として名高い黒田官兵衛
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
ただいま千利休を描いたフィクションを読んでいます。
千利休について調べたかったのですが、生年月日がわかりません。
そこで、小説のなかに登場する黒田官兵衛(孝高)について調べてみました。
大河ドラマ『軍師官兵衛』では、V6の岡田准一さんが演じましたが、どんな人物だったのでしょうか。
黒田官兵衛を九星気学で占ってみると?
■黒田官兵衛(4-7-2)
黒田官兵衛は、1546年12月22日生まれ。
本命星:四緑木星
月命星:七赤金星
傾斜宮:二黒土星
黒田官兵衛は、本命星の四緑木星と月命星の七赤金星は、金剋木(金属は木を切り倒す)という相剋の関係にあります。
精神が行動を剋しているので、行動に移す前に悩み、迷うタイプです。
四緑木星生まれは、義侠心が厚く、人の気持ちを読み取ることが上手ですが、取り越し苦労が多く、移り気な面があります。
しかし、自分が信じることを主張するときには、強気で交渉事をまとめるようなネゴシエーターの一面も。
七赤金星は、カンが鋭く、批判力がありますが、明るく楽しい性質を持っているので、良くも悪くも大きな影響力を持っています。
この星回りは、四緑木星のコミュニケーション能力と、七赤金星の、自分に有利なように周囲を説得する力は、大きな武器となります。
歴代の天皇に、この星回りが最も多く、また芸術文化人にも多いので、日本では成功しやすい星回りと言えます。
しかも、豊臣秀吉も、黒田官兵衛とまったく同じ星回りです。
秀吉と官兵衛は、似た者同士だったようですね。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【四緑木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
黒田官兵衛の運気を九星気学でみてみると
■1562年 初陣
1562年は六白金星中宮年で、四緑木星は東に出て、運気は上昇に転じますが、四緑木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
黒田官兵衛は、このころから「官兵衛」と名乗るようになり、初陣を飾ります。
■1569年 青山・土器山の戦い
1569年は八白土星中宮年で、四緑木星は北にあり、本厄です。
しかし、四緑木星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
黒田官兵衛は、西播磨守護代赤松政秀と姫路城主黒田氏との間に起きた戦いである青山・土器山の戦いに勝利します。
■1580年 備中高松城水攻め
1580年は六白金星中宮年で、四緑木星は東に出て、運気は上昇に転じますが、四緑木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
黒田官兵衛は、豊臣秀吉の備中高松城水攻めにおいて、船に土嚢を積んで底に穴を開けて沈めることで、水攻めを成功させたといわれています。
また、本能寺の変により織田信長が死去し、中国大返し、山崎の戦いなど、黒田官兵衛の知略により、秀吉は頂点に上り詰めたといわれています。
■1585年 キリスト教に入信
1585年は一白水星中宮年で、四緑木星は北東にあり、変化変動です。
四緑木星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも中目される暗示があります。
黒田官兵衛は、四国攻めに軍監として加わり、長宗我部軍を降伏させます。
また、この頃に、高山右近や蒲生氏郷らの勧めによってキリスト教に入信し、「シメオン」の洗礼名を与えられています。
■1589年 家督を黒田長政に譲る
1589年は六白金星中宮年で、四緑木星は東に出て、運気は上昇に転じます。
しかし、四緑木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりがちであり、五黄殺(自滅)の暗示があります。
黒田官兵衛は、嫡男の長政に家督をゆずりますが、ひきつづき豊臣秀吉の側近として使えることになります。
■1590年 小田原城無血開城
1590年は五黄土星中宮年で、四緑木星は定位に戻って東南にあり、運気は旺盛です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
黒田官兵衛は、小田原征伐において、北条氏政・氏直父子を説得し、無血開城させることに成功します。
■1593年 文禄の役の軍監となるも剃髪
1593年は二黒土星中宮年で、四緑木星は西にあり、収獲のときですが、四緑木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
黒田官兵衛は、文禄の役の軍監として朝鮮に渡りますが、思ったような指揮を執れず、病を理由に帰国。
本厄なので、実際に体調は悪かったのではないでしょうか。
しかし、豊臣秀吉に追い返され、ふたたび朝鮮にわたりますが、死罪を覚悟して剃髪します。
このとき、秀吉には許されています。
■1598年 豊臣秀吉死去
1598年は六白金星中宮年で、四緑木星は東に出て、運気は上昇に転じます。
しかし、四緑木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりがちであり、五黄殺(自滅)の暗示があります。
黒田官兵衛は、六白金星中宮のときに、人生の転機を迎えることが多いようです。
豊臣秀吉がなくなると、1600年の関が原の戦いでは徳川家康と密約を結びます。
■1604年 死去
1604年は九紫火星中宮年で、四緑木星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、注目されるときです。
四緑木星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
関ヶ原の合戦の後、黒田長政に豊前国中津12万石から筑前国福岡52万石へ加増移封されます。
また、黒田官兵衛にも領地加増を提示しますが、これを辞退しました。
1604年、59歳で没しますが、家臣の殉死を禁止し、イエズス会に2,000タエスを与える遺言を残しました。
黒田官兵衛を宿曜占星術で占ってみると?
■黒田官兵衛【虚宿】
宿曜占星術では、黒田官兵衛は虚宿の生まれです。
虚宿は、別名「武将の星」。
虚とは、もともと巨大の巨であり、神霊の下る大きな丘をあらわしています。
ここ一番での勝負運が強いという運勢をもっており、相手の心を見抜くカンが鋭いのが虚宿さんです。
黒田官兵衛は四緑木星生まれなので、相手の心を見抜くコミュニケーション能力には、かなり長けていたと思われます。
神社仏閣を大切にする人が多いのも、虚宿さんの特徴なので、黒田官兵衛がキリスト教に入信し、死後も手厚くするように遺言するなど、虚宿さんらしい対応を行ったと思われます。
虚宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「虚宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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また、27の本命宿それぞれの2020年の運気は、以下のブログをお読みになってください。
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