織田信長の馬廻衆から大出世
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
『麒麟がくる』第14話での、織田信長と斎藤道三の聖徳寺での会見は、迫力ありましたね~。
織田信長が主役のときには、必ずといってよいほど、欠かせない物語の構成要素になっているのが、この会見です。
そして、本当のところはどうかわかりませんが、前田利家と佐々成政が会見に登場しました。
どちらも織田信長の馬廻衆から大出世し、現代につづく家系です。
前田利家について調べてみました。
前田利家の性格を九星気学で占ってみると?
■前田利家(3-3-4)
前田利家は、諸説ありますが、天文7年12月25日(1539年1月15日)生まれとして調べました。
本命星:三碧木星
月命星:三碧木星
傾斜宮:四緑木星
前田利家は、本命星と月命星の三碧木星、傾斜宮の四緑木星のすべてが、木の性に属しています。
三碧木星生まれは、開拓精神があり、白黒をはっきりさせたいという性質を持っています。
また、三碧木星を2つも持っているので、かなり積極的で、しかも潔癖症なところがありそうです。
前田利家は「傾奇者」として知られていますが、新しもの好きの三碧木星を2つも持っているので、新規性を好んでいたことがわかります。
また、言語能力が高く、おしゃべり上手であり、声が良い人も多いという傾向のが三碧木星です。
四緑木星は、人付き合いが上手い人が多いのですが、人を信用しすぎる傾向があります。
この星回りは、直感的に相手が求めていることがわかるので、コミュニケーション能力は非常に高いと思われます。
前田利家が、のちに100万石の加賀藩の祖となったのは、優れたコミュニケーション能力のおかげのようです。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
↓
前田利家の運気を九星気学でみてみると?
■1551年 織田信長の小姓となる
1551年は八白土星中宮年で、三碧木星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽のあたるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
三碧木星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
前田利家は、織田信長の小姓となります。
■1559年 笄(こうがい)斬り事件
1559年は九紫火星中宮年で、三碧木星は北東にあり変化変動、そして歳破がついています。
三碧木星の定位には七赤金星が回座し、不足・不十分の暗示があります。
前田利家は、同朋衆の拾阿弥を斬殺し、出奔するという事件を起こしてしまいます。
歳破がついているので、思い通りにならないことが起こりやすく、思いがけない破壊性となってあらわれるという凶運です。
■1560年 桶狭間の戦い
1560年は八白土星中宮年で、三碧木星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽のあたるときであり、良くも悪くも注目される暗示があります。
また、三碧木星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートを得る暗示があります。
前田利家は、出仕停止中であるにもかかわらず、桶狭間の戦いに参加して、戦功をあげます。
しかし、このときは帰参を許されず、1561年の森部の戦いにも無断で参戦して戦功をあげて、やっと織田信長に帰参を許されます。
■1574年 柴田勝家の与力となる
1574年は三碧木星中宮年で、花が咲くときですが、三碧木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
前田利家は、柴田勝家の与力となり、越前一向一揆の鎮圧に従事します。
翌年には鎮圧し、佐々成政・不破光治らとともに、府中三人衆と呼ばれるようになります。
■1581年 織田信長より能登一国を与えられる
1581年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位の東に戻って、運気は上昇に転じます。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
前田利家は、織田信長より能登一国を与えられ、七尾城主となります。
■1582年 本能寺の変
1582年は四緑木星中宮年で、三碧木星は東南にあり、運気は旺盛ですが、暗剣殺。
また、三碧木星の定位には二黒土星が回座し、受け身の暗示があります。
前田利家は、本能寺の変がおこったときに、柴田勝家に従い、越中魚津城を攻略中であったため、山崎の戦いに加わることができませんでした。
■1583年 賤ヶ岳の戦い
1583年は三碧木星中宮年で、花が咲くときでスが、三碧木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
前田利家は、羽柴秀吉と柴田勝家の戦いである賤ヶ岳の戦いに、柴田軍として参戦しますが、途中で突然撤退し、羽柴軍の勝利を決定づけます。
これにより、秀吉から加増され、本拠地を能登から加賀の金沢城に移します。
■1598年 五大老の一人となる
1598年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり、後厄です。
三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
前田利家は、死の直前の豊臣秀頼から、五大老の一人に命じられます。
■1599年 死去
1599年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位の東に戻って、運気は上昇に転じます。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
前田利家は、病気のため亡くなります。
前田利家を宿曜占星術で占ってみると?
■前田利家【斗宿】
宿曜占星術では、前田利家は斗宿の生まれです。
斗宿は、もめごとの仲裁に才能を発揮する本命宿です。
強運が備わっていますが、もめごとに巻き込まれやすいので、思いがけない陥穽も多く降りかかるという波乱含みの人生を送ります。
前田利家の場合、若い頃の笄切り事件や、柴田勝家と羽柴秀吉の権力争いでは秀吉につくなど、一歩間違えば、自分自身が死ぬかもしれないという状況を切り抜けています。
斗宿さんは、先を見通す力に優れていて、受け身でいながら、いつの間にか目的を達成するという運の強さも持ち合わせています。
斗宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「斗宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
↓
27の本命宿それぞれの2020年の運気は、以下のブログをお読みになってください。
もっと読みたい方は 開運ブログへ