「足のない幽霊」を描き始めた画家
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
生方は、どんな作品が残っているのか、円山応挙と聞いてもピンときません。
三井家がパトロンだったとか、美人な幽霊を書いたとか、ということぐらいで・・・。
円山応挙について調べてみました。
円山応挙を九星気学で占ってみると?
■円山応挙(6-1-1)
円山応挙は、享保18年5月1日(1733年6月12日)生まれ。
本命星:六白金星
月命星:一白水星
傾斜宮:一白水星
円山応挙は、本命星の六白金星から、月命星と傾斜宮の一白水星にとエネルギーが流れる相生の関係です。
行動することで実感し、確信するタイプです。
六白金星は天であり、高貴な人を表しているため、気位の高い理想主義者が多い星です。
人の指図を受けることを嫌い、上位にむかって前進する意欲が強いため、独立心も旺盛です。
一白水星は水であり、思索的であり、企画力や創造力を発揮しますが、容易に心を開かない秘密主義者が多い星です。
この一白水星を2つも持っているので、良く考え、企画するタイプですが、行動が先んじる傾向が強いでしょう。
気持ちの上では相手に合わせる柔軟性があり、自分もそう思っていますが、もしかすると上から目線になっているかもしれません。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【六白金星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
円山応挙の運気を九星気学でみてみると
■1759年 京都風景の眼鏡絵を制作
1759年は七赤金星中宮年で、六白金星は東南にあり、運気旺盛です。
六白金星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
また、定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くとき。
円山応挙は、西洋画の遠近法を応用した眼鏡絵の制作を精力的に行い、「四条河原遊涼図」「石山寺図」「賀茂競馬図」「円山座敷図」「三十三間堂図」などが残されています。
■1766年 「応挙」を名乗り始める
1766年は九紫火星中宮年で、六白金星は南西にあり、後厄です。
六白金星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
円山応挙は、中国の大家に劣らぬ水準の絵を描こうと、「応挙」を名乗り始めます。
■1768年 七難七福図
1768年は七赤金星中宮年で、六白金星は東南にあり、運気旺盛です。
六白金星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
また、定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くとき。
円山応挙は、代表作となる『七難七福図』を制作します。
■1771年 孔雀牡丹図
1771年は四緑木星中宮年で、六白金星は西にあり収獲のときですが、歳破がついています。
六白金星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
円山応挙は、『孔雀牡丹図』を制作します。
■1776年 八坂神社の双鶏図
1776年は八白土星中宮年で、六白金星は東に出て、運気は上昇に転じます。
六白金星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
円山応挙は、八坂神社の双鶏図を制作すると、描かれた鶏のリアルさが京で評判となります。
出世作と言われています。
■1786年 雪松図屏風
1776年は七赤金星中宮年で、六白金星は東南にあり、運気旺盛です。
六白金星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
また、定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くとき。
円山応挙は、国宝となる『雪松図屏風』を制作します。
■1795年 死去
1795年は七赤金星中宮年で、六白金星は東南にあり、運気旺盛です。
六白金星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
また、定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くとき。
円山応挙は、『保津川図屏風』を制作しますが、寛政7年7月17日(1795年8月31日)に亡くなります。
円山応挙を宿曜占星術で占ってみると?
■円山応挙【参宿】
宿曜占星術では、円山応挙は参宿の生まれです。
参宿は、自分を信じることができる本命宿です。
参宿さんは、古い因習や伝統などは、平気で壊し、踏みにじっていく「革新の星」。
しかし、上司や有力者に近づいて信用もされるので、出世する運命を持っているので、円山応挙は、三井家のようなパトロンを得ることができたのでしょう。
参宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「参宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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