日独伊三国同盟、日ソ中立条約締結
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
松岡洋右は、国際連盟を脱退したときの全権大使として記憶されている人物です。
このとき、松岡洋右は1時間20分にわたる原稿なしの演説をおこないます。
11歳のときに父が破産したため、親戚を頼って渡米したため、言葉に不自由がなかったからでしょう。
松岡洋右について調べてみました。
松岡洋右を九星気学でみると?
■松岡洋右(3-5-3)
松岡洋右は、1880年3月4日生まれ。
本命星:三碧木星
月命星:五黄土星
傾斜宮:三碧木星
松岡洋右は、本命星と傾斜宮の三碧木星が、月命星の五黄土星に対して木剋土(木は土をしめつけ栄養を奪う)という相剋の関係です。
五黄土星は腐食作用を持ち、九星のなかでは最も強いとされていますが、2つの三碧木星に剋されて、本来の強さが弱まります。
三碧木星は音であり、言葉をあやつる能力を表しています。
おしゃべりは三碧木星の特性ですが、考えなしに言葉にしてしまうことも多く、無用の敵をつくりやすい傾向があります。
三碧木星には歌を歌う人も多く、声が良い人も多い傾向がみられます。
また、三碧木星は、誰よりも早く、新しいことを試したいという気持ちが強い一方、潔癖症で、シロクロつけたい傾向が見られます。
この星回りは三碧木星を2つも持っているので、開拓精神にあふれ、自分のやりたいことのためには、何度でもトライするバランスの良さ、強さを持っています。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【三碧木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
松岡洋右の運気を九星気学でみると?
■1893年 渡米
1893年は八白土星中宮年で、三碧木星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
三碧木星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
松岡洋右は、親戚を頼ってアメリカに留学します。
また、メソジスト監督教会の洗礼を受けます。
■1904年 外務省に入省
1904年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり、後厄です。
三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
松岡洋右は、外交官及領事官試験に首席で合格し、外務省に入省します。
■1921年 南満州鉄道理事
1921年は七赤金星中宮年で、三碧木星は北にあり、本厄です。
三碧木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
松岡洋右は、外務省を退官し、南満州鉄道の理事となります。
■1930年 衆議院議員初当選
1930年は七赤金星中宮年で、三碧木星は北にあり、本厄です。
三碧木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
松岡洋右は、衆議院議員に初当選します。
■1932年 国際連盟で演説
1932年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位の東に戻り、運気は上昇に転じます。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
松岡洋右は、全権大使として国際連盟にのぞみ、「十字架上の日本」とする演説を行い、各国代表から賛辞を受けます。
■1933年 議員辞職
1933年は四緑木星中宮年で、三碧木星は東南にあり、運気は旺盛ですが、暗剣殺です。
三碧木星の定位には二黒土星が回座し、受け身の暗示があり、歳破がついています。
松岡洋右は、日本が国際連盟を脱退することになったことを受け、役割を全うできなかったとして、議員を辞職します。
■1935年 満州鉄道総裁
1935年は二黒土星中宮年で、三碧木星は北西にあり、実をつけるときです。
三碧木星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
松岡洋右は、満州鉄道の総裁に就任します。
満鉄総裁時代には、ユダヤ人難民を保護し、満鉄で移送することに協力します。
■1940年 外務大臣
1940年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり、後厄です。
三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
松岡洋右は、近衛内閣で、外務大臣に就任します。
また、日独伊三国軍事同盟が9月27日に成立します。
■1941年 独伊を訪問
1941年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位の東に戻り、運気は上昇に転じます。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
松岡洋右は、同盟成立慶祝を名目として、ドイツ・イタリアを訪問し、ヒトラーとムッソリーニと首脳会談を行ないます。
また、帰路には、日ソ中立条約を電撃的に調印します。
しかし、松岡不在の間に対米交渉が進展し、これに不快感を示したことが原因となって、第3次近衛内閣では外相を外されます。
■1946年6月27日 死去
1946年6月27日、松岡洋右は、結核が悪化し、亡くなります。
A級戦犯容疑者でしたが、極東国際軍事裁判公判中に死去。
この日の九星盤をみると、年盤では三碧木星は北東にあり、変化変動のときです。
年盤の三碧木星には、月盤・日盤の四緑木星が回座し、呼吸器疾患の暗示があります。
重症化した肺結核であったと思われますから、かなり息苦しい状況で亡くなったのではないでしょうか。
また、月盤・日盤の三碧木星は定位対冲なので、運気は波乱含みという状況です。
松岡洋右の人生をみると、定位に戻ったときに、大きな名声を得ているように見えます。
定位盤にもどったときは、本命星の裏をみる、と考えられています。
三碧木星の裏は四緑木星なので、三碧木星にとっては知名度アップの運気となります。
松岡洋右は、知名度アップのタイミングで、歴史に名を残した人物といえそうです。
松岡洋右を宿曜占星術でみると?
■松岡洋右【斗宿】
宿曜占星術では、松岡洋右は斗宿の生まれです。
斗宿は、カリスマ的な存在で、欲しいものは手に入れるパワーを備えている本命宿です。
斗宿さんは、名誉欲が強く、表面のやさしさとは異なる激しさと競争心を秘めており、強力なライバルがいると、ますます闘争心がわいてきます。
斗宿さんは、広く大衆の心をつかむことができるような仕事で成功しやすく、政治家、起業家、芸能界、作家、芸術、宗教など、派手な分野で活躍できる資質を持っています。
また、松岡洋右は三碧木星を2つも持っているので、卓越した言語能力の持ち主です。
国際連盟を脱退することになったとはいえ、松岡洋右の演説が、世界に与えた影響は大きかったようです。
斗宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「斗宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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