擬洋風建築を造らせた鬼県令
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
久しぶりに東北新幹線に乗ったら、擬洋風建築が特集されていました。
山形県と福島県に残る擬洋風建築が紹介されていましたが、これらを造らせたのは、「土木県令」や「鬼県令」と称された三島通庸です。
ちなみに、大河ドラマ『いだてん』にも登場した、日本人初のオリンピック選手・三島弥彦は、三島通庸の五男です。
三島通庸について調べてみました。
三島通庸を九星気学でみると?
■三島通庸(3-1-7)
三島通庸は、1835年6月26日生まれ。
本命星:三碧木星
月命星:一白水星
傾斜宮:七赤金星
三島通庸は、本命星の三碧木星に対し、月命星の一白水星がエネルギーを与える相生の関係です。
心の奥底からわき起こった気持ちが、理性というフィルターを経て行動に至るタイプであり、深い信念からの行動には迷いがなく、よくよく考えられています。
三碧木星は、開拓的で行動的。
そして潔癖症であり、白黒つけたい性質を持っています。
三碧木星は音であり、雷をあらわし、言語能力が高く、おしゃべりが大好きです。
一白水星は水であり、柔軟性を示しており、企画力や創造性豊かな傾向があります。
しかし秘密主義であり、自分のことをオープンに見せることは苦手です。
七赤金星は明るく、人を楽しませたい、目立ちたいという性質をあらわしています。
また、七赤金星には、物事を斜めからみて発言する批判力があります。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【三碧木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
三島通庸の運気を九星気学でみると?
■1871年 東京府庁権参事
1871年は三碧木星中宮年で、花が咲くときです。
しかし、三碧木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
三島通庸は、大久保利通の計らいにより、東京府庁に権参事として出仕します。
■1872年 銀座大火
1872年は二黒土星中宮年で、三碧木星は北西にあり、実をつけるときです。
三碧木星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
東京の中心地である丸の内、銀座、築地一帯が焼失した大火のあと、再建は、大蔵省の監督下に東京府が進めることとなります。
この間、三島通庸は東京府参事となり、銀座を耐火構造の西洋風の街路へと改造することとなります。
これが、のちの銀座煉瓦街ですが、関東大震災で壊滅します。
また、大蔵省の権限を抑えるため、内務省設置案に参加。
あわせて、芸娼妓解放令にも尽力します。
■1874年 酒田県令
1874年は九紫火星中宮年で、三碧木星は北東にあり、変化変動です。
三碧木星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
三島通庸は、内務卿大久保利通により、ワッパ騒動対策のため、酒田県令となります。
■1876年 朝暘学校(鶴岡市)
1876年は七赤金星中宮年で、三碧木星は北にあり、本厄です。
三碧木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
三島通庸は、鶴岡県、旧山形県、置賜県が合併され、現在の山形県が設置されると、初代・山形県令に就任します。
三島通庸は、明治政府の威光と、新しい時代が始まったことを告げることを目的に、洋風瓦葺3階建ての朝暘学校を建設します。
■1877年 湯殿山神社建立
1877年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり後厄、そして歳破がついています。
三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
三島通庸は、口ノ宮湯殿山神社から分霊し、県庁守護として山形市に、湯殿山神社を建立します。
■1878年 旧山形師範学校本館(山形市)、旧西村山郡役所及び郡会議事堂(寒河江市)、旧済生館本館(山形市)
1878年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位の東にもどり、運気は上昇に転じます。
定位にもどったときは、新しいステージに移行するときです。
三島通庸は、明治新政府による県立師範学校の設置奨励に対応し、旧山形師範学校本館を新築、開校します。
また、太政官布告による郡区町村編制法の公布により、幕末の代官所があった寒河江村南町に、西村山郡役所が建てられ、郡会議事堂は1886年に建設されます。
三島通庸の「山形の近代化を図る」という構想のもとに、山形県立病院として旧済生館本館が建設されます。
「済生館」の名称は、当時の太政大臣・三条実美の命名によります。
■1879年 旧東村山郡役所(天童市)
1879年は四緑木星中宮年で、三碧木星は東南にあり、運気は旺盛ですが、暗剣殺です。
三島通庸のもと、旧東村山郡役所が創建され、開庁します。
■1881年 旧西田川郡役所(鶴岡市)
1881年は二黒土星中宮年で、三碧木星は北西にあり、実をつけるときですが、歳破がついています。
三島通庸のもと、旧西田川郡役所が創建され、開庁します。
旧西田川郡役所は、明治天皇東北巡幸の行在所となりました。
■1882年 福島県令
1882年は一白水星中宮年で、三碧木星は西にあり収獲のとき、そして定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
また、三碧木星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
三島通庸は、自由民権運動を推進する自由党勢力が盛んだった、福島県の県令に就任し、会津三方道路工事事業に反対する福島県の自由党員・農民を弾圧します(福島事件)。
■1883年 旧伊達郡役所(桑折町)
1883年は九紫火星中宮年で、三碧木星は北東にあり変化変動ですが、歳破がついています。
三碧木星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります
三島通庸は、伊達郡役所の移転にともない、奥州街道の突き当りに、現存する旧伊達郡役所を建設します。
直後に、三島通庸は、栃木県令に就任します。
■1884年 旧鶴岡警察署庁舎(鶴岡市)
1884年は八白土星中宮年で、三碧木星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
三碧木星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
三島通庸が命じた、旧鶴岡警察署庁舎が完成します。
三島通庸は、内務省土木局長を兼任。
このころ、若松新道、塩原街道などを開発、整備をすすめています。
また、自由党員が、三島通庸の暗殺を謀った、加波山事件が起こります。
■1885年 警視総監に就任
1885年は七赤金星中宮年で、三碧木星は北にあり、本厄です。
三碧木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
これは、初代山形県令に就任したときと同じ九星盤です。
三島通庸は、第5代警視総監に就任します。
■1886年 臨時建築局副総裁に就任
1886年は六白金星中宮年で、三碧木星は南西にあり、後厄です。
三碧木星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
三島通庸は、内閣直属の臨時建築局副総裁に就任します。
総裁は井上馨。
■1887年 子爵
1887年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位の東にもどり、運気は上昇に転じます。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
三島通庸は、維新の功により、子爵に叙せられます。
■ 1888年10月23日 死去
1888年10月23日、三島通庸は、警視総監在任中に脳溢血に倒れ、なくなります。
この日の九星盤をみると、年盤では、三碧木星は暗剣殺ですから、突発的なトラブル、急激な病状悪化という暗示があります。
年盤の三碧木星には、月盤の八白土星が回座し、変化変動の暗示があるうえに、月破がついています。
月盤の三碧木星は北東にあり、ここでも変化変動の暗示があります。
月盤の三碧木星には、日盤の六白金星が回座し、天の暗示があるので、三島通庸にとっては、天命を全うした、といえるのかもしれません。
三島通庸を宿曜占星術でみると?
■三島通庸【鬼宿】
宿曜占星術では、三島通庸は鬼宿の生まれです。
鬼宿は、曲がったことが嫌いで、自分が正しいと思うことに突き進む本命宿です。
鬼宿さんは、一族やグループ・団体などを率いて責任ある立場になり、その役割を良く果たす人が多いようです。
また、異能と呼べるような資質を備えた人が多く、後世に偉業を残します。
三島通庸は、金曜生まれの鬼宿さんなので、小心で几帳面ですが、弁論は上手。
言いにくいこともうまく言ってのける、実は親切な人。
無から有を生み出すことができるタイプといえます。
三島通庸は、土木工事や建設によって明治政府を周知させた人ですが、社会福祉事業家の瓜生岩子の活動を奨励したり、地元民の嘆願や、周囲のアドバイスなどを聞き入れて実行した人物であったようです。
鬼宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「鬼宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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