最初の天下人といわれる三好長慶
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
戦国時代、最初の天下人といわれているのが三好長慶です。
あの松永久秀が家臣として働き、30代で政権を握るまでになります。
『麒麟がくる』の再開は、おそらく三好長慶勢力と、足利義輝勢との争いからはじまると思うので、三好長慶について調べてみたいと思います。
三好長慶を九星気学で占ってみると?
■三好長慶(1-7-8)
三好長慶は、1522年3月10日生まれ。
本命星:一白水星
月命星:七赤金星
傾斜宮:八白土星
三好長慶は、傾斜宮の八白土星から、月命星の七赤金星、そして本命星の一白水星へとエネルギーが流れる相生の関係です。
一白水星は、困難な状況にあっても根気強い人が多く、どちらかと言えば思索的です。
しかし、企画性や創造力に富んでいるのですが、他人の意見やアドバイスを簡単に受け入れません。
七赤金星は、にぎやかで楽しいことが好きで、しかも説得力のある発言をするタイプです。
八白土星はたゆまぬ努力を意味しますが、人間関係では閉鎖的。
冷静沈着で、自分の運命を切り開く力を持っています。
この星回りは、本能的・直感的なことを、現実的に対処しようと考え、行動する人なのですが、自分で実行するよりも、他の人を助ける知恵袋が適しているので、重宝がられるタイプといえます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【一白水星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
三好長慶の運気を九星気学でみてみると?
■1553年 京都を事実上支配
1553年は六白金星中宮年で、一白水星は南にあり前厄であり、定位対冲です。
定位対冲のときは運命の歯車が大きく動くときであり、良くも悪くも世間の注目を集める暗示があります。
足利義輝は朽木に退去し、三好長慶が、京都を事実上の支配をすることになります。
また、従四位下に叙されます。
■1560年 相伴衆
1560年は八白土星中宮年で、一白水星は西にあり、収獲のときです。
一白水星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
三好長慶は、相伴衆に任命され、さらに修理大夫に任官します。
■1561年 足利義輝を屋敷に迎える
1561年は七赤金星中宮年で、一白水星は北東にあり、変化変動です。
一白水星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
三好長慶は、足利義輝を自らの屋敷に迎えます。
また、足利義輝の勧告で、細川晴元と和睦します。
さらに弟の十河一存が急死したことにより、畠山高政と六角義賢、細川晴之らが挙兵し、南北から三好家が攻撃をされることとなり、衰退がはじまります。
■1563年 嫡男・義興が死去
1563年は五黄土星中宮年で、一白水星は定位に戻って北にあり、本厄です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
三好長慶は、嫡男の義興が死去します。
■1564年 病死
1564年は四緑木星中宮年で、一白水星は南西にあり、後厄です。
一白水星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
三好長慶は、相次ぐ親族や周囲の人物らの死により、心身に異常を来たして病気となります。
家督を嗣子・義継に譲ると、病死します。
九紫火星の「離」の作用があったのかもしれません。
三好長慶を宿曜占星術で占ってみると?
■三好長慶【昴宿】
宿曜占星術では、三好長慶は昴宿の生まれです。
昴宿は、古来より、最高の本命宿と考えられています。
昴宿さんは、先祖代々の加護を受け、他力によって助けられます。目上の人や親せき、友人などから、思わぬ援助の手が差し伸べられます。
また、昴宿さんはトークが上手で、誰からも好感を持たれますが、二面性があるため、わかりにくい人物と思われがちです。
昴宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「昴宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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