軍医であり作家
森鷗外を九星気学で占ってみると?
■森鷗外(3-5-3)
森鷗外は、1862年2月17日生まれ。
本命星:三碧木星
月命星:五黄土星
傾斜宮:三碧木星
森鷗外は、本命星と傾斜宮の三碧木星が、月命星の五黄土星に対して木剋土(木は土をしめつけ栄養を奪う)という相剋の関係です。
三碧木星は音であり、言葉をあやつる能力を表しています。
おしゃべりは三碧木星の特性ですが、考えなしに言葉にしてしまうことも多く、無用の敵をつくりやすい傾向があります。
また、三碧木星は、誰よりも早く、新しいことを試したいという気持ちが強い一方、潔癖症で、シロクロつけたい傾向が見られます。
五黄土星は意思の強さをあらわしていて、三碧木星の開拓精神、正直で積極的な性質を後押しします。
この星回りは三碧木星を2つも持っているので、開拓精神にあふれ、自分のやりたいことのためには、何度でもトライするバランスの良さ、強さを持っています。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【三碧木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
森鷗外の運気を九星気学でみると?
■1884年 ドイツ留学
1884年は八白土星中宮年で、三碧木星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽のあたるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
三碧木星の定位には六白金星が回座し、権威や目上のサポートがある暗示があります。
森鷗外は、ドイツ留学を命じられ、ライプツィヒ大学で学びます。
■1888年 陸軍大学校教官
1888年は四緑木星中宮年で、三碧木星は東南にあり、運気は旺盛ですが、暗剣殺です。
三碧木星の定位には二黒土星が回座し、受け身の暗示があります。
森鷗外は、日本に帰国し、陸軍大学校教官に就任します。
■1890年 『舞姫』『うたかたの記』
■1909年 『ヰタ・セクスアリス』
1909年は一白水星中宮年で、三碧木星は西にあり収穫のときであり、定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
また、三碧木星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
森鷗外は、『ヰタ・セクスアリス』を発表しますが、掲載された文芸誌「スバル」7号は、発刊から1か月後に発売禁止の処分を受けます。
■1915年 『山椒大夫』
■1919年 帝国美術院初代院長
1919年は九紫火星中宮年で、三碧木星は北東にあり変化変動、そして歳破がついています。
三碧木星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
森鷗外は、 帝国美術院の初代院長に就任します。
■1922年7月9日 病死
1922年7月9日、森鷗外は、腎臓病が悪化し、亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤では、三碧木星は南西にあり後厄、三碧木星の定位には四緑木星が回座し、遠方の暗示があります。
四緑木星には、泌尿器系や肝臓、呼吸系の病気の暗示があります。
月盤では、三碧木星は北東にあり変化変動、月破がついています。
年盤の三碧木星には、月盤の六白金星が回座し、天の暗示があります。
六白金星には、肺臓疾患という象意がありますが、森鷗外には肺結核の兆候もあったということです。
日盤では、三碧木星は東南にあり運気旺盛ですが、暗剣殺です。
月盤の三碧木星には、日盤の七赤金星が回座し、呼吸器疾患の暗示があります。
九星盤をみる限り、すぐに亡くなるような運気ではありませんので、現代なら、回復したのではないでしょうか。
森鷗外を宿曜占星術で占ってみると?
■森鷗外【氐宿】
宿曜占星術では、森鷗外は氐宿の生まれです。
氐宿は、現実的で柔軟な思考力をもった本命宿です。
氐宿さんは、束縛を嫌い、自分の信念を貫くためには、世間の常識とか因習にとらわれないで生きていきます。
人がやらないこと、つまりニッチで成功しやすいところを嗅ぎ分ける能力も合わせ持っています。
森鷗外は、月曜生まれの氐宿さんなので、柔和ですが、人づきあいは上手ではありません。
癇癪持ちで心配性、害妄想的なところがあったようです。
氐宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「氐宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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