持病の喘息悪化のため33歳で病没
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
中島敦は、『山月記』『李陵』などで知られる作家です。
教師をしながら作家活動をつづけますが、専業作家となると、しばらくして病気で亡くなっています。
中島敦について調べてみました。
中島敦を九星気学で占ってみると?
■中島敦(1-6-9)
中島敦は、1909年5月5日生まれ。
本命星:一白水星
月命星:六白金星
傾斜宮:九紫火星
中島敦は、本命星の一白水星に、月命星の六白金星からエネルギーが流れる相生の関係です。
一白水星は、困難な状況にあっても根気強い人が多く、どちらかと言えば思索的です。
企画性や創造力に富んでいるのですが、秘密主義であり、他人の意見やアドバイスを簡単には受け入れません。
六白金星は、気位の高い理想主義者であり、人から指図されることを最も嫌います。
また、頭も切れ、独立心も旺盛なのですが、社交性に欠けるために、周囲から反感を買うことも。
この星回りの人は、誰にでも合わせられるように見えて、本音のところでは心を開かないタイプなのです。
九紫火星は、先進的で感覚的なタイプが多く、表現力に優れ、派手なことが好きですが、この九紫火星の性質を、慎重な一白水星の性質が尅しているので、思いついたことを軽々しく実行に移すことはほとんどありません。
この星回りは、気持ちが決まってから行動に移すことが多い、慎重なところがあります。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【一白水星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
中島敦の運気を九星気学でみてみると?
■1942年 『山月記』
■1942年12月4日 病死
1942年12月4日、中島敦は、持病の気管支喘息が悪化したため亡くなります。
この日の九星盤をみると、一白水星は南西にあり、後厄です。
一白水星の定位には九紫火星が回座し、「離」の作用の暗示があります。
「離」の作用とは、「離れる」という意味であり、亡くなることも含まれています。
また、年盤の一白水星には、月盤の五黄土星が回座し、持病の悪化という暗示があります。
日盤の一白水星は南にあり、ここでも「離」の作用の暗示がみられます。
中島敦が、持病が悪化して亡くなるのもうなづける九星盤です。
■1943年 『李陵』
■1949年 毎日出版文化賞受賞
1949年は六白金星中宮年で、一白水星は南にあり前厄、そして定位対冲です。
前厄のときは陽のあたるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
また、定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
中島敦の全集が刊行されると、毎日出版文化賞を受賞します。
また、翌年の1950年には、教科書のひとつに『山月記』が初めて教材として採用され、以降も教科書に採用されるようになります。
中島敦を宿曜占星術で占ってみると?
■中島敦【房宿】
宿曜占星術では、中島敦は房宿の生まれです。
房宿は、頭脳明晰で学問を好む本命宿です。
房宿さんは、物事の判断や見通しが的確で、実行力があり、目的を達成するための忍耐力もあります。
また、大衆の気持ちをつかむ直観力があり、カリスマ的な存在として影響力を持つことがあります。
中島敦は、水曜生まれの房宿さんなので、善良で、恨みを残すことがない、さっぱりとした人物です。
房宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「房宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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