3度もノーベル生理学・医学賞の授賞候補に
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
北里柴三郎が次の1000円札の顔だとすると、今の1000円札の顔といえば、野口英世です。
映画にもなるほど、野口英世の人生はダイナミックですが、黄熱病の研究中にアフリカのガーナ共和国で亡くなりました。
享年51歳。
野口英世について調べてみました。
野口英世を九星気学で占ってみると?
■野口英世(7-8-4)
野口英世は、 1876年11月9日生まれ。
本命星:七赤金星
月命星:八白土星
傾斜宮:四緑木星
野口英世は、本命星の七赤金星に月命星の八白土星からエネルギーが流れている相生の関係です。
七赤金星は、周囲の人を楽しませることが好きで、目立ちたがり屋が多い星です。
物事を斜めに見る視点を備えており、批判力があるため、その発言は、多方面に影響を与える傾向があります。
八白土星は努力の星ですから、精進したいという気持ちが行動となってあらわれ、多くの人から称賛されるタイプです。
また、八白土星はプライドの星でもあり、この八白土星から、自己顕示欲の強い七赤金星にエネルギーが流れていますから、冷静沈着に目標に突き進みます。
四緑木星は、コミュニケーション能力の高さと優柔不断さを合わせ持っており、相手の気持ちを読み、誰とでも仲良くなれますが、口ほどには行動力はないかも。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【七赤金星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
野口英世の運気を九星気学でみてみると
■1878年 左手に大火傷
1878年は五黄土星中宮年で、七赤金星は定位に戻って西にあり、収獲のときです。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
野口英世は、1歳の時に囲炉裏に落ち、左手に大火傷を負います。
このことが、野口英世の人生において、大きな意味を持つようになります。
■1892年 左手の手術を受ける
1892年は九紫火星中宮年で、七赤金星は東に出て、運気は上昇に転じます。
定位対冲であり、運命の歯車が大きく動くときです。
野口英世は、左手の手術を受け、不自由ながらも左手の指が使えるようになります。
この手術の成功がきっかけで、野口英世は医師を目指します。
■1898年 伝染病研究所勤務
1898年は三碧木星中宮年で、七赤金星は南にあり、前厄です。
七赤金星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりがちで、五黄殺(自滅)の暗示があります。
野口英世は、北里柴三郎が所長を務める伝染病研究所に勤めはじめます。
語学力を買われ、外国図書係として通訳、研究所外の人間との交渉などを担当したそうです。
また、坪内逍遥「当世書生気質」に登場する人物・野々口精作が、弁舌を弄し借金を重ねつつ自堕落な生活を送ることから、自分の名前によく似ており、また野口英世自身も借金を繰り返して遊廓などに出入りしていたことから、清作から英世に改名します。
■1900年 アメリカへ渡航
1900年は一白水星中宮年で、七赤金星は南西にあり、後厄です。
七赤金星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
野口英世は、数年前からアメリカ留学を企図していましたが、渡航費用が捻出できないでいました。
そこで、婚約持参金を渡航費に当て、アメリカへ渡航。
のちに、この持参金を返し、婚約は破棄されます。
サイモン・フレクスナー博士のペンシルベニア大学医学部での助手の職を得て、研究生活に入ります。
■1903年 コペンハーゲンの血清研究所に留学
1903年は七赤金星中宮年で、花が咲くときです。
七赤金星の定位には九紫火星が回座し、注目をあつめる暗示があります。
野口英世は、サイモン・フレクスナー博士の指示により、コペンハーゲンの血清研究所に留学します。
ここで血清学の研究を続け、トーバル・マッセンとの連名でいくつかの論文を執筆します。
■1911年 「病原性梅毒スピロヘータの純粋培養に成功」と発表
1911年は八白土星中宮年で、七赤金星は東南にあり運気は旺盛ですが、歳破がついています。
また、七赤金星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
野口英世は、「病原性梅毒スピロヘータの純粋培養に成功」と発表し、世界の医学界に名を知られるようになります。
しかし、純粋培養の成功は、ほぼ否定されています。
また、アメリカ人女性のメリー・ダージスと結婚します。
■1914年 ノーベル医学賞候補
1911年は五黄土星中宮年で、七赤金星は定位に戻って西にあり、収獲のときです。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
野口英世は、ロックフェラー医学研究所正員に昇進すると、この年のノーベル医学賞候補に選出されます。
■1915年 15年ぶりに帰国
1915年は四緑木星中宮年で、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
七赤金星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
野口英世は、15年振りに日本に帰国。
恩師の小林栄と血脇守之助、古くからの親友の八子弥壽平に懐中時計を贈り、母シカ、小林栄と共に講演旅行をし、三重、大阪、京都などを見物します。
野口英世はこれ以降、帰国せずに亡くなります。
また、2度目のノーベル医学賞候補となります。
■1918年 黄熱病の病原体発見のためエクアドルへ
1918年は一白水星中宮年で、七赤金星は南西にあり、後厄です。
七赤金星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
野口英世は、ロックフェラー財団の意向を受けて、黄熱病の病原体発見のため、エクアドルへ派遣されます。
病原体の特定に成功し、野口ワクチンにより、黄熱病が収束したとされていますが、その後、効果がないことが判明します。
また、3度目のノーベル医学賞の候補になります。
■1928年 黄熱病で死去
1928年は九紫火星中宮年で、七赤金星は東に出て、運気は上昇に転じます。
七赤金星の定位には二黒土星が回座し、受け身・他力本願の暗示があります。
野口英世は、1927年にアフリカへ黄熱病研究のため出張すると、黄熱病に感染し、1928年になくなります。
死の直前に、細菌ではなくウイルスであることに気づいたようでした。
野口英世を宿曜占星術で占ってみると?
■野口英世【翼宿】
宿曜占星術では、野口英世は翼宿の生まれです。
翼宿は、完全主義者の本命宿です。
自分の信念を持ち、決して曲げずに努力を重ねていくのが翼宿さんです。
翼宿さんは、遠くに飛んでいくことと縁があり、海外との関係で実力を発揮します。
野口英世が、アメリカに渡航して以来、各国に出向くようになるのは、翼宿さんの運勢そのものと言っても良いでしょう。
野口英世を金銭面で助けた医師・血脇守之助は奎宿生まれ、アメリカで研究できるように面倒をみた学者のサイモン・フレクスナーは鬼宿生まれです。
奎宿の血脇守之助とは【安・壊】の関係、鬼宿のサイモン・フレクスナーとは【危・成】の関係になります。
奎宿は柔軟性があり、翼宿が好きなので、奎宿の悪い資質がでなければ、翼宿にとって魅力のある相手となります。
鬼宿は自由人で、翼宿は自分の信念の通りに人を動かそうとしますが、鬼宿は動きません。
野口英世の人生は、周囲の人をうまく巻き込んで、自分のやりたいこと、目標を達成しようとしたものだったようです。
翼宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「翼宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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また、27の本命宿それぞれの2020年の運気は、以下のブログをお読みになってください。
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