最も人気のある歴史人物
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
織田信長は、日本史上もっとも人気の高い人物ではないでしょうか。
この開運ブログでも、何度も取り上げていますが、今回は織田信長の人生を追いかけてみましょう。
織田信長を九星気学でみると?
■織田信長(7-4-8)
織田信長は、 天文3年5月12日(1534年6月23日)生まれ。
本命星:七赤金星
月命星:四緑木星
傾斜宮:八白土星
織田信長は、本命星の七赤金星は、月命星の四緑木星を剋し(金剋木)、傾斜宮の八白土星は七赤金星にエネルギーを与えているという関係です。
本音の部分と行動は一致しているけれど、理性的な精神は、その行動によって傷つけられているので、本当の自分がやりたいことは、世間的には受け入れられないのかもしれないという疑問が生じやすいといえます。
七赤金星生まれは、周囲を明るく楽しくさせる天性の才能を持っている一方、物事を斜めにみて批判できる能力を持っており、持ち前の説得力は、カンの鋭さもあって、誰にも負けないでしょう。
四緑木星は風であり、コミュニケーション能力の高さを示しています。
八白土星は山であり、プライドと努力の星であり、目標に到達するための努力、自分のプライドのための努力は欠かしません。
織田信長は、本能的・直感的な行動を優先させるため、周囲の納得は無視するか、説明したとしてもぶっ飛んでいたかもしれませんね。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【七赤金星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
織田信長の運気を九星気学でみると?
■1552年 家督をつぐ
1552年は七赤金星中宮年で、花が咲くときです。
七赤金星の定位には九紫火星が回座し、注目をあつめる暗示があります。
織田信長は、父・信秀が亡くなり、織田家の家督をつぎます。
■1556年 斎藤道三の死
1556年は三碧木星中宮年で、七赤金星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽のあたるときなのですが、七赤金星の定位には五黄土星が回座し、五黄殺です。
織田信長の義父である斎藤道三が、斎藤義龍との戦いで敗死すると、織田家中では弟・信勝を擁立すべく挙兵する勢力が台頭します。
斎藤道三を助けるために出兵したことは、斎藤道三が、それだけ大切な存在であったことの証といえます。
■1560年 桶狭間の戦い
1560年は八白土星中宮年で、七赤金星は東南にあり、運気は旺盛です。
七赤金星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも世間の注目をあつめる暗示があります。
また、定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くときです。
織田信長は、桶狭間の戦いで今川義元を破り、一躍有名になります。
■1566年 「天下布武」の朱印を使い始める
1566年は二黒土星中宮年で、七赤金星は北にあり、本厄です。
七赤金星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
織田信長は、「天下布武」の朱印を使い始めます。
■1568年 足利義昭を第15代将軍に擁立
1568年は九紫火星中宮年で、七赤金星は東に出て、運気は上昇に転じます。
七赤金星の定位には二黒土星は回座し、受け身・他力本願の暗示があります。
織田信長は、足利義昭を第15代将軍に擁立します。
■1570年 金ヶ崎の戦い・姉川の戦い
1570年は七赤金星中宮年で、花が咲くときです。
七赤金星の定位には九紫火星が回座し、契約トラブルの暗示があります。
織田信長は、朝倉義景を討伐のため越前へ進軍するも、浅井氏が離反。
金ヶ崎の戦いでは、僅か10名の兵と共に京に到着したといわれています。
また、浅井氏を討つべく、姉川河原で浅井・朝倉連合軍と対峙し、辛うじて織田軍が勝利します。
織田信長が、金ヶ崎の戦い・姉川の戦いで窮地を脱することができたのは、中宮で運気が強かったからかもしれません。
■1571年 比叡山焼き討ち
1571年は六白金星中宮年で、七赤金星は北西にあり実をつけるときですが、暗剣殺です。
七赤金星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
織田信長は、朝倉・浅井に味方した延暦寺を攻め、比叡山焼き討ちを決行します。
■1575年 長篠の戦い
1575年は二黒土星中宮年で、七赤金星は北にあり、本厄です。
七赤金星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
織田信長は、長篠の戦いにおいて、設楽原で火縄銃を用いた射撃を行わせ、武田軍を打ち破ります。
また、権大納言・右大将に就任し、以降は「上様」と称されるようになり、朝廷より「天下人」であることを、事実上公認されたようです。
加えて、嫡男・信忠に織田家の家督を譲ります。
■1579年 安土城完成
1579年は七赤金星中宮年で、花が咲くときです。
七赤金星の定位には九紫火星が回座し、世間の注目をあつめる暗示があります。
織田信長が1576年から築城しはじめた安土城が完成します。
■1581年 京都御馬揃え
1581年は五黄土星中宮年で、七赤金星は定位に戻って西にあり、収獲のときです。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
織田信長は、一大軍事パレードともいわれる京都御馬揃えを行います。
■1582年 武田氏を滅ぼす
1582年は四緑木星中宮年で、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
七赤金星の定位には六白金星が回座し、権威や目上のサポートがある暗示があります。
織田信長は、甲州征伐をおこない、武田氏を滅ぼします。
■1582年6月21日(天正10年6月2日) 本能寺の変
1582年6月21日(天正10年6月2日)、明智光秀の謀反により、本能寺で織田信長は自害します。
年盤と月盤は同じ四緑木星中宮であり、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
日盤では、七赤金星は南にあり前厄であり、日破がついています。
この九星盤は、七赤金星にとって最悪ではありませんが、変化変動が重なっていることと、そして日破がついていることから、運気的には大きな変化があってもおかしくないといえそうです。
織田信長の運気が悪かったというより、むしろ、明智光秀の運気が強かったというべきかもしれません。
明智光秀は四緑木星生まれであり、年盤・月盤では花が咲くときだからです。
また、甲州征伐では、織田信長は大凶の方位に移動しています。
こういうことも影響しているのかもしれません。
織田信長を宿曜占星術でみると?
■織田信長【房宿】
宿曜占星術では、織田信長は房宿の生まれです。
房宿は、財運に恵まれた本命宿です。
直観力があり、カリスマ性を備えている人も多く、家風を隆盛に導きますが、他人の痛みに鈍感なところがあり、無用の敵を作りやすい傾向があります。
そのためか、思わぬ災難や悲劇に見舞われる運勢をもっています。
織田信長は、まさに房宿的な人物だったようです。
房宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「房宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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