日本の近代医学の祖
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
緒方洪庵は、幕末に活躍した蘭学者であり、適塾を開いた人物。
そして、日本で初めて種痘を行い、天然痘治療に貢献しました。
緒方洪庵について調べてみました。
緒方洪庵を九星気学で占ってみると?
■緒方洪庵(1-2-4)
緒方洪庵は、1810年8月13日生まれ。
本命星:一白水星
月命星:二黒土星
傾斜宮:四緑木星
緒方洪庵は、本命星の一白水星から傾斜宮の四緑木星にエネルギーが流れる相生の関係ですが、月命星は二黒土星なので、土剋水(土は水を堰き止める)という相剋の関係も持っています。
一白水星は水であり、表面的な柔軟性とは異なり、秘密主義であり、深く思考して創造性や企画性を高めるという資質を持っています。
二黒土星は母なる大地であり、まじめで勤勉な性質を意味しています。
また、万物を育成するのが二黒土星であり、人を育てる資質をもっていますから、緒方洪庵が適塾で多くの人を育てたのは、まさに二黒土星の資質によるものでしょう。
四緑木星は風であり、人の心を読むことに長けたネゴシエーターであり、自分の信じることを語るときは、とんでもない説得力を発揮することも。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【一白水星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
緒方洪庵の運気を九星気学でみてみると
■1838年 蘭学塾「適々斎塾(適塾)」を開く
1838年は九紫火星中宮年で、一白水星は北西にあり、実をつけるときです。
一白水星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
緒方洪庵は、医師として開業すると同時に、蘭学塾「適々斎塾(適塾)」を開きます。
■1849年 除痘館を開く
1849年は七赤金星中宮年で、一白水星は北東にあり、変化変動です。
一白水星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
緒方洪庵は、牛痘種痘法による切痘を始めるため、除痘館を開きます。
■1858年 牛痘種痘が免許制となる
1858年は七赤金星中宮年で、一白水星は北東にあり、変化変動です。
一白水星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
緒方洪庵は、もぐりの牛痘種痘法者が現れたことから、除痘館のみを国家公認の牛痘種痘法治療所として認められるよう奔走していましたが、江戸幕府がこれを認め、牛痘種痘を免許制としました。
■1862年 奥医師兼西洋医学所頭取
1862年は三碧木星中宮年で、一白水星は東に出て、運気は上昇に転じます。
一白水星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
緒方洪庵は、幕府の度重なる要請により、奥医師兼西洋医学所頭取として江戸に出仕します。
■1863年7月25日 死去
1863年7月25日、緒方洪庵は、江戸の医学所頭取役宅で突然喀血し、窒息により亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤と日盤はどちらも六白金星中宮であり、一白水星は南にあり、「離」の作用が働くときです。
また、定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くときでもあります。
月盤では、一白水星は北西にあり、実をつけるときですが、年盤の一白水星には、月盤の四緑木星が回座し、遠方の暗示があります
日盤の一白水星には、日破がついていますので、緒方洪庵自身も、思いがけない死であったと思われます。
享年54。
緒方洪庵を宿曜占星術で占ってみると?
■緒方洪庵【危宿】
宿曜占星術では、緒方洪庵は危宿の生まれです。
危宿は、直観力やセンスが光る本命宿です。
危宿さんは、自分のやりたいことや仕事には、研究を怠らず、寝ても覚めても改善点や新企画を考えます。
また、デリケートな心を持っていますが、素直に態度に表すことができず、ぶっきらぼうな態度になってしまうことがあります。
ただし、見栄っ張りで気まぐれなので、酒の席で失敗しやすい傾向がありますが、緒方洪庵はどうだったのでしょうか。
危宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「危宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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