日本最初の女子留学生の一人
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
大山捨松は、日本最初の女子留学生の一人であり、11歳でアメリカに留学します。
出身は会津藩、のちに元老となった大山巌と結婚します。
大山捨松について調べてみました。
大山捨松の性格を九星気学で占ってみると?
■大山捨松(5-1-9)
大山捨松は、1860年3月16日生まれ。
本命星:五黄土星
月命星:一白水星
傾斜宮:九紫火星
大山捨松は、本命星の五黄土星と月命星の一白水星とは、土剋水(土は水を堰き止める)という相剋の関係です。
五黄土星は、九星のなかで最も強い帝王の星ですから、とても意欲的であり、物欲も旺盛です。
一白水星は、心のうちは明らかにしませんが、表面的には誰とでもおだやかに付き合える星であり、企画力や創造力に長けた星でもあります。
九紫火星は、明るく社交的であり、感覚的な星です。
この九紫火星から五黄土星にエネルギーが流れているため、直感的な行動を優先させることが多いタイプです。
一白水星はよく考えて計画し、創造するので、パパっとひらめく九紫火星の良いところを活かせないと、この星回りの人は、考えをまとめて行動に移すまでにかなり時間がかかってしまうといえます。
しかし、意外としっかり計算して行動しているのかも。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【五黄土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
大山捨松の運気を九星気学でみると?
■1871年 官費留学
1871年は三碧木星中宮年で、五黄土星は西にあり、収獲のときです。
五黄土星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
大山捨松は11歳でしたから、月命星の一白水星の運気でみると、東に出て、運気は上昇に転じています。
また、一白水星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
大山捨松は、日本最初の女子留学生の一人として、アメリカに留学します。
■1883年 大山巌と結婚
1883年は九紫火星中宮年で、五黄土星は北にあり、本厄です。
五黄土星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
大山捨松は、周囲の反対がありながらも、大山巌の後妻となります。
■1884年 日本初のチャリティーバザー「鹿鳴館慈善会」
1884年は八白土星中宮年で、五黄土星は南西にあり、後厄です。
五黄土星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
大山捨松は、日本初のチャリティーバザー「鹿鳴館慈善会」を開きます。
3日間で予想を大幅に上回る収益をあげ、その全額を共立病院へ寄付し、2年後には日本初の看護婦学校・有志共立病院看護婦教育所が設立されます。
■1887年 「日本赤十字篤志婦人会」発起人
1887年は五黄土星中宮年で、花が咲くときです。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
大山捨松は、「日本赤十字篤志婦人会」の発起人のひとりとなります。
■1900年 女子英学塾設立を支援
1900年は一白水星中宮年で、五黄土星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
大山捨松は、津田梅子が女子英学塾(後の津田塾大学)を設立するために、全面的に支援し、ボランティアとして奉仕します。
■1916年 大山巌死去
1916年は三碧木星中宮年で、五黄土星は西にあり、収獲のときです。
五黄土星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
大山捨松は、大山巌を失います。
■1919年2月18日 スペイン風邪で死去
1919年2月18日、大山捨松はスペイン風邪にかかり、58歳で亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤では五黄土星は北にあり、本厄です。
五黄土星の定位には九紫火星が回座し、「離」の作用が働く暗示があります。
年盤の五黄土星には、月盤の一白水星が回座し、体調面では最悪と言っても良い運気です。
月盤の五黄土星には、日盤の二黒土星が回座し、受け身の暗示があります。
留学中のホストファミリーの子どもであったアリス・ベーコンとは、手紙をやり取りし、日本に教師として招聘もしていますが、アリス・ベーコンは1918年に亡くなっています。
大山捨松は、自身の理解者でもあった夫・大山巌、親友のアリス・ベーコンを失い、この世に未練はなかったのかもしれません。
大山捨松と大山巌の相性を九星気学でみると
大山捨松と大山巌のもつ九星を、五行に置き換えてみました。
大山捨松と大山巌は、どちらも五黄土星生まれです。
相性としては微妙ですが、お互いにわかりあえる、良き理解者同士であったことでしょう。
18歳の年齢差がなければ、激しい衝突で離婚もありえる相性です。
大山捨松を宿曜占星術で占ってみると?
■大山捨松【虚宿】
宿曜占星術では、大山捨松は虚宿の生まれです。
虚宿は、勝負運の強さとカンの鋭さは、二十七宿のなかで最も強い本命宿です。
虚宿さんは、気に入った相手には信頼を置き、部下や年少者の面倒見が良く、気前の良いところを見せます。
また、人から憎まれるようなことはなく、上司や同僚からの引き立てがあり、若くして高い地位に就くようになることもあります。
虚宿さんは、良き上司の部下になり、組織や他人の財産を富ますことによって、みずからも幸福になるという道を選ぶとうまくいきます。
大山捨松は、大山巌もしらないところで、大山家の資産運用を一手に引き受けていたそうです。
大山巌が上司とすれば、大山捨松は部下として、大山家の繁栄基盤を築いていたのかもしれません。
虚宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「虚宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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大山捨松と大山巌の相性を宿曜占星術でみてみると?
大山巌は奎宿の生まれです。
虚宿の大山捨松と、奎宿の大山巌は、【危・成】の関係です。
【危・成】の関係とは、一方は、なにか危険な予感を感じますが、もう一方にとっては何事かを成し遂げるには必要な人物という関係です。
お互いにライバル心が起こりやすいので、良い相性がでれば、互いに向上心を持って研鑽する間柄です。
虚宿の大山捨松にとって、大山巌は「成」であり、自らの成したいことを実行するためには欠かせない存在であったようです。
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