内閣総理大臣2回、外務大臣5回、内務大臣2回
おはようございます、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
大隈重信は、早稲田大学とともに記憶されていることが多いのですが、大河ドラマ『青天を衝け』を観ると、政治家としての活躍も華々しいことがわかります。
大隈重信について調べてみました。
大隈重信を九星気学でみると?
■大隈重信(9-4-1)
大隈重信は、1838年3月11日生まれ。
本命星:九紫火星
月命星:四緑木星
傾斜宮:一白水星
大隈重信は、傾斜宮の一白水星から月命星の四緑木星へ、月命星の四緑木星から本命星の九紫火星へとエネルギーが流れる相生の関係です。
心から沸き起こってくる思いが思考になり、行動へと移せるタイプで、運勢は旺盛ですが、やや頑固な面も。
九紫火星の人は、鋭い感受性、美的なセンスがあり、おしゃれで華やかなムードがあり、周囲の目を引く存在です。
好奇心旺盛で、興味の対象が次々と変わるため、気分屋という評価を受けます。
四緑木星は風であり、どこにでも入っていけるようなコミュニケーション能力の高さを意味していますが、人を信用しすぎてだまされることもあります。
一白水星は水であり、よく考えて企画したり、創造したりすることが得意ですが、考えすぎるため、行動に移せないことも。
この星回りは、周囲の様子を見て行動するので、とても慎重なところがあります。
しかし、じっくりと考えた結果であるため、自分の言動に迷いがなく、ときに激しい言動となりがちです。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【九紫火星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
大隈重信の運気を九星気学でみると?
■1869年 「築地梁山泊」
1869年は五黄土星中宮年で、九紫火星は定位の南に戻り、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
また、定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
大隈重信は、参与に任じられ、贋金問題などから外交まで、幅広く担当してます。
このころ、大隈重信邸には、伊藤博文や井上馨、前島密や渋沢栄一など若手官僚が集まり、寝起きするようになったことから、大隈邸は「築地梁山泊」と呼ばれるようになります。
⇒ 新一万円札の渋沢栄一とは?性格・運気・運勢を占ってみると
■1882年 立憲改進党
1882年は一白水星中宮年で、九紫火星は東南にあり、運気は旺盛です。
九紫火星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
大隈重信は、10年後の国会開設に備え、立憲改進党を結成し、党首となります。
また、早稲田大学の初代総長に就任します。
■1888年 外務大臣
1888年は四緑木星中宮年で、九紫火星は南にあり、歳破がついています。
定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くときです。
また、九紫火星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
大隈重信は、外務大臣に就任します。
■1889年 大隈重信遭難事件
1889年は三碧木星中宮年で、九紫火星は南西にあり後厄、そして歳破がついています。
九紫火星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
大隈重信は、国家主義組織玄洋社の爆弾による襲撃を受け、右脚を大腿下三分の一で切断することととなります。
■1898年 隈板内閣
1898年は三碧木星中宮年で、九紫火星は南西にあり後厄です。
九紫火星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
大隈重信は、板垣退助とともに組閣の大命を受け、大隈重信が内閣総理大臣兼外相、板垣退助が内務大臣に就任します。
■1904年 始球式
1904年は六白金星中宮年で、九紫火星は北東にあり、変化変動です。
九紫火星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
大隈重信は、米大リーグ選抜チーム対早稲田大学野球部の国際親善試合で、始球式で投げます。
これは、記録に残っている日本最古の始球式とされています。
■1914年 第二次大隈内閣
1914年は五黄土星中宮年で、九紫火星は定位の南にもどり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときです。
また、定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
大隈重信は、76歳で2度目の内閣を組織します。
再び首相に就任するまで16年というブランクは、歴代最長記録となっています。
■1922年1月10日 死去
大隈重信は、1922年1月10日にガンのため、亡くなります。
この日の九星盤をみてみましょう。
年盤では、九紫火星は西にあり、暗剣殺です。
年盤の九紫火星には、月盤の八白土星が回座し、変化変動です。
また、月盤の九紫火星は北東にあり、ここでも変化変動の暗示があります。
大隈重信は、80歳を超える長寿でしたので、亡くなるのも仕方がない運気だったといえそうです。
大隈重信を宿曜占星術でみると?
■大隈重信【亢宿】
宿曜占星術では、大隈重信は亢宿の生まれです。
亢宿は、きれい好きで、スタイリッシュなおしゃれさんが多い本命宿です。
亢宿さんは、自尊心が高く、自分の信念に忠実で、押し通そうとします。
また、正直で誠実、正義感があり、周りから信頼されるバランス感覚に優れています。
亢宿さんは、強情さでは二十七宿のなかでも屈指と言えるほどで、世間や周囲がなんと言おうと、信条をかたくなに貫こうとします。
大隈重信は、日曜生まれの亢宿さんなので、善良で素直であるため、誰の言うことでも聞いてしまい、嘘も信じてしまうような人。
勢いがありますが、竜頭蛇尾に終わることが多いようです。
亢宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「亢宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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