大倉財閥の設立者
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
大倉喜八郎は、新潟県新発田市出身で、鰹節商の丁稚から身を起こした人物です。
帝国ホテル、日清オイリオ、サッポロビール、みずほ銀行など、多くの企業の設立に関わりました。
大倉喜八郎について調べてみました。
大倉喜八郎を九星気学で占ってみると?
■大倉喜八郎(1-9-6)
大倉喜八郎は、1837年10月23日生まれ。
本命星:一白水星
月命星:九紫火星
傾斜宮:六白金星
大倉喜八郎は、本命星の一白水星と月命星の九紫火星が、水剋火(水は火を消す)の相剋の関係です。
一白水星は水であり、柔軟性がありますが、人間関係は広くなく、どちらかといえば秘密主義です。
また、一白水星は思索的であり、企画力や創造力に優れていますので、よく考えて行動しますが、この星回りの場合は、直感的な言動として現れやすい傾向があります。
九紫火星は火であり、アイデア豊富で、美的センスに優れていますが、興味のある無しによって極端になりがち。
六白金星は天であり、理想主義者です。
人の指図には絶対に従わず、独立精神が強いのも六白金星の特徴です。
この六白金星から一白水星にエネルギーが流れているので、自分が掲げる理想を実行しようとするのが、この星回りの性質といえるでしょう。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【一白水星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
大倉喜八郎の運気を九星気学でみてみると
■1857年 乾物店大倉屋を開業
1857年は八白土星中宮年で、一白水星は西にあり、収穫のときです。
一白水星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
大倉喜八郎は、丁稚奉公で貯めた100両を元手に独立し、乾物店大倉屋を開業します。
■1867年 鉄砲店大倉屋を開業
1867年は七赤金星中宮年で、一白水星は北東にあり、変化変動です。
一白水星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
大倉喜八郎は、横浜で黒船を見て乾物店を廃業して、小泉屋鉄砲店に見習いに入り、鉄砲店大倉屋を開業します。
■1868年 有栖川宮熾仁親王御用達
1868年は六白水星中宮年で、一白水星は南にあり前厄、そして定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
また、前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目をあつめる暗示があります。
大倉喜八郎は、有栖川宮熾仁親王御用達となり、奥州征討軍の軍需品を調達するようになります。
■1872年 民間人初の欧米経済事情視察
1872年は二黒土星中宮年で、一白水星は東南にあり、運気は旺盛です。
一白水星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
大倉喜八郎は、 民間人としては初の欧米経済事情の視察に出発します。
ヨーロッパ滞在中に岩倉使節団と交流しています。
■1873年 大倉組商会を設立
1873年は一白水星中宮年で、花が咲くときです。
一白水星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
大倉喜八郎は、大倉組商会を設立し、ロンドンに日本企業初の海外支店・大倉組商会倫敦支店を設置します。
■1887年 帝国ホテル設立
1887年は五黄土星中宮年で、一白水星は定位に戻って北にあり、本厄です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
大倉喜八郎は、日本土木会社、内外用達会社を設立、また、帝国ホテルも設立します。
■1894年 日清戦争
1894年は八白土星中宮年で、七赤金星中宮年で、一白水星は北東にあり、変化変動です。
一白水星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
大倉喜八郎は、日清戦争で陸軍御用達となります。
■1900年 大倉商業学校(東京経済大学)を創設
1900年は一白水星中宮年で、花が咲くときです。
一白水星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
大倉喜八郎は、私財を投じて大倉商業学校(東京経済大学)を創設し、雑誌『THE NATION』に報じられます。
また、妻や嗣子の喜七郎も同行して、パリ万国博覧会へ参加し、革命記念祭、ロスチャイルド家からの招待を受けるなど交流を深めます。
■1911年 株式会社大倉組を設立
1911年は八白土星中宮年で、一白水星は西にあり、収穫のときです。
一白水星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
大倉喜八郎は、株式会社大倉組を設立し、事業のコンツェルン化をすすめます。
■1928年4月22日 死去
1928年4月22日、大倉喜八郎は大腸がんのため、亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤の一白水星は北西にあり、歳破がついています。
一白水星の定位には五黄土星が回座し、五黄殺なので、病気の場合には重症化し、とくに腹部の病気と関係が深いのです。
月盤では、一白水星は東にあり、暗剣殺です。
年盤の一白水星には、月盤の四緑木星が回座し、遠方の暗示があります。
日盤では、一白水星は北にあり本厄なので、大倉喜八郎にとっては、運気的に良くない日であったことがわかります。
大倉喜八郎を宿曜占星術で占ってみると?
■大倉喜八郎【翼宿】
宿曜占星術では、大倉喜八郎は翼宿の生まれです。
翼宿は、海外との関係で実力を発揮する本命宿です。
大倉喜八郎が、民間人として3度も渡欧し、日本企業といて初めて海外進出するなど、海外との関係でビジネスを拡大してきたことをみると、まさに翼宿の生まれです。
また、大倉喜八郎は月曜生まれの翼宿さんなので、器用で、やることなすこと手早い人物であったといえます。
世の中に出るまでには時間がかかりますが、いったん世に出ると群を抜いた能力を発揮します。
大倉喜八郎が、丁稚奉公から身を起こした後は、破竹の勢いで事業を起こしていきますので、やはり翼宿さんらしい生き方をしたのだと思います。
翼宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「翼宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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