ホテルオークラ、川奈ホテル、赤倉観光ホテル
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
大倉喜七郎は、大倉喜八郎の子どもで、大倉財閥2代目総帥です。
ホテルオークラ、川奈ホテル、赤倉観光ホテルなど、日本のホテル業界に大きな足跡を残しました。
大倉喜七郎について調べました。
大倉喜七郎を九星気学で占ってみると?
■大倉喜七郎(1-4-2)
大倉喜七郎は、1882年6月16日生まれ。
本命星:一白水星
月命星:四緑木星
傾斜宮:二黒土星
大倉喜七郎は、本命星の一白水星から月命星の四緑木星にエネルギーが流れる相生の関係です。
一白水星は水であり、表面的には柔軟性があるように見えますが、意外にも強情で、秘密主義。
よく考えて企画、創造することによって人生を切り開いていくのが、一白水星の持ち味です。
四緑木星は風であり、相手の顔色をみて対応できるコミュニケーション能力の持ち主です。
しかし、人を信用しやすく、また自分が信じることは頑固に主張することも。
この星回りは、自分の行動によって、周囲の反応を敏感に察知できる人、といえそうです。
二黒土星は畑の土であり、まじめで従順、そして万物を育みますが、他力本願なところがあります。
この星回りでは、受け身の二黒土星が、思索の一白水星を尅しているため、せっかくの良い企画であっても、グズグズと先送りする人が多いのかもしれません。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
↓
⇒ 【一白水星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
大倉喜七郎の運気を九星気学でみてみると
■1900年 ケンブリッジ大学に留学
1900年は一白水星中宮年で、花が咲くときです。
一白水星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
大倉喜七郎は、ケンブリッジ大学に留学します。
■1907年 自動車レース2位に入賞
1907年は三碧木星中宮年で、一白水星は東に出て、運気は上昇に転じます。
一白水星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
大倉喜七郎は、留学中に自動車の操縦、修理技術まで習得します。
また、世界初のモータースポーツ専用常設コースのブルックランズ・サーキットのオープニングレースに出場し、2位に入賞します。
■1922年 帝国ホテル会長に就任
1922年は六白水星中宮年で、一白水星は南にあり前厄、そして定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
また、前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目をあつめる暗示があります。
大倉喜七郎は、帝国ホテル会長に就任します。
さらに、帝国ホテルを本拠とするオーケストラ「東京シンフォニー管弦楽団」を結成します。
■1924年 日本棋院設立
1924年は四緑木星中宮年で、一白水星は南西にあり、後厄です。
一白水星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
大倉喜七郎が後援者となり、日本棋院が設立されます。
これをたたえ、1964年に大倉喜七郎賞が創設されます。
■1931年 大倉山ジャンプ競技場を建設
1931年は六白金星中宮年で、一白水星は南にあり前厄、そして定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
また、前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目をあつめる暗示があります。
大倉喜七郎は、私財を投じて大倉山ジャンプ競技場を建設します。
大倉山ジャンプ競技場は、1972年に開催された、札幌オリンピック90m級ジャンプの会場として使用されています。
■1933年 上高地帝国ホテル開業
1933年は四緑木星中宮年で、一白水星は南西にあり、後厄です。
一白水星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目を集める暗示があります。
大倉喜七郎は、北アルプスへの登山をきっかけに、上高地帝国ホテルを開業します。
■1936年 川奈ホテル開業
1936年は一白水星中宮年で、花が咲くときです。
一白水星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
大倉喜七郎は、イギリス留学中に、ゴルフ場、乗馬、テニス、フィッシング、プールなどの施設を備えたスコットランドにあるリゾートホテル、グレンイーグルス・ホテルに滞在して、同様の施設を大倉財閥の別荘として建設しましたが、のちにホテルが完成し、開業します。
■1937年 赤倉観光ホテル開業
1937年は九紫火星中宮年で、一白水星は北西にあり、実をつけるときです。
一白水星の定位には五黄土星が回座し、何事もの極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
大倉喜七郎は、日本政府の外貨獲得政策として国際リゾートホテル建設が推進されているなか、赤倉観光ホテルを建設・開業します。
■1945年 貴族院男爵議員
1945年は一白水星中宮年で、花が咲くときです。
一白水星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
大倉喜八郎は、貴族院男爵議員に就任します。
■1962年 ホテルオークラ東京開業
1962年は二黒土星中宮年で、一白水星は東南にあり、運気旺盛です。
一白水星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
大倉喜七郎は、ホテルオークラ東京を開業します。
■1963年2月2日 死去
1963年2月2日、大倉喜七郎は亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤の一白水星は東南に回座し、運気は旺盛です。
月盤の一白水星は北西にあり、実をつけるときですが、年盤の一白水星には、月盤の八白水星が回座し、変化変動です。
また、年盤の一白水星と、月盤の一白水星は対冲ですから、運気は波乱含みです。
月盤の一白水星には、日盤の五黄土星が回座し、病気の悪化の暗示があります。
大倉喜七郎の最後がどのようなものであったのかはわかりませんが、急な体調不良があったのではないでしょうか。
大倉喜七郎を宿曜占星術で占ってみると?
■大倉喜七郎【参宿】
宿曜占星術では、大倉喜七郎は参宿の生まれです。
参宿は、東奔西走し、よく働く本命宿です。
参宿さんは、自分を信じることができる、生まれながらの陽性の人であり、憎めない人柄です。
また、新しいものに好奇心を抱き、実行力があり、世の中を変えていこうと考えています。
大倉喜七郎が、日本にはないリゾートホテルを開業させたのは、このような参宿の資質によるものかもしれません。
参宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「参宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
↓
もっと読みたい方は 開運ブログへ