『耳なし芳一』『雪女』
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
小泉八雲こと、パトリック・ラフカディオ・ハーンは、日本の怪談を英語で書いた作家であり、英語教師です。
放浪癖があったという小泉八雲について調べてみました。
小泉八雲を九星気学で占ってみると?
■小泉八雲(6-1-1)
小泉八雲は、1850年6月27日生まれ。
本命星:六白金星
月命星:一白水星
傾斜宮:一白水星
小泉八雲は、本命星の六白金星から、月命星と傾斜宮の一白水星にエネルギーが流れる相生の関係です。
行動することで実感し、確信するタイプです。
六白金星は天であり、高貴な人を表しているため、気位の高い理想主義者が多い星です。
人の指図を受けることを嫌い、上位にむかって前進する意欲が強いため、独立心も旺盛です。
一白水星は水であり、思索的であり、企画力や創造力を発揮しますが、容易に心を開かない秘密主義者が多い星です。
この星回りは、一白水星を2つも持っているので、考えすぎて落ち込んだり、人間関係で悩んだりすることも多そうです。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【六白金星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
小泉八雲の運気を九星気学でみてみると
■1890年 来日
1890年は二黒土星中宮年で、六白金星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目される暗示があります。
六白金星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
小泉八雲は、ハーバー・マガジンの通信員として来日しますが、トラブルにより契約を破棄し、日本で英語教師として教鞭を執るようになります。
前厄のときは、文書トラブルに見舞われることがあるので、契約を破棄したのは、その影響ではないでしょうか。
■1891年 小泉節子と結婚
1891年は一白水星中宮年で、六白金星は北にあり、本厄です。
六白金星の定位には二黒土星が回座し、妻の暗示があります。
小泉八雲は、松江の士族小泉湊の娘・小泉節子と結婚します。
結婚後、熊本市の第五高等学校の英語教師となります。
■1896年 日本に帰化
1896年は五黄土星中宮年で、六白金星は定位に戻って北西にあり、実をつけるときです。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
小泉八雲は、日本に帰化し「小泉八雲」と名乗ります。
また、 東京帝国大学文科大学の英文学講師となります。
小泉八雲は英語で『稲むらの火(A Living God)』を上梓し、のちに翻訳・再話したものが、1937年から10年間、国定国語教科書(国語読本)に掲載されています。
■1904年 『怪談』
■1904年9月26日 死去
1904年9月26日に、小泉八雲は、狭心症で亡くなります。
54歳でした。
この日の九星盤をみると、年盤では六白金星が中宮で「命厄」であり、吉凶混合運です。
月盤と日盤はどちらも七赤金星中宮であり、六白金星は東南にあり、定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
年盤の六白金星には、月盤・日盤の七赤金星が回座しており、毀折(こわれる、やぶれる)という暗示があるので、小泉八雲は、無念のままに亡くなったのではないでしょうか。
死の前年には、待望の長女・寿々子が誕生したばかりでした。
小泉八雲を宿曜占星術で占ってみると?
■小泉八雲【虚宿】
宿曜占星術では、佐藤流司さんは翼宿の生まれです。
翼宿は、典型的な唯我独尊の本命宿です。
翼宿さんは、忍耐強く、仕事に貪欲、何事も他人任せにしない完全主義者です。
小泉八雲は、火曜生まれの翼宿さんなので、大雑把なようで細かいことにこだわるため、人から教えられたり、学んだりしたことを応用することが苦手です。
翼宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「翼宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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