斎藤道三に嫌われた斎藤義龍
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
大河ドラマ『麒麟がくる』では、めったに見られない、斎藤義龍が父の斎藤道三を打ち破る、長良川の戦いが見られそうですね。
斎藤道三は生年月日不詳なので、この親子の相性を調べることができないのが残念です。
斎藤義龍について調べてみました。
斎藤義龍を九星気学で占ってみると?
■斎藤義龍(5-6-4)
斎藤義龍は、 大永7年6月10日(1527年7月8日)生まれ。
本命星:五黄土星
月命星:六白金星
傾斜宮:四緑木星
斎藤義龍は、本命星の五黄土星から月命星の六白金星にエネルギーが流れる相生の関係です。
行動することで気持ちも固まっていくタイプであり、考えてから行動するわけではないので、後悔することも多いといえます。
五黄土星は九星のなかで最も強い、帝王の星であり、周囲への影響力がとても強く、運気も極端になりやすい傾向があります。
この五黄土星から、理想主義の六白金星にエネルギーが流れています。
この星回りの人は、自分にとっての最高の出来上がりがイメージできていて、それを現実のものにしようとします。
そして、四緑木星は風であり、隅々まで吹き届くようなコミュニケーション能力をもっており、人を信じやすい反面、自分の意志を通そうとするときには熱弁のふるいます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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斎藤義龍の運気を九星気学でみてみると?
■1554年 家督をつぐ
1554年は五黄土星中宮年で、花が咲くときです。
定位に戻っているため、新しいステージに移行するときでもあります。
斎藤義龍は、父の斎藤道三が隠居(家臣に交代させられた?)のため、家督を継ぎます。
■1555年 弟の孫四郎・喜平次らをおびき出して殺害
1555年は四緑木星中宮年で、五黄土星は北西にあり、実をつけるときです。
五黄土星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
斎藤義龍は、道三が「利口者」と、弟の孫四郎・喜平次を溺愛していたことから、おびき出して殺害します。
■1556年 父・斎藤道三を討つ
1556年は三碧木星中宮年で、五黄土星は西にあり、収獲のときです。
五黄土星の定位には三碧木星が回座し、開拓と発奮の暗示があります。
斎藤義龍は、父・斎藤道三を長良川の戦いで討ち果たします。
■1559年 織田信長を狙撃
1559年は九紫火星中宮年で、五黄土星は北にあり、本厄です。
五黄土星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも世間の注目を集める暗示があります。
斎藤義龍は、織田信長が上洛した際に、火縄銃で狙撃を図りますが、失敗に終わります。
■1561年 病死
1561年は七赤金星中宮年で、五黄土星は東にでて、運気は上昇に転じますが、歳破がついています。
五黄土星の定位には七赤金星が回座し、病気だとすれば、新型コロナウイルスのように肺や呼吸器疾患をもたらすものだった可能性があります。
斎藤義龍は、奇病で妻と息子とともに同時に死去したとされています。
斎藤義龍を宿曜占星術で占ってみると?
■斎藤義龍【房宿】
宿曜占星術では、斎藤義龍は房宿の生まれです。
房宿は、財運に恵まれた本命宿です。
しかし、選民意識が強く、自己本位になりがちであり、嫉妬心も強いため、思わぬ災難や悲劇に見舞われることも。
房宿さんは、生まれながらに徳を備え、高貴な人々からの引き立てを受けるだけに、自分と関係のないことに冷淡であり、他人の痛みには疎いのですが、こういう性質は、凶運を呼び寄せやすいのかもしれません。
房宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「房宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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また、27の本命宿それぞれの2020年の運気は、以下のブログをお読みになってください。
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