『上を向いて歩こう』を歌った坂本九
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
東日本大震災のときにも『上を向いて歩こう』が歌われました。
そして、新型コロナウイルス感染拡大のなか、ふたたび『上を向いて歩こう』が歌われています。
原曲を歌った坂本九さんは、1985年の日航機墜落事故で帰らぬ人となっただけに、『上を向いて歩こう』には一層の感情移入ができるのかもしれません。
坂本九について調べてみました。
坂本九の性格を九星気学で占ってみると?
■坂本九(5-1-9)
坂本九は、1941年12月10日生まれ。
本命星:五黄土星
月命星:一白水星
傾斜宮:九紫火星
坂本九は、本命星の五黄土星と月命星の一白水星とは、土剋水(土は水を堰き止める)という相剋の関係です。
しかし、傾斜宮の九紫火星が本命星の五黄土星にエネルギーを与える相生の関係にありますから、本音がそのまま行動に出やすいタイプといえますが、
五黄土星は、九星のなかで最も強い帝王の星ですから、とても意欲的であり、物欲も旺盛です。
一白水星は、心のうちは明らかにしませんが、表面的には誰とでもおだやかに付き合える星です。
九紫火星は、明るく社交的であり、感覚的な星です。
この九紫火星から五黄土星にエネルギーが流れているため、直感的な行動を優先させることが多いタイプ。
一白水星はよく考えて計画し、創造するので、パパっとひらめく九紫火星の良いところを活かせないと、この星回りの人は、考えをまとめて行動に移すまでにかなり時間がかかってしまうといえます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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坂本九の運気を九星気学でみてみると?
■1958年 井上ひろしとザ・ドリフターズ加入
1958年は六白金星中宮年で、五黄土星は東南にあり、運気は旺盛ですが、歳破がついています。
五黄土星の定位には六白金星が回座し、目上からサポートを受ける暗示があります。
坂本九は、日本大学高校在学中に井上ひろしとザ・ドリフターズ(現在のザ・ドリフターズ)に加入し、ボーカルとギターを担当するようになります。
また、ロカビリー歌手として、第3回日劇ウエスタンカーニバルに初出演し、新人賞を受賞します。
■1960年 『悲しき六十才』
1960年は四緑木星中宮年で、五黄土星は北西にあり、実をつけるときです。
五黄土星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
坂本九は、ソロに転向すると、『悲しき六十才』がヒットし、一躍スターとなります。
■1961年 『上を向いて歩こう』
■1963年 全米チャート1位に
1963年は一白水星中宮年で、五黄土星は南にあり、前厄です。
前厄のときは陽のあたるときであり、世間の注目をあつめる暗示があります。
坂本九がうたう『上を向いて歩こう』が、『SUKIYAKI』と題して『ビルボード』の "Billboard Hot 100" で、3週連続1位を獲得します。
このヒットにともない、坂本九は渡米し、テレビ番組などに出演しています。
■1964年 日本人初の「ゴールドディスク」を受賞
1964年は九紫火星中宮年で、五黄土星は北にあり本厄ですが、五黄土星の定位には九紫火星が回座し、世間の注目をあつめる暗示があります。
坂本九は、アメリカで百万枚を売上げ、日本人初の「ゴールドディスク」を受賞します。
また、オリンピック東京大会のウェルカムパーティーにゲスト出演して歌を披露するほか、資金難だった東京パラリンピックをチャリティコンサートで寄付金支援するなど、活動が国際的になっていきます。
■1970年 万国博委員
1970年は三碧木星中宮年で、五黄土星は西にあり、収穫のときです。
坂本九は、日本万国博覧会の万国博委員となるほか、クイズ番組の司会をつとめるなど、活動の幅が拡大していきます。
五黄土星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示がありますので、坂本九にとって、チャレンジの年だったようです。
■1979年 日本初の手話の歌『そして想い出』
1979年は三碧木星中宮年で、五黄土星は西にあり、収穫のときです。
五黄土星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
坂本九は、日本初の手話の歌『そして想い出』を発売し、全国ろうあ者大会で披露しました。
坂本九は、早くから慈善活動に精力を傾けた芸能人の一人だったようで、無報酬で出演したり、チャリティコンサートを開催したりしていました。
■1985年8月12日 日本航空123便墜落事故で死亡
坂本九は、1985年8月12日、日本航空123便墜落事故により、43歳という若さで命を失います。
1985年には、歌手活動を本格化させたいという希望を持っていたといいます。
この日は、代役として急遽『歌謡スペシャル』(NHK-FM放送)の司会を務めることとなり、東京に戻ることになり、大阪府にある友人の選挙応援のため、日本航空123便に乗ることとなりました。
坂本九は、普段から全日空を利用していたのですが、この日だけは予約がとれず、日航に乗らざるを得なかったようです。
悲劇とは、このような前触れがあるものなのかもしれません。
1985年8月12日の九星盤をみると、年盤では五黄土星は東南にあり、運気は旺盛。
五黄土星の定位に六白金星が回座し、権威や目上からのサポートがある暗示があります。
1985年6月8日に「古賀政男記念音楽大賞」で入賞したことを喜んでいたというエピソードが残っていますので、このことを表しているのかもしれません。
月盤では、五黄土星は南西にあり後厄。
年盤の五黄土星には七赤金星が回座し、喜びごとの暗示があります。
五黄土星生まれの人は、基本的に運気が強いので、ここまで見る限り、事故に巻き込まれて亡くなるような気配はなさそうです。
しかし、日盤では、五黄土星は北東にあり変化変動です。
月盤の五黄土星には日盤の八白土星が回座し、重ねて変化変動の暗示があるうえに、日破もついています。
さらに、月盤と日盤で対冲しており、さすがの五黄土星にとっては、要注意日なのです。
もしも、飛行機に乗るのが1日ずれていたら、坂本九さんは、いまもお元気だったかもしれません。
ただ、『上を向いて歩こう』が歌われるたびに、坂本九という歌手がいたことが人々に思い出されることを思えば、後世まで忘れられない存在になったのだということなのでしょう。
生方は、坂本九さんが亡くなった1985年8月12日の日航機墜落事故のことを、鮮明に覚えています。
坂本九が語り役となったNHK人形劇『新八犬伝』を観ていたので、坂本九は、とても近い存在でした。
合掌。
坂本九を宿曜占星術で占ってみると?
■坂本九【翼宿】
宿曜占星術では、坂本九は翼宿の生まれです。
翼宿は、海外運のある本命宿です。
翼宿さんは、海外との関係をつなぐ仕事で成功する人が多く、あちこち飛び回る仕事が向いています。
翼宿さんは、人柄は温厚で率直、仕草や言葉遣いも丁寧で、語り口がおだやかです。
財産を社会に還元することに意欲的な人が多いので、坂本九さんが慈善活動に積極的だったのは、翼宿のもつ資質が強く出ていたからかもしれません。
翼宿さんは長寿で健康な人が多いので、不慮の事故さえなければ、坂本九さんは長く活躍できたのではないでしょうか。
翼宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「翼宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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