関ケ原の戦いとは?
慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦のことです。
一般に、石田三成の西軍と、徳川家康の東軍とが対峙し、1日で決着した戦いのことを指します。
関ヶ原の戦いの前哨戦としての争いや、関ケ原以外での戦いも多数ありますが、ここでは、家康による上杉景勝討伐、西軍の総大将であった毛利輝元の動き、西軍の動きと、戦いに敗れたあとの石田三成の動きを取り上げています。
徳川家康の東進
徳川家康は、関ケ原の戦いの少し前になる慶長5年6月中旬(1600年7月下旬)に、大坂から上杉景勝討伐のために東進をはじめます。
この時の年盤は四緑木星中宮年、月盤は三碧木星中宮月でした。
徳川家康は、天文11年12月26日(1543年1月31日)生まれで、
本命星:七赤金星
月命星:八白土星
傾斜宮:四緑木星
という星を持っていますので、このときの東進は、会津を目指したもので北東(寅)への移動となり、月破がついています。
破がつくと、思いどおりにはならないという暗示があります。
事実、この東進の1カ月ほど後、西軍の総大将であった毛利輝元が大阪に入り、関ケ原の戦いへと進んでいきます。
毛利輝元の大坂入り
西軍の総大将・毛利輝元は、慶長5年7月17日に大坂に到着し、大坂城には慶長5年7月19日(1600年8月27日)に入っています。
毛利輝元は、天文22年1月22日(1553年2月4日)生まれ。
本命星:六白金星
月命星:五黄土星
傾斜宮:六白金星
大坂城入りした日は、四緑木星中宮年、二黒土星中宮月、七赤金星中宮日でした。
長州から大坂城は東(卯)の方位になります。
年盤では四緑木星ですから、六白金星の毛利輝元にとっては悪くない方位です。
しかし月盤では、九紫火星が位置していて、六白金星を尅しています。
さらに日盤では、東には五黄土星が座していて五黄殺の大凶方位でした。
大坂入りした毛利輝元が、大坂城に入る前にどのあたりに陣を置いていたのかがわからないのですが、おそらく大坂城の近くであったと考えられますので、入場した日が五黄殺の日であったことは不幸な偶然だったのかもしれません。
毛利輝元の大坂城入りと前後して、西軍は、徳川家康の家臣・鳥居元忠がまもっていた伏見城を包囲。
慶長5年8月1日(1600年9月7日)には、伏見城が落城します。
毛利輝元の本命星・六白金星は、年盤では西(収穫する)、月盤では南(陽が当たる)にありますから、伏見城の落城は当然のことかもしれません。
暗剣殺方位に移動した西軍の伊勢侵攻
その後、西軍は伊勢方面に移動します。
大坂から伊勢への移動は南東(辰)の方位となります。
この年の年盤では、東南には三碧木星が位置し、五黄土星の反対側となりますから、暗剣殺という大凶方位となります。
五黄殺・暗剣殺は、誰にとっても大凶の方位となることから、伊勢侵攻をどの武将が率いていたとしても、西軍の運命は方向づけられたといえます。
東南の方位の方災としては、
- 信用を失って行き詰ります。
- 遠方との取引関係で損失を出します。
- 部下に迷惑をかけられます。
- 常識を欠くようになります。
- 風邪をこじらせて肺をいためます。
- 縁談が遠退きます。
- 家庭不和、特に長女のことで悩まされます。
とあります。
また、三碧木星の方位の方災としては、
- 発展が止まります。
- 若い部下に損害を及ぼされます。
- 噂や中傷、しゃべりすぎなどの舌禍があります。
- 他人の口車に乗って失敗します。
- 詐欺にあいます。
- 口やかましくなります。
- 神経痛で悩みます。
- 肝臓を患います。
- 火難に遭います。
などがあります。
毛利輝元が招いた毛利家の転落
その後、西軍は東軍が反転して西進してくることを知り、伊勢から関ケ原方面へと移動します。
伊勢から見て関ケ原方面は北東(丑)になります。
北東は変化・変動の方位です。
年盤では北東に七赤金星が位置しており、総大将・毛利輝元にとっては良い方位ですが、三土線の上になります。
三土線は、エネルギーが北東から南西へと抜けていきます。
北東にある七赤金星から、南西にある一白水星へと抜けるのです。
北東の七赤金星は、新しい仕事に投資したり、金銭的な欲望が強くなったりします。
このころは、西軍が負けるはずがないと信じていた毛利輝元は、勝った後のことを考えていたかもしれませんね。
関ケ原の戦いが起こった慶長5年の毛利輝元は、不足や不満を感じたり、人に背かれたり、最終的には金銭の損害となって現れるという運気です。
関ケ原の戦いのあと、毛利家は吉川広家の働きのおかげで改易は免れましたが、所領は、12万石から、周防・長門2ヶ国の29万8千石まで減らされました。
まさに金銭の損害となって、総大将となったツケを払わされたのでした。
慶長5年は石田三成の本命星に歳破が!
石田三成は、1560年(永禄3年)生まれとされているので、本命星は八白土星です。
八白土星の人は、努力を怠らず、目標に向かってリアルを積み上げていくタイプですが、八白土星が高い山の性質を持っていることから、プライドが高いところがあり、これが周囲との軋轢を生むことにもなっていきます。
その石田三成にとって、慶長五年は南にあり、陽が当たるときでした。
南に本命星が位置しているとき、人々の注目が良くも悪くも集まります。
南は「離」の作用があるため、離合集散の暗示があり、争いごとや、隠していたことが露見するなどのトラブルがあります。
とくに文書関係はトラブルのもと。
しかも、慶長5年の年盤では、南に歳破がついていますので、親戚・知人と生別・死別する可能性が高まるという運気になります。
事実、関ケ原の戦いの3日後、石田三成の居城・佐和山城は落城し、石田一族の多くが討死しています。
関ヶ原の戦いが、3年あとに起こっていたら、少なくとも石田一族が討死するようなことにはならなかったでしょう。
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石田三成 自滅の五黄殺にむかって敗走
関ヶ原の戦いがわずか一日で決着してしまい、石田三成は敗走します。
関ケ原 → 春日村(北・子)月盤で五黄殺
春日村 → 姉川(南西・申)
姉川 → 古橋(北西・亥)年盤で五黄殺
9月21日(1600年10月27日)、古川で三成は徳川軍に捕らえられます。
翌日には、南西(未)の方位にある大津城に移動します。
この日の日盤は八白土星中宮日になり、南西には五黄土星が位置しているため、五黄殺でした。
その後、9月27日(1600年11月2日)に大坂(南西・未)に移され、2日後には京都(北東・丑)へと移動します。
10月1日(1600年11月6日)、六条河原で石田三成は斬首されます。
石田三成の敗走ルートを見ると、五黄殺方面へ何度も移動しているという特徴があります。
五黄殺は自滅を暗示しています。
まさに石田三成は、関ケ原の戦いで自滅の道をたどったのでした。
関ケ原の戦いのキーパーソン 小早川秀秋の末路
小早川秀秋は、関ケ原の戦いにおいて、西軍から東軍へと寝返り、徳川家康の勝利を決定づけたキーパーソンです。
家康の催促に応じて、陣を置いた松尾山を下り、西軍の大谷吉継の陣へ攻めかかったことが、関ケ原の戦いが一日で終結したきっかけともなりました。
しかし小早川秀秋は、関ケ原の戦いの2年後、慶長7年10月18日(1602年12月1日)に亡くなります。
小早川秀秋は、天正10年(1582年)生まれですから、本命星は四緑木星になります。
関ケ原の戦いの年は四緑木星中宮年に起こっていますから、小早川秀秋が助力した東軍が勝利するのもわからないではありません。
その小早川秀秋にとって慶長5年は、元来の優柔不断な性格がもろに出てしまい、あれこれと些細なことに思い悩む反面、なにか新しいプランに心が躍って、それを実行に移したくなる時でもあります。
これは、よく言われる小早川秀秋の性格を示すとともに、関ヶ原の戦いで家康からの提案(東軍に寝返る)に対して悩みながらも、結局は実行したことも暗示しています。
しかし、本命星が中宮にあるときは吉凶相半ばする運勢になりますから、天下分け目の戦いで、西軍から東軍へ寝返るというような大きな変化、大きな決断は控えたほうが良いのです。
小早川秀秋は、関ケ原の戦いのあと、豊臣家の養子として出世したにも関わらず、西軍を裏切り、卑怯な行為をおこなったとして世間の嘲笑を受けています。
大きな変化・大きな決断が、2年後の死につながっていると考えてもおかしくないほど、酒におぼれて若くして亡くなってしまいました。
秀秋亡き後、小早川家は後継者がいないために改易されています。
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主な武将の慶長5年の運気
次に、関ケ原の戦いの慶長5年の運気を、主な武将で見てみました。
これをみると、八白土星で歳破がついていた石田三成のほかに、西軍にも東軍にも、八白土星の人がいないことがわかります。
西軍の特徴は、六白金星と三碧木星が多いこと。
六白金星は西の収穫にあるので、問題はないのですが、三碧木星は五黄土星の反対側にあり、暗剣殺でした。
暗剣殺は、他者からの影響で運気が下がります。
一方の東軍は、七赤金星と五黄土星が多いという特徴があります。
慶長5年に七赤金星は変化変動のときにありました。
変化変動のときは争いごと、トラブルが多発しますが、これは次のステップへの通過点なのです。
また五黄土星は、九星中もっとも強いという星ですから、しぶとく生き残ります。
九星気学で歴史をみていくと、五黄土星が生き残っていくという場面によく出くわします。
西軍
名前 | 本命星ー月命星ー傾斜宮 | 本命星の年盤での位置 |
毛利輝元 | 6-5-6 | 西 |
毛利秀元 | 西 | |
石田三成 | 8 | 南(歳破) |
宇喜多秀家 | 5 | 西北 |
上杉景勝 | 4-6-3 | 中宮 |
島津義弘 | 6-8-3 | 西 |
小西行長 | 1 | 南西 |
安国寺恵瓊 | 2 | 東 |
大谷吉継 | 3 | 東南(暗剣殺) |
真田昌幸 | 3 | 東南(暗剣殺) |
小早川秀秋 | 4 | 中宮 |
吉川広家 | 3 | 東南(暗剣殺) |
東軍
名前 | 本命星ー月命星ー傾斜宮 | 本命星の年盤での位置 |
徳川家康 | 7-8-4 | 北東 |
徳川秀忠 | 7-5-7 | 北東 |
結城秀康 | 3-4-3 | 東南(暗剣殺) |
松平忠吉 | 6-6-2 | 西 |
井伊直政 | 7-7-8 | 北東 |
本田忠勝 | 2-1-6 | 東 |
黒田長政 | 9-4-1 | 北 |
福島正則 |
7 |
北東 |
細川忠興 | 5-2-8 | 北西 |
藤堂高虎 | 3-5-3 | 東南(暗剣殺) |
山内一豊 |
5 |
西北 |
関ヶ原の戦い東西名将読本 | ||||
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敗者が大凶方位に移動したり、年運が良くないのはなぜ?
歴史を九星気学で分析していくと、タイミングが大切であること、どちらの方位にいくのかが重要であることを、改めて感じます。
先日、こんな質問がありました。
「戦国時代の人は、占いでいろいろと決めていたんじゃないの?」
はい、その通りです。
戦を指揮する軍師の多くは、占術に通じているのが普通です。
戦を仕掛けるほうは、自分たちにとって良い方位、良いタイミングを選びます。
しかし、仕掛けられてしまったら、即時、応戦しなければ滅びますので、タイミングとか方位とかにこだわることができなかったのではないでしょうか。
また、現在と違って、方位が正しい地図が存在していなかったことも、大凶方位を選んでしまう原因となったことでしょう。
さらに、戦国時代当時は、暦が複数存在しており、織田信長の晩年には暦問題に対処しようとしていました。
暦が正しいのかどうかわからない状態では、年運も月運も日運も、正しい判断ができません。
歴史を九星気学で分析してわかってきたことは、すべて運命だということかもしれません。
だからこそ、人生を変えるようなタイミングの運気は大切なのです。
いまなら、正しい暦、正しい地図であれば、悪い運気のときも、凶方位もわかります。
人生が変わるようなときには、良いタイミング、良いネーミングを選ぶことで、最終的には良い結果につながります。
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