「平氏にあらずんば人にあらず」
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
平清盛は、平安時代末期に登場した天才だと思います。
日宋貿易で財を築き、政治を動かし、日本に貨幣経済をもたらしたといわれています。
平清盛について調べてみました。
平清盛を九星気学で占ってみると?
■平清盛(9-5-9)
平清盛は、永久6年1月18日(1118年2月17日)生まれ。
本命星:九紫火星
月命星:五黄土星
傾斜宮:九紫火星
平清盛は、本命星と傾斜宮の九紫火星から月命星の五黄土星へエネルギーが流れる相生の関係です。
芸術的センスに優れた人が多く、カリスマ性を発揮するタイプです。
九紫火星生まれは、頭脳明晰で、先見性もありますが、派手好きで、熱しやすく冷めやすい性質を持っています。
また、他人の欠点や弱点を指摘したり、人と争いをおこしたり、秘密にすべきことを口外したりすることも平気です。
これをさらにバックアップするのが、月命星の五黄土星です。
五黄土星は、九星のなかで最も強力な帝王の星であり、強い自我を持っています。
そのため、自分のライバルに対しては、対抗意識を燃やし、駆け引きし、絶対に負けない支配者のように振る舞うことさえあります。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【九紫火星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
平清盛の運気を九星気学でみてみると
■1147年 祇園闘乱事件
1147年は七赤金星中宮年で、九紫火星は西にあり収穫のときですが、暗剣殺で、歳破がついています。
平清盛は、祇園社の神人と平清盛の郎党が小競り合いとなり、宝殿に矢が当たり多数の負傷者が発生した祇園闘乱事件を起こし、平忠盛・清盛父子の配流を求める延暦寺の強訴が起こります。
鳥羽法皇は、忠盛・清盛を保護し、罰金刑にとどめます。
■1156年 保元の乱
1156年は七赤金星中宮年で、九紫火星は西にあり収穫のときですが、暗剣殺です。
皇位継承問題や摂関家の内紛により、朝廷が後白河天皇方と崇徳上皇方に分裂して争った保元の乱において、平清盛は、後白河天皇側について勝利をもたらし、播磨守、大宰大弐となります。
■1159年 平治の乱
1159年は四緑木星中宮年で、九紫火星は北にあり本厄ですが、定位対冲です。
九紫火星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
平清盛は、平治の乱に際し、源頼朝と出会います。
このとき、源頼朝が処刑されるところを、清盛の継母・池禅尼の嘆願で助命されることになります。
■1164年 蓮華王院造営
1164年は八白土星中宮年で、九紫火星は北西にあり、実をつけるときです。
九紫火星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
平清盛は、後白河法皇のために、蓮華王院を造営します。
また、蓮華王院には荘園・所領が寄進され、後白河上皇の経済基盤も強化されます。
■1166年 内大臣
1166年は六白金星中宮年で、九紫火星は北東にあり、変化変動です。
九紫火星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
平清盛は、内大臣となります。
■1168年 雪見御所
1168年は四緑木星中宮年で、九紫火星は北にあり本厄、歳破がついていて、定位対冲です。
九紫火星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
平清盛は、病に倒れ出家すると、福原に雪見御所を構えて、日宋貿易拡大の拠点とします。
■1171年 徳子入内
1171年は一白水星中宮年で、九紫火星は東南にあり、運気は旺盛です。
九紫火星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
平清盛の娘・徳子が、高倉天皇に入内します。
■1177年 鹿ケ谷の陰謀
1177年は四緑木星中宮年で、九紫火星は北にあり本厄、そして定位対冲です。
九紫火星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
平家打倒の陰謀事件・鹿ヶ谷の陰謀が起こります。
平清盛は、院政における近臣の排除を図り、俊寛を鬼界ヶ島に流罪に処しますが、後白河法皇の罪は不問としました。
■1179年 治承三年の政変
1179年は二黒土星中宮年で、九紫火星は東に出て、運気は上昇に転じます。
九紫火星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
平清盛の娘の盛子が死亡すると、後白河法皇は盛子の荘園を清盛に無断で没収。
さらに清盛の嫡男・重盛が病死すると、後白河法皇は平重盛の知行国であった越前国を没収します。
これに対して、平清盛は、福原から軍勢を率いて上洛し、クーデターを決行。
反平氏的とされた公卿・近臣を全て解任し、代わって親平氏的な公家を任官させます。
また、後白河法皇は鳥羽殿に幽閉されます。
■1180年 安徳天皇即位
1180年は一白水星中宮年で、九紫火星は東南にあり、運気は旺盛です。
九紫火星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
平清盛の孫・安徳天皇が即位します。
これにより、反平氏勢力が結集することになり、後白河法皇の第3皇子・以仁王が挙兵。
また、以仁王の令旨により、伊豆に流されていた源頼朝、木曾義仲などが挙兵します。
■1181年3月27日 死去
平清盛は、1181年3月27日、熱病により、亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤では九紫火星中宮で、「命厄」です。
中宮のときは吉凶混合運であり、命に関わるようなことが起こりやすいとき。
また、九紫火星の定位には四緑木星が回座し、遠方の暗示があります。
月盤では、九紫火星は北にあり、定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
また、九紫火星の定位には八白土星が回座し、変化変動です。
年盤の九紫火星には、月盤の四緑木星が回座し、こちらの遠方の暗示があります。
平清盛は、健康に難ありという運気であり、病気が悪化すれば亡くなることもありえる運気でした。
平清盛を宿曜占星術で占ってみると?
■平清盛【女宿】
宿曜占星術では、平清盛は女宿の生まれです。
女宿は、物事の善悪を正しく判断できる本命宿です。
女宿さんは、別名「官僚の星」。
公の仕事につくと、善悪・吉凶を正しく判断して、国を栄えさせると考えられています。
平清盛は、日本に貨幣経済をもたらしましたが、その反動として公家らが反発しました。
平清盛は日曜生まれの女宿さんなので、気が多く、自信過剰で人を信用しません。
人の言うことは疑ってかかる人です。
女宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「女宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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