パリ万国博覧会に将軍慶喜の名代として赴く
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
徳川昭武は、第15代将軍・徳川慶喜の異母弟であり、清水徳川家を相続。
パリ万国博覧会に将軍慶喜の名代として赴き、のちに水戸藩主となった人物です。
徳川昭武について調べてみました。
徳川昭武を九星気学でみると?
■徳川昭武(3-6-2)
徳川昭武は、1853年10月26日生まれ。
本命星:三碧木星
月命星:六白金星
傾斜宮:二黒土星
徳川昭武は、本命星の三碧木星が、月命星の六白金星からみて、金尅木(金属は木を切り倒す)という相剋の関係です。
三碧木星は、積極的で開拓的な性質を持ち、言語能力が高いという傾向があります。
六白金星は、理想主義者で負けず嫌い、人に従うことを何より嫌う独立志向の高い星です。
すでに誰かがやっているようなことには見向きをしない素振りをしますが、裏では興味津々、隠れてやっているようなところがあります。
二黒土星は、まじめで勤勉、綿密にことを進めるという性質がありますが、この二黒土星から六白金星にエネルギーが流れているので、努力によって自分の理想を実現するタイプといえます。
三碧木星も二黒土星も、腹の中が見えるような正直なトークをしてしまいがち。
そのために反感を買ってしまうこともあります。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【三碧木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
徳川昭武の運気を九星気学でみると?
■1867年 パリ万国博覧会
1867年は七赤金星中宮年で、三碧木星は北にあり、本厄です。
三碧木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
徳川昭武は、20年にわたり当主不在であった清水徳川家を相続・再興。
さらに、パリ万国博覧会のために、ヨーロッパ派遣を命じられます。
徳川昭武はナポレオン3世に謁見し、パリ万国博覧会を訪問。
その後、幕府代表として欧州各国を歴訪し、以後はパリで留学生活を送ります。
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■1869年 水戸徳川家を相続
1869年は五黄土星中宮年で、三碧木星は定位の東に戻り、運気は上昇に転じます。
定位にもどったときは、新しいステージに移行するときです。
徳川昭武は、水戸徳川家を相続し藩主となりますが、すぐに版籍奉還があり、水戸藩知事となります。
■1871年 廃藩置県
1871 年は四緑木星中宮年で、三碧木星は東南にあり、運気は旺盛です。
三碧木星の定位には二黒土星が回座し、受け身・従順の暗示があります。
徳川昭武は、廃藩置県により藩知事を免ぜられます。
■1876年 留学
1876年は七赤金星中宮年で、三碧木星は北にあり、本厄です。
三碧木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
パリ万博のために渡欧したときと同じ九星盤です。
徳川昭武は、フィラデルフィア万国博覧会の御用掛となり訪米すると、そのままフランスに向かい、留学します。
■1883年 隠居
1883年は九紫火星中宮年で、三碧木星は北東にあり変化変動、そして歳破がついています。
三碧木星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
徳川昭武は、妻・盛子が死去すると、隠居を願い出て、甥の徳川篤敬に家督を譲ります。
隠居後は、徳川慶喜とともに、写真撮影や狩猟に興じたようです。
■1898年 後見役となる
1898年は三碧木星中宮年で、花が咲くときです。
三碧木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
徳川昭武は、水戸徳川家当主で、甥の徳川篤敬が亡くなったため、11歳で当主となった徳川圀順の後見役となります。
■1908年 腎臓手術
1908年は三碧木星中宮年で、花が咲くときです。
しかし、三碧木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
徳川昭武は、釣りの帰りがけに血尿を出して、順天堂病院に入院します。
腎臓の病気とわかり、これを手術します。
一白水星には、腎臓、血液などの象意があります。
■1910年7月3日 死去
1910年7月3日、徳川昭武は亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤の三碧木星は北東にあり、変化変動です。
年盤の三碧木星には、月盤の四緑木星が回座し、遠方の暗示があります。
月盤の三碧木星は西にあり、日盤の六白金星が回座し、天の暗示があります。
この日の九星盤は、三碧木星生まれの徳川昭武が、亡くなるほどの悪い運気ではありません。
しかし、1909年末頃から、体調を崩していたようです。
徳川昭武を宿曜占星術でみると?
■徳川昭武【翼宿】
宿曜占星術では、徳川昭武は翼宿の生まれです。
翼宿は、遠くに飛んでいくことと縁があり、海外との縁が深い本命宿です。
徳川昭武が、2度の留学を経験したのは、当時の政情不安もありますが、翼宿生まれであったことも一因だったのではないでしょうか。
翼宿さんは、財産を社会に還元することに意欲的な人が多いのですが、徳川昭武は、水戸藩の軍用馬を飼育するための「大能牧場」を再興したり、与謝野晶子が「松戸の丘」と詠んだ西洋式庭園の造園に力を注いだりしています。
徳川昭武は、水曜生まれの翼宿さんなので、病弱ですが、我慢強く善良な人だったようです。
翼宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「翼宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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