徳川家光の孫の甲府宰相
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
徳川家宣は六代将軍です。
父は徳川家光の三男・徳川綱重なのですが、正室を娶る直前に、身分の低い女中・お保良(長昌院)に生ませた子であったため、家臣の新見正信に預けられ、養子として育ちます。
このあたりは、保科正之に通じるところがありますね。
徳川家宣について調べてみました。
徳川家宣を九星気学で占ってみると?
■徳川家宣(5-7-3)
徳川家宣は、寛文2年4月25日(1662年6月11日)生まれ。
本命星:五黄土星
月命星:七赤金星
傾斜宮:三碧木星
徳川家宣は、本命星の五黄土星から、月命星の七赤金星にエネルギーが流れる相生の関係です。
五黄土星は、九星のなかで最も強い星で、良くも悪くも目立ち、そして自己中心的な言動が取り沙汰されやすい傾向があります。
七赤金星は精錬された金属であり、キラキラとしたことが好きな、目立ちたがりの性質を持っています。
三碧木星は雷であり、周囲を震わす音、そして言葉を意味しています。
また、七赤金星には不足、不満という意味もあり、くわえて批判力があるので、言葉によって周囲から注目される運勢を持っていると考えられます。
五黄土星は、九星のなかで最も強い星なので、運勢は極端なものになりやすい傾向があります。
生まれたときこそ庶子として養子に出されましたが、男子に恵まれなかった父の徳川綱重に呼び戻されて、徳川家宣は甲府藩主、そして将軍となるのですから、まさしく五黄土星らしいといえます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【五黄土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
徳川家宣の運気を九星気学でみてみると
■1678年 甲府藩主となる
1678年は七赤金星中宮年で、五黄土星は東に出て、運気は上昇に転じます。
五黄土星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
徳川家宣は、父・綱重が死去し、17歳で家督を継承し、甲府藩主となります。
■1704年 将軍世嗣となる
1704年は八白土星中宮年で、五黄土星は南西にあり、後厄です。
五黄土星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
徳川家宣は、「家宣」と改名して綱吉の養子となり、江戸城西の丸に入ります。
■1709年 将軍となる
1709年は三碧木星中宮年で、五黄土星は西にあり、収獲のときです。
五黄土星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
徳川家宣は、徳川綱吉が亡くなって第6代将軍に就任します。
宝永通宝の流通と酒税を廃止したり、生類憐れみの令も順次廃止させています。
また、側用人に間部詮房、学者として新井白石らを登用しています。
■1712年11月12日 死去
徳川家宣は、1712年11月12日に、病死しています。
享年51。
この日の九星盤をみると、年盤では五黄土星は北にあり、本厄です。
五黄土星の定位には九紫火星が回座し、「離」の暗示があります。
つまり、亡くなるという暗示です。
月盤では、五黄土星は中宮にあり、「命厄」です。
中宮のときは吉凶混合運で、命を落とすようなことも起こるとされています。
年盤の五黄土星には、月盤の一白水星が回座していますので、循環器系の病気にかかりやすいといえます。
将軍になってわずか3年の命でした。
徳川家宣を宿曜占星術で占ってみると?
■徳川家宣【婁宿】
宿曜占星術では、徳川家宣は婁宿の生まれです。
婁宿は、人の見る目をもった本命宿です。
なぜなら婁宿さんは、27の宿のうち、もっとも緻密な観察力を持っているからです。
観察力にすぐれているということは、周囲の人の肉体的、精神的な苦痛にいち早く気づき、そんな人々に対して思いやりを示します。
徳川家宣は、慈悲深いことで知られているようですが、それは婁宿さんの資質によるものかもしれません。
婁宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「婁宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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