江戸城で米国総領事タウンゼント・ハリスを引見
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
徳川家定は、幼少の頃から病弱で、人前に出ることを極端に嫌った将軍のようです。
将軍でしたが、カステラや饅頭を作ったりするなど、菓子作りが趣味でした。
脳性麻痺を患っていたという説もあり、困難な時代にあって、凡庸な将軍という評価があります。
徳川家定を九星気学で占ってみると?
■徳川家定(5-9-1)
徳川家定は、文政7年4月8日(1824年5月6日)生まれ。
本命星:五黄土星
月命星:九紫火星
傾斜宮:一白水星
徳川家定は、月命星の九紫火星から本命星の五黄土星へとエネルギーが流れる相生の関係です。
五黄土星は九星のなかで最も強い星であり、腐食作用によって、周囲に影響を及ぼします。
九紫火星は火であり、太陽を意味していて、感覚的で興味がどんどん移り変わるという性質を持っています。
また、九紫火星には芸術的センスとひらめきをもたらすので、お菓子作りが趣味というのもうなづけます。
一白水星は水であり、柔軟性はありますが、秘密主義で頑固な一面があります。
この星回りは、火と水という両極端の性質を持っていることから、精神的には激しやすく、いったん決めたことは、最後まで押し通そうとするところがあります。
そのためには、本音と建前を使い分けることも。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【五黄土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
徳川家定の運気を九星気学でみてみると
■1853年 将軍になる
1853年は三碧木星中宮年で、五黄土星は西にあり、収獲のときです。
五黄土星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
徳川家定は、父・徳川家慶が亡くなり、第13代将軍となります。
■1854年 日米和親条約
1854年は二黒土星中宮年で、五黄土星は北東にあり、変化変動です。
五黄土星の定位には二黒土星が回座し、受け身の暗示があります。
マシュー・ペリーが再来日すると、幕府は日米和親条約に調印します。
■1857年 タウンゼント・ハリスを引見
1857年は八白土星中宮年で、五黄土星は南西にあり、後厄です。
五黄土星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
徳川家定は、米国総領事タウンゼント・ハリスを江戸城で引見します。
■1858年 徳川慶福(後の徳川家茂)を将軍継嗣にする
1858年は七赤金星中宮年で、五黄土星は東に出て、運気は上昇に転じます。
五黄土星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
徳川家定は、将軍になってから表舞台に出ることはほとんどありませんでしたが、諸大名を招集して徳川慶福(後の徳川家茂)を将軍継嗣にするという意向を伝えます。
また、死の直前に、一橋慶喜(徳川慶喜)を次期将軍に推していた一橋派の処分を発表します。
徳川家定は病弱でしたが、五黄土星生まれらしい処断を行いました。
■1858年8月14日 死去
徳川家定は、1858年8月14日に、病気で亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤では五黄土星は東に出て、運気は上昇に転じます。
五黄土星の定位には七赤金星が回座し、呼吸器系の病気の示唆があります。
月盤では、五黄土星は北東にあり、変化変動です。
年盤の五黄土星には、月盤の九紫火星が回座し、「離」の作用がはたらく暗示があります。
また、月盤の五黄土星には、日盤の九紫火星が回座し、こちらも「離」の作用がはたらく暗示があります。
「離」の作用とは、今いる場所から離れることを意味しており、死別も含まれます。
徳川家定にとって、この日死ぬことが、運命づけられていたのかもしれません。
徳川家定を宿曜占星術で占ってみると?
■徳川家定【奎宿】
宿曜占星術では、徳川家定は奎宿の生まれです。
奎宿は、潔癖症で理想が高い本命宿です。
奎宿さんは、由緒正しい旧家に生まれ、しつけに口うるさい保護者のもとで育つ、お坊ちゃんタイプが多く、いわゆるご先祖さまの助けによって、全般的には良い運気にめぐまれます。
奎宿さんは、ご意見番的な存在なので、徳川家定が健康であったなら、時代の変化によく対応した政治を行っていたと思われます。
奎宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「奎宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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