脳性麻痺で言語が不明瞭だった将軍
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
徳川家重は、徳川吉宗の嫡男です。
脳性麻痺のために言語が不明瞭であったようですが、人材登用において有能であったという評価もあります。
しかし、幼少から大奥に籠りがちであり、酒色にふけって健康を害したようです。
徳川家重について調べてみました。
徳川家重を九星気学で占ってみると?
■徳川家重(1-6-9)
徳川家重は、正徳元年12月21日(1712年1月28日)生まれ。
本命星:一白水星
月命星:六白金星
傾斜宮:九紫火星
徳川家重は、本命星の一白水星に、月命星の六白金星からエネルギーが流れる相生の関係です。
一白水星は、困難な状況にあっても根気強い人が多く、どちらかと言えば思索的です。
企画性や創造力に富んでいるのですが、他人の意見やアドバイスを簡単には受け入れません。
六白金星は、気位の高い理想主義者であり、人から指図されることを最も嫌います。
また、頭も切れ、独立心も旺盛なのですが、社交性に欠けるために、周囲から反感を買うことも。
九紫火星は、先進的で感覚的なタイプが多く、表現力に優れ、派手なことが好きです。
徳川家重は、言語が不明瞭のために誤解を受けやすかったかもしれませんが、頭脳明晰なタイプだったようです。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【一白水星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
徳川家重の運気を九星気学でみてみると
■1724年 将軍後継者となる
1724年は六白金星中宮年で、一白水星は南にあり前厄、定位対冲です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときであり、くわえて定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くときです。
また、このとき12歳の徳川家重の運気は、月命星の六白金星の影響を受けますので、六白金星は中宮にあり、花が咲くときです。
徳川家重にとって、悪くない運気だったことがわかります。
■1745年 将軍となる
1745年は三碧木星中宮年で、一白水星は東に出て、運気は上昇に転じます。
一白水星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
徳川家重は、父・吉宗から将軍職を譲られます。
■1760年 将軍職を嫡男・家治に譲る
1760年は六白金星中宮年で、一白水星は南にあり前厄、定位対冲です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときであり、くわえて定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くときです。
徳川家重は、自分の言葉を聞き分けることができた側近の大岡忠光が亡くなると、将軍職を嫡男・家治に譲ります。
■1761年7月13日 死去
徳川家重は、1761年7月13日に、亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤では一白水星は定位に戻って北にあり、本厄です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
月盤の一白水星は南にあり、「離」の作用がある暗示があり、別離のとき。
また、年盤の一白水星と、月盤の一白水星は対冲となっており、運気は波乱含みです。
徳川家重は、幼少時から酒色にふけっていたと言われていますので、51歳で亡くなるのも、仕方のないことなのかもしれません。
徳川家重を宿曜占星術で占ってみると?
■徳川家重【氐宿】
宿曜占星術では、徳川家重は氐宿の生まれです。
氐宿は、現実的で柔軟な思考力をもった本命宿です。
また、先見の明があり、事の本質を理解し、冷静に分析し、批判する力をもっています。
徳川家重は、臨終に際して、田沼意次の重用を家治に遺言しました。
氐宿さんは、動物的なカンがすぐれており、人の心を読むことに秀でていますので、徳川家重が優れた将軍であった可能性は高そうです。
氐宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「氐宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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