11歳で将軍に
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
徳川家光が48歳で病死したため、11歳で四代将軍となった徳川家綱。
叔父の保科正之などに補佐されて、将軍としての第一歩を踏み出します。
徳川家綱について調べてみました。
徳川家綱を九星気学で占ってみると?
■徳川家綱(8-5-8)
徳川家綱は、寛永18年8月3日(1641年9月7日)生まれ。
本命星:八白土星
月命星:五黄土星
傾斜宮:八白土星
徳川家綱は、本命星と傾斜宮の八白土星、月命星の五黄土星がすべて土の性に属する、土の人です。
八白土星は積み重なった土であり山をあらわしますが、冷静沈着で頑固一徹な性質を持っています。
人間関係においては閉鎖的であり、社交的とは言えませんが、自分の考えを実現するためなら、目上の力を頼ったり、他人の力を利用したりすることが上手です。
五黄土星は物質欲も強く、過ぎた願望を持ち、実現のためには無理な方法・手段を講じる傾向があり、そのために極端な結果に終わりやすいといえます。
八白土星を2つ持ち、最強の五黄土星を持っているので、頑固でプライドが高い努力家が多く、若いときから高い評価を受ける人が多いという特徴があります。
しかし、徳川家綱には、温厚な人柄で趣味を好み、「左様せい様」という異名があります。
また、「自分は少年ながら将軍である。もし将軍が天守から遠眼鏡で四方を見下ろしていると知れたら、恐らく世人は嫌な思いをするに違いない」と遠眼鏡を手に取らなかった、という逸話や、家綱の汁椀に髪の毛が入っていたときは、「その汁は途中で捨て、椀を空にして下げるように」と言い、咎められる者が出ないように配慮した、という逸話が残されています。
幼少時から、将軍としての人格教育を受けてきたことが、これらの逸話から推察されます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【八白土星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
徳川家綱の運気を九星気学でみてみると
■1651年 将軍宣下
1651年は七赤金星中宮年で、八白土星は北西にあり、実をつけるときです。
八白土星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
年齢的には月命星の運気が影響している時期です。
五黄土星は東に出て、運気は上昇に転じています。
徳川家綱は、父・家光を失い、わずか11歳で将軍となります。
しかし、政治基盤が整わないときに、由比正雪の乱(慶安の変)が起こるなど、政情は不安でした。
しかし、保科正之をはじめとする徳川家光時代の人材によって、政権の安定が図られました。
■1657年 明暦の大火
1657年は二黒土星中宮年で、八白土星は南西にあり後厄、そして暗剣殺です。
また、定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くときです。
徳川家綱は、明暦の大火で江戸の大半を焼けると、焼失被害にあった江戸市中の武家屋敷、神社仏閣などに資金援助し、復興に助力します。
■1664年 領知朱印状
1664年は三碧木星中宮年で、八白土星は北にあり、本厄です。
八白土星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
徳川家綱は、将軍が公家・武家・寺社の所領を確定させる際に発給する朱印状・領知朱印状を交付します。
■1680年 死去
1680年は五黄土星中宮年で、八白土星は定位に戻って北東にあり、変化変動です。
そして歳破がついています。
徳川家綱は、急性の病気のため、40歳で亡くなります。
もう少し長生きしていたら、良い将軍として知られていたかもしれません。
徳川家綱を宿曜占星術で占ってみると?
■徳川家綱【氐宿】
宿曜占星術では、徳川家綱は氐宿の生まれです。
氐宿は、現実的で柔軟な思考力をもった本命宿です。
氐宿さんは問題点への理解が早く、直観力も鋭いので、徳川家綱は、将軍としての振る舞いを十分に心得ていたのではないでしょうか。
氐宿さんは、よく食べよく飲むタイプ。
暴飲暴食をしやすい傾向があり、これが原因で肥満、糖尿、胃腸、肝臓などの病気になりやすいといえます。
氐宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「氐宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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