現代日本の基礎や価値観をつくった徳川家康
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
世界的にも評価が高い徳川家康は、織田信長とは9歳違いです。
現代日本の形をつくり、令和の時代にまでつづく価値観の礎となったのが江戸時代だとしたら、今の私たちは、徳川家康の思想を受け継いでいるのではないでしょうか。
⇒ 秀吉と家康の運命を変え、歴史を変えた!天正地震を九星気学で見てみると
徳川家康を九星気学でみると?
■徳川家康(7-8-4)
徳川家康は、天文11年12月26日(1543年1月31日)生まれ。
本命星:七赤金星
月命星:八白土星
傾斜宮:四緑木星
徳川家康は、本命星の七赤金星に月命星の八白土星からエネルギーが流れている相生の関係です。
しかし、傾斜宮の四緑木星が、本命星の七赤金星から剋され、月命星の八白土星が四緑木星から剋されている相剋の関係も持っています。
心の中は、理性と本能が相争うため、複雑な精神構造になりやすいといえます。
七赤金星は、周囲の人を楽しませることが好きで、目立ちたがり屋が多い星であり、物事を斜めに見る視点を備えており、その発言は、多方面に影響を与える傾向があります。
八白土星はプライドと努力の星ですから、精進したいという気持ちが行動となってあらわれるタイプです。
四緑木星は、コミュニケーション能力の高さ、とくに相手の顔色をうかがうことにかけては九星のなかで最も敏感です。
徳川家康は、織田家や今川家の幼いころから人質であったので、周囲の人たちの言動を読む能力が自然と発達したと思われますが、その能力は、直感的な四緑木星を持っていたために、さらに磨かれたのではないでしょうか。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【七赤金星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
徳川家康の運気を九星気学でみると?
■1547年 今川氏の人質になる
1547年は三碧木星中宮年で、七赤金星は南にあり、前厄です。
七赤金星の定位には五黄土星が回座し、五黄殺です。
徳川家康(竹千代)は、今川氏の人質として駿府へ送られることになりますが、駿府への護送の途中で裏切りにあい、織田信秀へ送られます。
■1555年 元服し松平元康となる
1555年は四緑木星中宮年で、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
七赤金星の定位には六白金星が回座し、目上からのサポートがある暗示があります。
徳川家康は、今川義元から偏諱を賜って松平元信と名乗り、今川義元の姪の瀬名(築山殿)を娶ります。
■1562年 清洲同盟
1562年は六白金星中宮年で、七赤金星は北西にあり実をつけるときですが、暗剣殺です。
また、七赤金星の定位には八白土星が回座し、変化変動です。
徳川家康は、今川氏と断交し、織田信長と清洲同盟を結びます。
また、翌年には、義元からの偏諱である「元」の字を返上して、家康と名を改めます。
■1566年 徳川に改姓
1566年は二黒土星中宮年で、七赤金星は北にあり、本厄です。
七赤金星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
松平姓から、徳川性に改姓します。
■1572年 武田氏との戦い
1572年は五黄土星中宮年で、七赤金星は定位に戻って西にあり、収獲のときです。
定位に戻ったときは、新しいステージへの移行のときです。
徳川家康は、武田信玄から攻められ、最終的には三方ヶ原の戦いで敗走します。
■1582年 本能寺の変
1582年は四緑木星中宮年で、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
七赤金星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがあります。
本能寺の変が起こり、徳川家康は、「神君伊賀越え」として知られる逃走により、助かります。
■1590年 関東移封
1590年は五黄土星中宮年で、七赤金星は定位に戻って西に戻り、収獲のときです。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
徳川家康は、関東移封を命じられます。
■1600年 関ヶ原の戦い
2020年は七赤金星中宮年で、七赤金星は北東にあり、変化変動です。
七赤金星の定位には六白金星が回座し、目上のサポート、つまり天のサポートがある暗示があります。
また、江戸からみて、関ヶ原は、西または西南西の方位なので、どちらも吉方位となります。
徳川家康は、関ケ原の戦いで勝利します。
■1614年 大坂冬の陣
1614年は八白土星中宮年で、七赤金星は東南にあり、運気は旺盛です。
七赤金星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
徳川家康は、豊臣家との戦いに挑み、大阪冬の陣が起こります。
■1615年 大坂夏の陣
1615年は七赤金星中宮年で、花が咲くときです。
七赤金星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目をあつめる暗示があります。
徳川家康は、大阪夏の陣で、豊臣家を滅ぼし、日本を統一することになります。
最高の運気のときに、大坂の陣を起こしているあたり、徳川家康の晩年運の強さを感じます。
■1616年6月1日(元和2年4月17日) 死去
1616年6月1日(元和2年4月17日)に、徳川家康は亡くなります。
年盤では、七赤金星は北西にあり実をつけるときですが、歳破がつき、また暗剣殺です。
そして、七赤金星の定位は八白土星が回座し、変化変動のときでもあります。
徳川家康にとっては、かなり悪い運気といえます。
6月の月盤では、七赤金星は北にあり本厄。
日盤では、七赤金星は南にあり、病気の再発の暗示があり、さらに月盤の七赤金星に八白土星が回座しているので、変化変動です。
徳川家康は胃がんで亡くなったのではないかという説がありますが、以前から病気を抱えていたことは間違いなさそうです。
徳川家康を宿曜占星術でみると?
■徳川家康【女宿】
宿曜占星術では、徳川家康は女宿の生まれです。
女宿は、公の仕事につくと、善悪・吉凶を正しく判断して、国を栄えさせるという本命宿です。
二十七宿のなかで、もっとも複雑でわかりにくいのも女宿さんです。
また、自分の願望を達成するためには容赦がなく、意外な策略を弄したり、思い切った態度に出たりします。
女宿さんは女性との縁が深く、徳川家康が多くの側室を持ち、また彼女たちをうまく使ってもいますが、それは、女宿さんの資質によるものでしょう。
女宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「女宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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