天保の改革、そしてペリーの黒船来航
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
ペリーの黒船が浦賀にやってきたのは1853年のこと。
このときの将軍が徳川家慶です。
ただ、直後に暑気あたりで倒れて、亡くなっています。
徳川家慶について調べてみました。
徳川家慶を九星気学で占ってみると?
■徳川家慶(9-1-4)
徳川家慶は、寛政5年5月14日(1793年6月22日)生まれ。
本命星:九紫火星
月命星:一白水星
傾斜宮:四緑木星
徳川家慶は、月命星の一白水星が、本命星の九紫火星に対して、水剋火(水は火を消す)という相剋の関係です。
九紫火星生まれの人は、頭脳明晰ですが、どちらかと言えば落ち着きがない傾向があります。
美的感覚にすぐれ、先見性がありますが、熱しやすく冷めやすいのも九紫火星の特徴です。
しかし、月命星に一白水星があるので、思索的な面もあり、企画力や創造力にも長けています。
両極端な九紫火星と一白水星を、傾斜宮の四緑木星が橋渡しをしています。
四緑木星は、人の心を読むのが早く、話術がうまいコミュニケーション能力が高い星。
この星回りは、ふとした行動が、心の奥底から湧き出てしまったものなので、理性では止められないタイプ。
また、水と火という両極端の激しさを持っているので、極端な言動に走りがちな傾向がみられます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【九紫火星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
徳川家慶の運気を九星気学でみてみると
■1837年 将軍になる
1837年は一白水星中宮年で、九紫火星は東南にあり、運気は旺盛です。
しかし、九紫火星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
徳川家慶は、45歳で将軍となりますが、父である徳川家斉が大御所として威勢を奮っていました。
■1839年 蛮社の獄
1839年は八白土星中宮年で、九紫火星は北西にあり、実をつけるときです。
九紫火星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
徳川家慶の時代には、蘭学者への言論統制などが強化され、高野長英、渡辺崋山などをとらえ、処刑します。
■1841年 徳川家斉死去
1841年は六白金星中宮年で、九紫火星は北東にあり、変化変動です。
九紫火星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示があります。
徳川家慶は、父・家斉が亡くなると、四男の家定を将軍継嗣に決めます。
また、水野忠邦を重用し、大奥などの粛清を行い人事を刷新し、農本思想を基本とした天保の改革がはじまります。
しかし、徹底的に奢侈を取締り、緊縮財政政策を採用したため、不評でした。
■1843年 天保の改革挫折
1843年は四緑木星中宮年で、九紫火星は北にあり本厄、そして定位対冲です。
九紫火星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示が暗示があります。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
幕府が、江戸・大坂周辺の大名や旗本領を幕府直轄領に編入することを目的とした上知令を発令すると、猛烈な反発を受け、徳川家慶はこれを撤回します。
これによって水野忠邦は失脚し、天保の改革は挫折します。
■1851年 お由羅騒動
1851年は五黄土星中宮年で、九紫火星は定位にもどって南にあり、前厄です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目される暗示があります。
また、定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
徳川家慶は、お由羅騒動に介入して、薩摩藩主・島津斉興を隠居させます。
■1853年 黒船来航
1853年は三碧木星中宮年で、九紫火星は南西にあり後厄、そして歳破がついています。
九紫火星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
アメリカのマシュー・ペリーが、4隻の軍艦を率いて浦賀沖に現れます。
■1853年7月27日 死去
徳川家慶は、1853年7月27日に、熱中症による心不全で亡くなります。
この日の九星盤をみると、年盤では九紫火星は南西にあり後厄、そして歳破がついていますから、健康面でのトラブルが起こりやすい運気です。
月盤では、九紫火星は中宮にあり、花が咲くときですが、「命厄」の吉凶混合運です。
最悪の場合、命にかかわることが起こる運気です。
年盤の九紫火星には、月盤の六白金星が回座しているので、天に召される暗示があります。
日盤は定位に戻り、九紫火星は南にあり「離」の作用を受けやすい運気です。
また、月盤の九紫火星には、日盤の五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
周囲からは、徳川家慶の死は突然死に見えたかもしれませんが、九星盤には、最悪の場合、死に至ることが現れています。
普段の生活様式が、徳川家慶の死を早めたのかもしれません。
徳川家慶を宿曜占星術で占ってみると?
■徳川家慶【尾宿】
宿曜占星術では、徳川家慶は尾宿の生まれです。
尾宿は、人との競い合いに強い武将の本命宿です。
徳川家慶は、政治は老中に任せておきながら、水戸藩主・徳川斉昭に隠居を命じたり、薩摩藩のお家騒動に介入したり、徳川斉昭の七男・七郎磨(のちの徳川慶喜)に一橋家を相続させたりと、あちこちに顔をつっこんでいるのは、この尾宿の性質が手伝っていたのかもしれません。
もともと、徳川家慶は、火と水の性質をあわせ持ち、激しやすいタイプですから、尾宿さんの性質が重なることで、かなり強い言動となったことでしょう。
また、尾宿さんは、駆け引きや根回しなどに関心がありませんので、他人からのアドバイスを受け入れるようなことはありません。
尾宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「尾宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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