江戸幕府中興の祖
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
徳川吉宗は、徳川家康の曾孫であり、御三家出身初の将軍です。
ドラマ『暴れん坊将軍』で知られていますが、徳川吉宗は、いわば江戸幕府中興の祖であり、盤石な体制を築きました。
優秀な逸材を登用しやすくしたのも徳川吉宗であり、幕末に名を残す人物は、徳川吉宗がつくった足高制(たしだかせい)によって登場してきたのだそうです。
徳川吉宗について調べてみました。
徳川吉宗を九星気学で占ってみると?
■徳川吉宗(1-8-7)
徳川吉宗は、貞享元年10月21日(1684年11月27日)生まれ。
本命星:一白水星
月命星:八白土星
傾斜宮:七赤金星
徳川吉宗は、本命星の一白水星と月命星の八白土星は、土剋水(土は水をせき止める)の相剋の関係です。
一白水星は、柔軟性を示していますが、実は秘密主義的であり、簡単に心を開かないタイプ。
思索的で、研究熱心なのですが、人の忠告や意見には従わない強情さがあります。
八白土星は、冷静沈着で意志堅固なのですが、自分のプライドのために努力します。
自分の城を守るためには、積極的に人と関わり、目上の力を頼ったり、他人を利用することは上手です。
傾斜宮の七赤金星は、本命星の一白水星と、月命星の八白土星を橋渡ししますが、七赤金星は負けず嫌いで、人から軽視されることをとても嫌います。
また、七赤金星には批判力があり、とても説得力のある話ができる人。
実直な努力家ではありますが、実は策士という一面を持っている星回りなのです。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【一白水星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
徳川吉宗の運気を九星気学でみてみると
■1697年 越前葛野藩主となる
1697年は六白金星中宮年で、一白水星は南にあり前厄、定位対冲です。
前厄のときは陽の当たるときであり、良くも悪くも注目されるときであり、くわえて定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くときです。
また、このとき14歳の徳川吉宗の運気は、月命星の八白土星で見ることもできますので、収穫のときでもあります。
徳川吉宗は、5代将軍徳川綱吉に御目見し、越前国丹生郡内に3万石を賜り、葛野藩主となります。
■1705年 紀州藩主になる
1705年は七赤金星中宮年で、一白水星は北東にあり、変化変動です。
一白水星の定位には三碧木星が回座し、長男の暗示があります。
徳川吉宗は、紀州藩第3代藩主の長兄・綱教が死去、つづいて三兄の頼職も半年のうちに病死したため、紀州徳川家を相続し、第5代藩主となります。
■1710年 藩政改革
1710年は二黒土星中宮年で、一白水星は東南にあり、運気は旺盛です。
一白水星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
徳川吉宗は、紀州入りすると藩政改革に着手。
藩財政の再建に手腕を発揮したほか、和歌山城大手門前に訴訟箱を設置するなど、将軍となっておこなった享保の改革の原点がみられます。
■1716年 8代将軍となる
1716年は五黄土星中宮年で、一白水星は定位に戻って北にあり、本厄です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するときです。
徳川吉宗は、徳川家継が8歳で早世すると、8代将軍となります。
■1720年 江戸町火消しいろは四十八組を設置
1720年は一白水星中宮年で、花が咲くときです。
一白水星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
徳川吉宗は、江戸の大火を受け、江戸町火消しいろは四十八組を設置します。
また、キリスト教に関係のない洋書輸入を解禁し、のちに蘭学ブームが起こります。
■1722年 小石川養生所設置
1722年は八白土星中宮年で、一白水星は西にあり、収獲のときです。
一白水星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
徳川吉宗は、小石川養生所を設置、さらに足高制を導入し、身分の低い者たちに対する政策を充実させます。
■1728年 象ブーム
1728年は二黒土星中宮年で、一白水星は東南にあり、運気は旺盛です。
一白水星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
徳川吉宗は、ベトナムから象を輸入し、長崎から江戸まで陸路で運ばせたため、象ブームが起こります。
■1736年 元文の改鋳
1736年は三碧木星中宮年で、一白水星は東に出て、運気は上昇に転じます。
一白水星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
徳川吉宗は、元文の改鋳をおこない、通貨供給量を増やすと、日本経済に好影響をもたらしました。
■1745年 将軍職を長男・家重に譲る
1745年は三碧木星中宮年で、一白水星は東に出て、運気は上昇に転じます。
一白水星の定位には八白土星が回座し、変化変動の暗示があります。
徳川吉宗は、将軍職を長男・家重に譲り、二男・宗武、四男・宗尹には、田安家、一橋家を創設します。
■1751年7月12日 死去
徳川吉宗は、1751年7月12日に、脳卒中の再発によって亡くなったようです。
享年68。
この日の九星盤をみると、年盤では一白水星が南にあり前厄、そして定位対冲です。
定位対冲のときは、運命の歯車が大きく動くときです。
月盤では、一白水星は北西にあり、実をつけるとき。
年盤の一白水星には、月盤の四緑木星が回座し、中風・遠方の暗示があります。
普通なら、亡くなるような運気ではありませんが、すでに中風を患い、右半身麻痺と言語障害の後遺症があったということですから、定位対冲の運気が影響したのではないでしょうか。
徳川吉宗を宿曜占星術で占ってみると?
■徳川吉宗【張宿】
宿曜占星術では、徳川吉宗は張宿の生まれです。
張宿は、独特の話し方で相手の心をつかむ本命宿です。
張宿さんには華やかな存在感があり、自然と中心人物となる、主役タイプ。
豪快で精力的、頼もしい人物であり、学問を好み、理論家であるため、話には説得力があります。
張宿さんは、 注目を浴びて目上から抜擢され、先人の築いたルートの上に乗ることができる運勢を持っています。
徳川吉宗は、紀州藩主時代の手腕を買われて将軍となったともいわれていますので、まさに張宿さんの運勢を生きた人なのかもしれません。
張宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「張宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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