豊臣政権の調整役
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
豊臣秀吉の弟で、豊臣政権の調整役として活躍した豊臣秀長。
大友宗麟が大坂城を訪れたときに、「内々の儀は宗易(千利休)、公儀の事は宰相(秀長)存じ候、いよいよ申し談ずべし」と豊臣秀吉から伝えられたという話が残っています。
豊臣秀長について調べてみました。
豊臣秀長を九星気学で占ってみると?
■豊臣秀長(1-6-9)
豊臣秀長は、天文9年3月2日(1540年4月8日)生まれ。
本命星:一白水星
月命星:六白金星
傾斜宮:九紫火星
豊臣秀長は、本命星の一白水星に、月命星の六白金星からエネルギーが流れる相生の関係です。
気持ちが決まってから行動に移すことが多い、慎重なところがあります。
一白水星は、困難な状況にあっても根気強い人が多く、どちらかと言えば思索的です。
企画性や創造力に富んでいるのですが、他人の意見やアドバイスを簡単には受け入れません。
六白金星は、気位の高い理想主義者であり、人から指図されることを最も嫌います。
この星回りの人は、誰にでも合わせられるように見えて、本音のところでは心を開かないタイプ。
九紫火星は、先進的で感覚的なタイプが多く、表現力に優れ、派手なことが好きですが、この九紫火星の性質を、慎重な一白水星の性質が尅しているので、思いついたことを軽々しく実行に移すことはほとんどありません。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【一白水星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
豊臣秀長の運気を九星気学でみてみると?
■1573年 長浜城の城代
1573年は四緑木星中宮年で、一白水星は南西にあり、後厄です。
一白水星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも目立つ暗示があります。
豊臣秀頼は、豊臣秀吉が浅井氏を滅ぼした功により長浜城主となると、城代を務るようになります。
■1575年 羽柴姓になる
1575年は二黒土星中宮年で、一白水星は東南にあり、運気は旺盛ですが、歳破がついています。
一白水星の定位には七赤金星が回座し、人間関係の拡大と喜びごとの暗示があります。
豊臣秀吉は、木下姓から羽柴姓へと変わります。
■1585年 和歌山城築城
1585年は一白水星中宮年で、花が咲くときです。
一白水星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがあります。
豊臣秀長は、紀州征伐の平定後、紀伊・和泉の2ヶ国を加増され、和歌山城を築城します。
また、長宗我部元親を降した功績により大和国を加増され、郡山城に入ります。
■1587年 従二位権大納言
1587年は八白土星中宮年で、一白水星は西にあり、収獲のときです。
一白水星の定位には四緑木星が回座し、知名度アップの暗示があります。
豊臣秀長は、九州平定において、日向方面の総大将として出陣し、島津家久と講和。
これにより、従二位権大納言に叙任されます。
■1591年 死去
1591年は四緑木星中宮年で、一白水星は南西にあり、後厄です。
一白水星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも注目される暗示があります。
九紫火星には「離」の作用があり、別離や死別の意味があります。
豊臣秀長は、前年より病に伏し、豊臣秀次が病気回復の祈願のため談山神社を訪れたりしましたが、回復しませんでした。
豊臣秀長を宿曜占星術で占ってみると?
■豊臣秀長【昴宿】
宿曜占星術では、豊臣秀長は昴宿の生まれです。
昴宿は、古来より、最高の本命宿と考えられています。
昴宿さんは、先祖代々の加護を受け、他力によって助けられ、目上の人や親せき、友人などから、思わぬ援助の手が差し伸べられます。
豊臣秀長は木曜生まれの昴宿さんなので、聡明で、心身ともに強い人です。
人使いが上手で、内心を表に出すことはありませんが、孤独になりやすい傾向があります。
昴宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「昴宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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