庶民から天下統一へ!日本史上もっとも出世した豊臣秀吉
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
豊臣秀吉を演じた俳優さんは数多いのですが、生方の記憶に残っているのは竹中直人さんです。
大河ドラマ『秀吉』での、コミカルなのに、ときに重厚という演技が良かったと思います。
⇒ 秀吉と家康の運命を変え、歴史を変えた!天正地震を九星気学で見てみると
豊臣秀吉の性格を九星気学でみると?
■豊臣秀吉(4-7-2)
豊臣秀吉は、天文6年2月6日(1537年3月17日)生まれと伝わっていますが、農民出身といわれる秀吉の生年月日が正しいとは思えません。
しかし、ここではこの生年月日で進めていきます。
本命星:四緑木星
月命星:七赤金星
傾斜宮:二黒土星
豊臣秀吉は、本命星の四緑木星と月命星の七赤金星は、金剋木(金属は木を切り倒す)という相剋の関係にあります。
精神が行動を剋しているので、行動に移す前に悩み、迷うタイプですが、隠れた性格である二黒土星は、月命星の七赤金星にエネルギーを与えているため、気持ち的には固まっていることが多いようです。
四緑木星生まれは、義侠心が厚く、人の気持ちを読み取ることが上手ですが、取り越し苦労が多く、移り気な面があります。
しかし、自分が信じることを主張するときには、強気で交渉事をまとめるようなネゴシエーターの一面も。
七赤金星は、カンが鋭く、批判力がありますが、明るく楽しい性質を持っているので、良くも悪くも大きな影響力を持っています。
この星回りは、四緑木星のコミュニケーション能力と、七赤金星の、自分に有利なように周囲を説得する力が、大きな武器となります。
歴代の天皇にこの星回りが最も多く、また芸術文化人にも多いので、日本では成功しやすい星回りと言えます。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【四緑木星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
豊臣秀吉の運気を九星気学でみると?
■1561年 ねねと結婚
1561年は七赤金星中宮年で、四緑木星は南西にあり後厄ですが、四緑木星の定位には六白金星が回座し、目上のサポートがある暗示があります。
豊臣秀吉(木下藤吉郎)は、ねねと結婚します。
■1566年 墨俣一夜城を建設
1566年は二黒土星中宮年で、四緑木星は西にあり、収穫のときです。
四緑木星の定位には一白水星が回座し、困難な状況に陥る暗示がありますが、一白水星は水を表しているので、水に関係した仕事とも読めます。
豊臣秀吉(木下藤吉郎)は、墨俣一夜城を建設したとされています。
■1572年 羽柴姓に変える
1572年は五黄土星中宮年で、四緑木星は定位の東南にもどり、運気は旺盛です。
定位に戻ったときは、新しいステージに移行するとき。
豊臣秀吉は、木下姓から羽柴姓に変えます。
■1573年 長浜城の城主となる
1573年は四緑木星中宮年で、花が咲くときです。
四緑木星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
豊臣秀吉(羽柴秀吉)は、長浜城の城主となります。
■1582年 本能寺の変
1582年は四緑木星中宮年で、花が咲くときです。
四緑木星の定位には三碧木星が回座し、開拓・奮起の暗示があります。
豊臣秀吉(羽柴秀吉)が備中国に侵攻しているさなか、本能寺の変が起こります。
中国大返しを決行し、明智光秀を追討します。
明智光秀も豊臣秀吉と同じ四緑木星なのですが、勝敗を決した原因とは?
精神をあらわす月命星は、豊臣秀吉(羽柴秀吉)が七赤金星であり、明智光秀は一白水星と推測されます。
七赤金星は北東にあり変化変動、つまり方針転換や大きな決意の運気になり、七赤金星の定位には六白金星が回座していますから、天が味方していると言えそうです。
いっぽう、一白水星は南西にあり後厄で、一白水星の定位には九紫火星が回座し、精神的には落ち着かないときだったと言えます。
また、明智光秀の場合、考えや気持ちが決まってから行動するタイプですが、豊臣秀吉(羽柴秀吉)は、本能的に行動するタイプ。
この違いも、勝敗に深く関係しているのではないでしょうか。
■1585年 関白となる
1585年は一白水星中宮年で、四緑木星は北東にあり、変化変動です。
四緑木星の定位には九紫火星が回座し、良くも悪くも世間の注目をあつめるときです。
豊臣秀吉(羽柴秀吉)は、近衛前久の猶子となり、関白宣下を受けます。
■1586年 正親町天皇から豊臣姓を賜る
1586年は九紫火星中宮年で、四緑木星は南にあり、前厄です。
四緑木星の定位には八白土星が回座し、変化変動です。
前厄のときは陽が当たるときなので、世間の注目をあつめるときです。
豊臣秀吉は、正親町天皇から豊臣の姓を賜ります。
また、太政大臣となり、豊臣政権を確立させます。
■1591年 太閤となる
1591年は四緑木星中宮年で、花が咲くときです。
豊臣秀吉は、弟の秀長、後継者・鶴松が相次いで病死したため、甥の秀次を養子として関白職を譲り、太閤(前関白の尊称)となります。
また、茶人・千利休に自害を命じ、利休は切腹します。
■1598年 醍醐の花見ののちに病死
1598年は六白金星中宮年で、四緑木星は東に出て、運気は旺盛ですが、四緑木星の定位には五黄土星が回座し、何事も極端になりやすく、五黄殺(自滅)の暗示があります。
豊臣秀吉は、各地から700本の桜を集めて醍醐の花見を行いますが、それから5ヶ月ほどあとに、病死します。
豊臣秀吉を宿曜占星術でみると?
■豊臣秀吉【参宿】
宿曜占星術では、豊臣秀吉は参宿の生まれです。
参宿は、好奇心が強く、よく働く本命宿です。
くよくよすることがなく、古い伝統や格式にはこだわらず、さらに自分より目上の人の懐にはいるのが上手。
まさに豊臣秀吉らしい本命宿です。
また、財運があり、親や他人から財産を譲り受けるという運勢を持っています。
参宿さんは革新者なのですが、独善的になりやすい傾向があります。
独善的になると相対的に運気が下がる傾向があるので、太閤と呼ばれてからの秀吉には幸運よりも凶運が訪れやすくなっていたのかもしれません。
参宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「参宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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