豊臣秀吉の嫡男
こんにちは、生方吉子(うぶかたよしこ)です。
わずか2歳で亡くなったため、歴史上の存在感は薄い豊臣鶴松。
豊臣秀吉が53歳のときに生まれた嫡男だったのですが、病弱だったようです。
豊臣鶴松の運気を調べてみました。
豊臣鶴松を九星気学で占ってみると?
■豊臣鶴松(6-9-2)
豊臣鶴松は、1589年7月9日生まれ。
本命星:六白金星
月命星:九紫火星
傾斜宮:二黒土星
豊臣鶴松は、本命星の六白金星が、傾斜宮の二黒土星から、二黒土星は月命星の九紫火星からエネルギーが流れる相生の関係です。
理性的に考えるのですが、結局は直感的な行動になりやすいタイプ。
六白金星は天であり、高貴な人をあらわしており、気位の高い理想主義者が多い傾向があります。
九紫火星は、次から次へと興味が移り、熱しやすく冷めやすいのですが、美的センスに優れた芸術家タイプが多い星です。
二黒土星は、コツコツと真面目な星であり、大きな目標に向かって進んでいきます。
この星回りは、高望みしやすいのですが、興味が定まらずに全うしない傾向があります。
豊臣鶴松は、成長しても父を超えるような人物になれたかどうか、疑問が残ります。
九星気学で性格や運気を知りたい方は、「九星気学 本命星・月命星・傾斜宮でみる運勢 歴史上の人物と著名人」をお読みになってください。
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⇒ 【六白金星】最も運気が強いのは?本命星・月命星・傾斜宮の組合せは?
豊臣鶴松の運気を九星気学でみてみると
■1590年 春日神社で祈祷し全快
1590年は五黄土星中宮年で、六白金星は定位に戻って北西にあり、実をつけるときです。
豊臣鶴松はまだ幼いので、運気をみるときは月命星の九紫火星でみていきます。
月命星の九紫火星は、南にあり、前厄です。
豊臣鶴松は、病気になり、奈良の春日神社で祈祷が行われ、しばらくして全快します。
■1591年9月22日 死去
豊臣鶴松は、1591年9月22日に病気のため、亡くなります。
この日の九星盤をみると、運気的に良くなかったことがわかります。
年盤は四緑木星中宮で、本命星の六白金星は西にあり収穫のときですが、歳破がついています。
六白金星の定位には五黄土星が回座し、五黄殺なので、体力が消耗し、悪性の病気にかかりやすいという凶運です。
月命星の九紫火星は北にあり本厄、そして定位対冲なので、運命の歯車が大きく動くときであり、命を落とすこともある運気です。
九星火星の定位には八白土星が回座し、変化変動です。
この年盤をみると、病弱な豊臣鶴松が生き延びることは、難しいだろうということがわかります。
月盤をみると、本命星の六白金星は北にあり本厄。
年盤の九紫火星に月盤の六白金星が回座しているので、天のサポートがあるとも読めますが、天に召されるとも読めるのではないでしょうか。
豊臣鶴松が病気になると、秀吉は、全国の神社仏閣に病気平癒の祈祷が命じたそうです。
豊臣秀吉本人も東福寺で祈りましたが、そのかいなく、豊臣鶴松は亡くなります。
豊臣鶴松を宿曜占星術で占ってみると?
■豊臣鶴松【觜宿】
宿曜占星術では、豊臣鶴松は觜宿の生まれです。
觜宿は、一国一城の主として成功する本命宿です。
豊臣鶴松が成長していれば、トーク力のある人物になっていたことでしょう。
觜宿さんは病気にはなりにくい体質で、本来は長命なのですが、突然の事故や、晩年になってからの病気は致命的。
宿曜占星術で見る限り、豊臣鶴松はもっと長生きしても良いはずでした。
觜宿さんの性格や運気、相性をもっと知りたい方は「觜宿: 宿曜占星術と九星気学・姓名でみる運気」をお読みになってください。
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